精神科看護「まごころ草とばいきん草」

精神科看護「まごころ草とばいきん草」

精神科看護に関する自分なりの覚書

精神科訪問看護に来て感じていること

 ありがたいことに、私の所属している医療法人は、急性期精神科病棟だけでなく、訪問看護も抱えており、この前転属が決まりました。

 まだ精神科訪問看護に来たばかりで若輩ですが、大変多くのことを感じているので少しお伝えできればと思います。

 

1)立場が逆転

2)高いケアの精度が求められる

3)覚悟も必要

4)病棟と地域で違う「ストレングスに着目する」という言葉の意味

5)歴史が浅い

こんなふうに感じています。一つずつお伝えしていきます。

 

1)立場が逆転

 一番はじめに痛感したことは「立場が逆転」したということです。ひしひしと肌で感じました。

 病棟では、あくまでも患者さんがケアを求めて入院されることが前提です。または、医療保護の場合は自分の意志ではないこともあります。そういった方に看護師として関わるとき、望まずとも自動的にはっきりと「あなたは看護師で私のことを看ている人です。私は看られています」という立ち位置が完全に出来上がります。病棟という存在があるだけで、強烈な言い方をすれば「強者と弱者」になってしまう力関係の構造が出来上がります。

 もちろん病棟で勤務しているときもそのことを実感していました。ですから、なるべく対等な関係を築きたい、同じ「病気現象について研究する」協力者として成り立ちたいと思い、関わっていました。下手な言い方をすればそういう思いを持てている自分に少し自信を持っていました。

 地域に出て関わりをするにつれ、「私はこの人の協力者なんだ」という自信は完全に誤信であることを体験し、打ちのめされました。もう全くのただのエゴでした。

 

 地域で求められる精神科訪問看護は、「あなたは一体何してくれる人なの」という利用者さんの期待に、どう答えることができるか。まずそこを構築することから始める必要があります。

 今まで病棟という箱物があったから考えなくて良かった、「私という看護師は一体何者か」ということを日々考える必要が出てきます。病棟であれば自動的に構造ができていましたが、地域ではそこから作り上げていきます。そのためかえって私が利用者さんに教わることも多い日々を過ごしています。

 そう言うと情けない話ですが、考えてみれば当たり前の話です。私は病気の一般的な共通項については少し学んでいますが、あなたという一人の人間については、全く知らないんですから。縁があって訪問看護を利用して頂いている、そして利用し続けてもらえている利用者さんについて教えてもらい、考えるのは当然のことですね。

 だから、精神科訪問看護師がお伝えできるのは「提案」までなのかなと感じます。病棟でやっていたような「助言」「指導」なんてことは大変取扱い注意の技法だと感じています。

 

2)高いケアの精度が求められる

 次に感じたことは、求められるケアの精度の高さです。精神科のケアとは、コミュニケーションです。コミュニケーションの精度の高さが病棟よりも大きく求められます。

 印象では、病棟のほうが急性期症状も出ておりコミュニケーションに注意を求められるように感じますが、実は病棟では「患者さんが看護師に話を合わせていた」んじゃないかと振り返って思います。「一日でも早く退院したい」という思いゆえに。そのことは、以前ご紹介させていただいた「この地獄を生きるのだ」でも語られていましたね。

sakatie.hatenablog.com

 地域では、利用者さんが看護師を選ぶ、というとロシア的倒置法ですが一部真理も含まれているでしょう。決して「言い放つ」ということは許されません。それが善意であれ、悪意であれ、癖であれ。

 例えば。訪問看護の30分間、良いように話ができ、ではまた来週とお互いいい雰囲気で訪問を終えようとしていたとき、帰り際に「また来週も本のこと教えてくださいね」なんて言って訪問を終えたとします。来週訪問に来ようと思ったらキャンセルになった・入院された・そっけない態度だった、ということもありえます。

 もしかしたら利用者さんは最後の一言が頭に残り、いろいろと本を調べたりして精魂尽き果てたのかもしれません。「あの看護師は教えろ教えろと、立場がおかしいだろ」と感じたのかもしれません。本当は、本の話がしたいわけではなく別の話がしたかったのかもしれません。たった一言で1回の訪問看護の意味合いや質が変わってきます。

 こういう場で常々求められるのは、メタ視点なのではないかと今感じています。自分と利用者さんが話している場面から一歩引いた自分を置き、「さて、この今話していることは利用者さんにとってどういう意味合いがあるのだろう・どんな価値があるのだろう」「私がこの話をする目的・意図はなんだろう」ということを、病棟以上に、30分常に考える必要があるように思っています。そうでなければ、それこそ訪問に来ている意味がありません。

 地域では、その水準程度の看護は常に求められていると感じます。

 

3)覚悟も必要

 覚悟とは、諦めるということではありません。覚え悟るということです。では何を覚え悟るのか。それは、利用者さんの人生は利用者さんのものだということです。

 ときには利用者さんは医学的には推奨されるわけではないことを選び行っていくことも多いです。今の所よくある体験としては「拒薬」ですね。

 「拒薬」という言葉も大変医療者都合でイケてないなあと思います。利用者さんが「これはいいな、これはよくないな」という実感のもと、もしくは考えのもと主体的に選んだいる選択ですから、単に拒薬と言うのはその人を拒否しているようなものに感じます。

