精神科看護「まごころ草とばいきん草」

精神科看護「まごころ草とばいきん草」

精神科看護に関する自分なりの覚書

映画 ツレがうつになりまして。 感想

 

 見る機会を無くしたまま見ていませんでしたが、この間受け持ちのうつ病患者さんのことで様々に悩んだので、それをきっかけに見てみようと思いました。

 様々にクローズアップされており、うつ病というものの認識を広げてくれた作品だと思います。以下、感想など。

 

 

 髙崎さんという主人公は曜日で決まったネクタイをして、毎日きちっと敷き詰めたお弁当を自分で作って働くサラリーマンです。愛する奥さんが漫画を描けるよう、生活費などの面は自分が何とかする、と日々頑張られている。

 職場は過度にストレスのかかる場所で、IT系のため英語が飛び交うことも。クレームの電話も、ねちっこくしつこい。 そんな中、少しずつ調子がおかしくなっていく。

 

 なんだか食欲がなかったり、寝癖がついたままだったり、ゴミ捨て場のごみの事がなんだか気になったり・・・。

 ある朝は日課のお弁当作りができず立ち尽くしてしまう。・・・徐々に死にたい気持ちが出てくる。

 妻の勧めもあり、クリニックで診察をしてもらうとうつ病と告知される。先生から、薬で状態を安定させつつ、原因を取り除こうと勧められます。

 

 とはいえ、仕事をしない事には生きていけない。辛さを抱えつつも内服を開始し、引き続いて仕事に通う。症状は悪化し、電車に乗れず立ち尽くしてしまう、吐いてしまうなど、深刻化していきます。仕事から帰ってくるなりソファーにへたり込んでしまう。食事は食べられない。元気な頃の姿とは全然違う状態に。

 妻の漫画が打ち切りになってしまい、最後の話をのんびり描いている妻に対し「打ち切りになって悔しいのはわかるけど、最後まできちんとやらないとだめだよ!」と強く言い放つ。余裕のなさが苛立ちに繋がる。

 

 「もう、仕事辞めちゃえば。」妻の勧めに対し、「そんなこと出来ないよ・・・」と嘆く夫。

 

 「会社辞めないのなら、離婚する」妻。

 

 そこから会社を辞めるために辞表を書くが、上司は受け取ってくれない。「いきなり言われても困る/社員が書くのは辞表じゃなくて退職願だ、と受け取らず。なぜ退職するという考えに至ったかも聞いてもらえず。

 改めて退職願に書き換え、さらに文書を手書きと指示されたため夜更けまで手書きで物差しを使いながら書く夫。再度提出するも、今度は希望の期日では無理と。引継ぎをしろなど様々に引き留めにかかられます。

 

 ・・・などなど、描写が細かく、また堺雅人の演技が巧く、うつ病を発症していくさまが非常にリアルに描かれていました。

 うつ病ってどんなことなの?というのがイメージしやすくとてもよかった。面白いのが、元々持っている性格が几帳面なため、だらだらするということが出来ないという描写。正直すごくよくわかります。

 また、反面うつ期の時には布団に潜り込み、「申し訳ない・・・」と引きこもる姿も、客観的には家で布団に入っている状態ですが、その実全く休めていないというところがうつ病の描き方としてリアルだなと感じました。

 

 しばらく治療を続けて2週間ほど内服を続けていると、突然活力が戻ってきたようになります。朝、ぱっと起きて笑顔で窓を開ける。冬の寒い時期だけど、「はるさん、季節は冬だったんだね。凛とした空気が心地いいなあ」と一見治ったように見えます。これはやっと薬が効き始めたという状態で、寛解したわけではありません。けれども妻と二人感動し、喜びを分かち合います。

 

 そして、また再びうつ期へ。この対比がたまらなく辛い。

 

 家族から、当人としては単に励ましているだけだけれども、当事者としてはつらい励ましの描写の部分も、つらかった。「お前は昔から細かいことばかり気にしてなあ。だから病気になっちまうんだろ?男はなあ、どんなにつらくても家族の為に大黒柱なんだから、頑張らないとな!ペットの餌代だってかかるんだろ?しっかりもっと頑張れよ!」と。普通の人がちょっとへこんだとかくらいならこういう声掛けでもいいかもしれませんが、うつ病の人にとっては当然良くありませんよね。案の定その後主人公は布団に潜り込んで泣き続けました。

 

