精神科看護「まごころ草とばいきん草」

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精神科看護に関する自分なりの覚書

もしも「死にたい」と言われたら 自殺リスクの評価と対応 松本俊彦 感想

もしも「死にたい」と言われたら  自殺リスクの評価と対応

もしも「死にたい」と言われたら  自殺リスクの評価と対応

 

 

 精神科と自殺は切っても切れない関係です。

 

 「死にたい」「消えてしまいたい」「逃げたい」「いなくなりたい」

 

 病棟でもそういう声は全く珍しくありません。

 自殺願望に関する統計は様々ありますが、ある統計結果によると、4人に1人が本気で考えたことがあると出ています。

www.huffingtonpost.jp

 この統計結果はつまるところ、

 「死にたい」という思いを抱くことは何ら異常なことでも不思議なことでもないということを表しています。

 ちなみに4人に1人と言うと、スギ花粉症の人の割合や65歳以上の割合、BMI25の人の割合くらいです。あなたの周りに花粉症の人や、お年寄りの方、太っている人等々いますよね。その人たちと同じ割合くらい、「死にたい」と本気で思った事がある人がいます。

 

 ですが、実際に自殺既遂となった人の割合は年間3万人ほど。日本全人口の約0.02%。「死にたい」と本気で思ったことがあっても約0.02%人しか実際に行動に移していません。それはなぜでしょうか。

 

 それは「死にたい」は「死にたいほど辛い」であり、なんとかして「生きたい」と思っているからなのではないでしょうか。私はそう思い、患者さんから「死にたい」と告白をしてもらえたときには、「死にたいほど辛いんですね・・・」とお返しし、一緒に何が辛いのか、どうすれば良いのか、対話を繰り返していました。

 

 だけれども、時に死にたい気持ちを教えてもらえることもできず、自殺既遂されてしまう方もいます。複雑な思いが心に刺さります。

 

 もし「死にたい」と本気で悩んでいる時に、頭ごなしに「自殺なんていけないことだ、倫理的に間違っている」だなんて言われたら困ります。じゃあ、人に声をかける時にはなんていうのが良いんだろう?

 また自殺企図があるかもしれない人にどうやって関われば良いんでしょうか?自殺したい気持ちはありますか、とストレートに聞いて良いのか。聞いてしまったことで自殺企図が強化されないだろうか。

 

 「死にたい」と言われたら、なんて応えるのが良いのでしょうか・・・?

 

 その悩みについて科学のアプローチでまとめられているのが本著です。著者の松本俊彦先生は国立精神・神経医療研究センターで依存症について研究されていますが、10年間自殺についての研究もされていた方です。

 

 先生の文章は軽快で読みやすく、わかりやすいです。ヨミドクターでも連載がありましたので載せておきます。

yomidr.yomiuri.co.jp

 

 本著はわずか130項ながら濃厚に、全6章で展開していきます。

 

第1章 人はなぜ自殺するのか?

第2章 隠された自殺念慮に気づくには

第3章 自殺企図の評価と対応

第4章 非自殺性自傷に対する精神療法

第5章 過量服薬の理解と予防・対応

第6章 心理学的剖検から見えてきた自殺の危険因子

 

 この記事ではそれぞれの章に沿って、じっくり振り返りたいと思います。

 

第1章 人はなぜ自殺するのか?

 ヒトは生物であり、生存欲求があり、種の保存の本能があります。本能的に死を選ぶ事はありません。原始的な部分で死に対する恐怖感や自分の身体を傷つけることに対する抵抗感があります。

 その為、人が自殺行動を起こすのには自殺に対する心理的なハードルが下がるプロセスが必要と考えられ、Joinerは2009年、自殺の対人関係理論を展開します。自殺を行動化するためには3つの準備状態が必要であるとされ、その3つとは自殺潜在能力の向上、所属感の減弱、負担感の知覚の3つと言われています。

 

・自殺潜在能力

 自殺潜在能力とは、「怖がらずに死を凝視する能力」といいかえることもできるであろう。

 自殺潜在能力は、身体的疼痛への抵抗感の低さや慣れを反映しており、その値は蓄積していきます。

 例えばリストカットを例に挙げると、はじめは軽く切っただけですーっとする効果が得られたとしても、繰り返していくうちに痛み刺激の閾値が下がり、より重篤に切らないと同じ効果が得られなくなってくる仕組み。これと同じだと述べられています。

 また、自傷だけではなくスポーツでの外傷や喧嘩、はたまた他者の身体損傷や疼痛の体験に遭遇したり、他者の死を目撃したりすることでも高められる可能性があるとJoinerらは指摘しており、医療関係者における自殺死亡率の高さを説明する理由の一つとなるかもしれないと述べられています。

 この値は介入により容易には減少しません。多くの時間と対策が必要です。もちろん介入は必要で、治療対象とするものですが急性的な希死念慮の出現時には次に上げる2つに対して関わることが肝要です。

 

・所属感の減弱

 所属感の減弱とは、現実に人とのつながりがなく、孤立している状態を意味するとともに、「自分の居場所がない」、あるいは「誰も自分を必要としている人などいない」という主観的な感覚も含んでいる。