 ただ、それと同時に看護師としては医師の指示の下動いているわけですから、その医師が処方しているものを適切に内服してほしいという我欲が出てくるのは当然です。だから、私もはじめ、「先生の処方されているものですから、まずは飲んでから先生に診察のときにお伝えしてはどうですか」なんて呑気なことを言ってしまったこともあります。

 「まずは飲んでから」だなんて言葉には、利用者さんの思いは一切入っていませんね。利用者さんの人生は利用者さんのものなんですが。覚悟ができておらず、医療者の顔ばっかり出てしまっています。 では、覚悟ができている関わりとはどういうものか。

 例えば、「どうしてこの処方されている薬、イケてないんでしょうねえ」や、「助けにならんですか」など、拒薬という行動に着目するだけでなくもうちょっと広い目線で、「拒薬現象」を全体的に一緒に話し合うという方法もあります。

 例えば、「私もあなたが薬を飲んでいる・飲んでいないなんて監視したくないですわ。飲んでなくても全然いいんで正直で行きましょ。攻めませんから。それよりもどう生活を充実させていくか考えましょうよ」と、内服が求める先の部分に着目するという方法もあります。

 利用者さん一人ひとりで答えが違うので、こうだという答えは出しにくい。薬が飲めていな事実が嬉しいことであるわけでもない。そういう狭間に飛び込んでいく覚悟。自分のコントロール欲を外していく覚悟。そういうものを大変強く求められていることを日々感じています。

 

4)病棟と地域で違う「ストレングスに着目する」という言葉の意味

 病棟でも「ストレングスモデルで」「ストレングスに着目して」というところで、その人の問題を解決するという構造からは脱した看護計画を立てたり、日々のケアに活かしたりしていました。「絵の得意なこの人と、一緒に話し合って絵のレクリエーションなんかいいよね」「文学の話で盛り上がったし、この人は読書が得意というストレングスがあるな」なんて、思ったりしていました。

 地域に出た今は大変恥ずかしい考え方だったと赤面するばかりです。それは、ストレングスに着目するということとは違う。それは、単に「その人と関わるための取っ掛かり」にしか過ぎません。しかも一方的。

 地域のストレングスはそういったたぐいの考え方ではないように感じています。もちろんまだ数ヶ月の身ですから、「地域のストレングスはこうです!」なんて語れません。ただ、今の所感じているのは、「地域でいうところの、ストレングスに着目するという言葉は、言い換えればその人の人生をいきいきと、どう歩んでいくかを考えていく」ということに近いかもしれません。得意なこといい事だけで終わるストレングスは取っ掛かりには最適ですが、本質ではないように思います。

 じゃあ、一介の看護師が、1週間、10,080分のうちに30分とか60分とかしか関わっていない人が、人の人生をどうこうしてくるのか、という話です。恐れ多いですね。

 ストレングスに着目するということは、1人の人に対して尊重と敬意と、ささやかにに励ましをもって関わっていくということなのかなと思います。「あなたが選んだ選択肢、合っていますよ。今していることは、大丈夫ですよ。」そっと添えていくような関わり。最後には、訪問がなくても何も問題のないように力をつけていくこと。それができるような看護が「ストレングスに着目する」関わりなんでしょうね。

 

5)歴史が浅い

 今のような形で精神科訪問看護が制度化されたのはわずか6年前平成24年のことです。それまでは一般の訪問看護での仕組みを精神科の利用者の方に適応しており、現状のような特別指示による毎日の訪問ができるような仕組みや、退院後の濃厚な訪問看護の提供や、家族支援の公認などはありませんでした。訪問看護の歴史自体が平成2年からの制度化ですから、基本的にこの分野は大変新しく、今訪問している私達がこれからの歴史を作っていくというような世界です。

 余談ですが平成2年のころの訪問看護はどんな時間・方法・回数を訪問しても1回300円の実費をいただくだけというような世界でした。そこから、今のようなきちんとした制度に作り上げていった今の先人たちには頭が上がりません。

 精神科訪問看護の歴史は浅いですから、今年の、2年毎の診療報酬改定と3年毎の介護報酬改定が重なった大改定は、制度がはじまって以来の大改定でしたね。市役所との一悶着があったり、薬局との連携が強化されたり、24時間電話の改定や機能強化型IIIの新設など、大きく物事が動いています。

 当然、すべての動きは地域移行につながっていきます。私達精神科訪問看護師が、人に、社会に、どのように役立って意味立っていけるか。国からの期待と視線が突き刺さります。

 

 このように、精神科訪問看護は大変新しくホットで、柔軟性に富んだ分野です。私達の普段の訪問が今後の精神科訪問看護の形を作っていくことになります。

 だから、日々の訪問には大変な意味があります。私達が利用者さん一人ひとりの人生に意味を持って関われること。役に立てること。人生にうるおいを提供できること。社会に役立てること。地域と連携できること。社会に参加すること。希望を持ち、責任を持って、唱道し、学び、互いに支えていくこと。地域に開かれていくことが求められています。

 

 精神科訪問看護に転属でき、大変光栄に思っています。どうか私が利用者さんの、社会の役に立てるように。日々願い、看護をしています。これからも精進していきますね。