 なぜこのような励ましがいけないのか。うつ病は、病気由来で焦りの気持ちが消えなかったり、罪悪感に苛まされたり、考えの視野が非常に狭くなったりします。また物事の優先順位がつけられないため、普段なら出来ていたことも出来ず、それもさらに自分はダメなんだ、という気持ちになってしまうからです。映画の中でも、少し状態が良くなって好きだった料理をしてみたが、段取りがうまくいかなくてキッチンは汚く散らばってしまい、そして味はわからないという成果になってしまいました。

 もちろん家族や親しい人にとって、つらい病気だけど頑張ってほしいという気持ちが出るのは当然の事です。だから、こういう時には辛い気持ちになっているその人の歩みに合わせて、ゆっくり一つずつしていくことが望まれます。具体的には、少しでもいい変化が出たときには一緒に喜び、つらいことがあった時には寄り添う事がいいのではないでしょうか。もちろん人によって求めていることは様々ですから、マスターキーのような解決方法はないのですが、その人のペースを守り、共に進んでいくことは望ましい態度だと思っています。

 映画の中で特に、パートナーとしてすごく素敵だなと思える接し方がありました。それは「頑張らない」という事です。

 頑張らない、ということは無理をしない、ということで、続けられないことをしないという事を意味しています。

 それがなぜ素敵な接し方なのかというと、自分も、相手も尊重した態度に他ならないからです。

 例えば映画の中で納豆がうつにいいと聞いて夫に食べさせるシーンがあります。でも、妻は納豆が大嫌い。だから「私は食べない。うえー。もっと静かに混ぜられないの」と非難轟々。自分で食べさせてるのに、自分は嫌いと言ってます。これでいいんです。だって、素の自分を見せているから。嫌いなものを嫌いと言っても、その人の事を心配していないとか、嫌っているとか、そういう事とは全く無関係。そこが大切。そういう状態で、お互い楽に接していることが素敵だなと感じます。

 そんなこんなで、陽だまりのような心地のいい日が続いていたある日。夫は首を吊ります。すぐに気づいて、命に別状はなく、後遺症も残りませんでした。そのきっかけは些細な事。夫は原稿の名前が「髙崎」じゃなくて「高崎」になっていたことを指摘したものの、妻は締切間近の追い込みで雑な対応だったというだけです。夫はそのことに対し「忙しいのはわかってるのにハルさんにしつこくしてしまって・・・。そんな自分が嫌になって・・・。時々ここにいることがたまらなく嫌になって・・・。僕はここにいていいのかな・・・という気持ちになった」と語ります。

 

 うつ病は、死に至る病です。うつ病患者で亡くなった人の4人に1人が、自殺です。だから決して、この病気の事やこの病気を抱えた人の事を軽んじてはいけません。

 

 その後、また再び二人で生活を続けていきます。妻は漫画の連載が決定し、何とか生活費に関する悩みも一旦解決していきます。夫も、少しずつ状態が良くなっていきます。

 

 最後のシーン、夫がうつ病と付き合う、というテーマで講演会をする所。

 

うつ病との付き合い方のコツは、「あ・と・で」です。焦らない。特別扱いしない。できることとできないことを見分けよう。という事です。


自分の病気のこと、恥ずかしいことだと思っていました。そのことを変えてくれたのは妻でした。恥ずかしい姿、情けない姿。そう思ってしまった自分にすら、誇らしい思いを今は懐いています。うつ病を完治したわけではないが、付き合っていくという気持ちで、今は過ごしています。

たぶんそうすることが本当の自分に出会う為の一番いい方法なんじゃないかと今はそういうふうに考えています。

 

 

 本当の自分に出会うための一番いい方法。本当にその通りだと思います。

 本当の自分に出会っていなかったから、きちんと見つめていなかったから、その声を無視して過ごしていたから、無理をしていたんじゃないかと思います。自分の身の丈以上の状態になってしまっていたんじゃないかと思います。

 

 私はまだまだ幼い為、自分のネガティブな部分を見て誇らしく思うことはできません。そういう気持ちを抱いた自分を認めるのも苦痛です。だけれども、そう言ったことを見つめていく態度はこれからも持ち続けたい。そう、再認識させてくれる映画でした。

 

 また、原作は大ヒットしましたね。漫画で大変読みやすく、おすすめです。 

ツレがうつになりまして。 (幻冬舎文庫)

ツレがうつになりまして。 (幻冬舎文庫)

 
その後のツレがうつになりまして。 (幻冬舎文庫)

その後のツレがうつになりまして。 (幻冬舎文庫)