 所属感の減弱は客観的事実もさることながら、当事者の主観的な感覚が重要な部分になっています。

 残念ながら精神科治療やカウンセリングなど心理学的な援助を受けることに対する偏見もまた社会からの孤立感を惹起させ、所属感の減弱を引き起こしていることもあると述べられています。単純に医療機関にかかることは自殺念慮解決のマスターキーにはなりえません。

 職場・学校でのいじめ被害やパワハラ、被虐待や単身、社会的な引きこもりの状態であったり、自分にとって価値あるものを喪失して生きがいを失うことも所属感の減弱に繋がります。

 病的な歪んだ認知から「自分のことを誰もわかってくれない」と思う感覚からも所属感の減弱は起こりえます。

 

 すなわち、所属感の減弱は誰でも普遍的に日常的に起こり得る事になります。

 

・負担感の知覚

 負担感の知覚とは、「自分が生きていることが周囲の迷惑になっている」、あるいは、「自分がいないほうが周囲は幸せになれる」という認識を指す。これが自身の存在に対する羞恥の感情や罪悪感、激しい攻撃性を生じさせる。

 負担感の知覚は、自分の存在に対する罪業感や家族が自分に対してどのように思っているかを知った時に現れる感覚で、これもやはり誰でも普遍的に日常的に起こり得ることです。

 重篤な例では自分が死んで生命保険のお金が降りれば家族の生活は楽になるはず、という認識や自分が家族の足手まといになっているという感覚も、負担感の知覚とされているようです。

 

 

 こういった3つの項目に対し、すべて関わることは当然なのですが、優先順位としてはまずは所属感の減弱に対して関わることを本著で提案されています。逆に言えば、3項目すべてが満たされた状態でなければ当座を凌ぐことができるわけです。

 かと言って所属感の減弱が容易に解消しやすいかといえばそういうわけではありません。例えば失業してしまった人にすぐに仕事を提供する力は、当然私たちにはありません。ではどうするか。

 

 非常に泥臭いのですが、個別性に合わせた対応と言うかたちになるそうです。

 継続的に医療に関われるようにお願いをし、来てもらえればそのことをねぎらい、感謝し、患者さんと話をする際には説得よりも相手の言葉を繰り返すこと、十分話を聞いた後趣旨を要約し、生きたいと望む部分に着目しお返しすること、疑問や反論に快く応じできるだけ自己決定の原則を侵犯しない態度を取り続けることと述べられています。

 また、ケースワークとしては濃厚な医療を提案し、多く面接をすることや自分が社会や周囲の人の役に立っていると実感できるようなものの提案(本例では老人ホーム入居者に鉢植えの世話に責任をもたせるとしたところ、優位に死亡率が低下したそうです)等、その人に合わせた関わりを見ていくことをしていくとあります。

 

 私たち医療者が患者さんにとって害になることだけは避けなければなりません。批判、議論、説教はしないことは大原則のようです。

 

第2章 隠された自殺念慮に気づくには

 自殺念慮は基本的にオープンにされません。もし、「死にたい」と言ってもらえたならば、それは告白する勇気を持てたということです。その勇気に感謝をし、お返しする事が必要でしょう。

 衝動的な自殺もありますが、計画的な自殺もあります。計画を立てたものの72%は実際に自殺企図に及んでいたという、Kesslerらの大規模疫学調査があります。

 ですが、臨床ではしばしば矛盾した事態も発生しています。特に自殺念慮を一言も漏らさないまま、ある日青天の霹靂のように自殺をする人。逆に、執拗に自殺念慮を訴えながらも何年も外来通院を続けられている人。

 そのどちらも自殺念慮があることは事実ととらえ、介入によって首の皮一枚つながっていたと本著では解釈されています。

 

 自殺未遂となった人は、更に自殺念慮を隠します。「もうしません」と、退院し、そして今度はより確実な方法を選ぶ。残念ながら、Isabelle.Mらの研究によると、退院後2週間以内で自殺の55%が遂行されているという結果が出ています。

http://ps.psychiatryonline.org/doi/full/10.1176/appi.ps.201200026

 

 ではどのように関われば良いのでしょうか。

 様々な有用な対話技法が本著で紹介されていますが、当記事ではShea氏のCASE(Chronological Assesment of Suicide Event)が現実に即しており、治療的なものの一つだとして解説されていましたので、こちらを紹介します。

 

 ちなみに対話技法は以前の記事でも挙げたこの本が非常に端的で網羅的でおすすめです。白衣のポケットにも入るのでよければ参考にしてください。

sakatie.hatenablog.com

 なおShea氏はTISAという団体を立ち上げており、自殺予防のための査定技術を技法として昇華し、ワークショップなどをしているようですね。

suicideassessment.com

 CASEは4つの時間軸に分けて自殺について深く患者さんと対話をするツールで、自殺に至るトリガーや自殺を踏みとどまらせる事象を一緒に発見することができるものです。

 CASEの原文は以下のサイトのDownload free pdf Journal Article on the CASE Approachにあります。本著はそれをわかりやすく訳してもらえていますが、必要であれば参考にしてください。

The CASE Approach - Suicide Assessment

 

情報領域1(自殺未遂に至るまでの直近の期間)

 ここでは現在の出来事について話をします。

 今回の自殺の手段・方法や致死性の予測、どのような外的ストレッサーが関与していたか、など10項目を丁寧に話をしていきます。これにより自殺に対しての考え方や現在の感覚等を振り返ります。

 

情報領域2(自殺未遂より2ヶ月前までの期間)

 ここでは近い過去の出来事について話をします。

 どこまで具体的に自殺計画を立てたのか、どの程度まで実行できて、時間はどの程度かかったのかを聞いていきます。

 この項目では患者さんの「つらい」という心理的苦痛が「死にたい」という自殺念慮に変化したプロセス、あるいは自殺を計画しながらも思い直したり、実行を延期したりというプロセスが明らかになっていきます。「危険因子」と「保護的因子」が見えてくると言われています。

 

情報領域3(自殺未遂より2ヶ月以上前の期間)

 ここでは遠い過去の出来事について話をします。

 上記2つの領域は十分に時間をかけて対話をする必要があるため、この項目は濃淡を少し薄くして関わります。

 これまでに自傷行為や自殺企図を何回したことがあるか、今回と以前との比較やどういう違いがあったかなどを話し合います。

 

情報領域4(今後について)

 最後にここでは差し迫った出来事について話をします。

  今までの対話で、患者さんが医療者を受け入れてもらえたならば、率直な心の中を打ち明けてもらえると思います。ここで初めて、次に死にたくなったときの対処法について質問をしたり、再び自殺を考え始めたとしたらどうするかを問いかけたりすることができるようになります。

 おそらく、この1度の対話だけで解決はできませんが、もしここでラポールが形成されたならば自殺企図について一緒に治療同盟を結ぶことができるようになると述べられています。

 

 

 ここで見出した、いわばストレングスやトリガーを見出し、対処を考えたりしていくことが大切なプロセスです。自殺念慮は文字通り命にかかわることです。よく学び、臨床でも使えるようにしなければなりません。

 なお、「自殺しない約束」は明確なエビデンスはなく、約束をしたとしても何も安心はできないことを本著では明記されています。

 

第3章 自殺企図の評価と対応

 自分を傷つける行動、例えばリストカットや過量服薬などは自殺企図があるかどうか等の鑑別のポイント等がわかりやすくまとめられています。一言で表すなら「意図と見通しの程度」にとって評価できるようです。第2章でもアセスメントについては項を割かれていますし、感想として「対応」の部分について伝えたいと思います。

 

 対応の極めつけは、「聴くこと」と「質問すること」のようです。自分の考えや信念を「伝えること」ではないと明記されています。

 思いについて具体的に教えてもらい、質問し、聴いていくことによって自殺念慮の背景にある問題を明らかにしていき、ひとつひとつ医療で対応できるかどうかを考えていく必要があると述べられています。

 その対話の中で、一つ大事なポイントを挙げられています。

 (希死念慮を抱くほどの困難や苦痛を明らかにすると同時に、)「それほどの困難や苦痛を抱えながらも、なぜこの人はこれまで死なずにすんだのか」について考えをめぐらせることである。これは、本人が抱えている自殺の危険因子に拮抗する、一種の「保護的因子」を同定する作業であり、その作業から得られた情報が、本人に自殺行動を思いとどまらせる際の材料として使えることもある。

 これを明らかにしてお返ししていくことが、治療的な関わりです。これが一つの自殺に対する対応の答えだと思います。

 ほかにも、この章では唐突な「死にたい」という訴えや口癖のような「死にたい」に対する考え方についても述べられており、学びが深まります。

 

 自殺企図の対応として、精神科病院への入院という方法も考えられるかと思います。しかし、単に入院するだけではなんの意味もありません。

 ChilesとStrosahl(2005)は、「精神科病院への入院が自殺を減らすというエビデンスはなく、自殺は、他のいかなる施設よりも、精神科病棟と刑務所で起きている」と述べている。Joinerら(2009)もまた、精神科病棟入院中に自殺した患者の約半数が、入院した最初の週、もしくは退院した最初の週に自殺していると指摘している。

 と本著にもあります。

 

 では、入院する意味はなんでしょうか?

  それは入院によって安全を確保した状態で、家族内葛藤の調整などといった包括的な介入や環境調整、疾病の治療、負担感の知覚と所属感の減少に関する誤った思い込みを訂正する機会を得ることだと述べられています。

 単に入院するだけでは何も安心できません。十分な関わりが不可欠です。

 

第4章 非自殺性自傷に対する精神療法

 第1章でもすでに伝えたとおりですが、自傷行為そのものが自殺潜在能力を高め、その時その時の自傷が非自殺性であったとしても自殺へのステップを踏んでいるということが、科学的な事実です。

 ではどのような対応をすれば良いのでしょうか?自傷をやめさせれば良いのでしょうか。

 

 当然それは違います。自傷行為は問題対処行動として選んでいる行為であり、いわば「生きるために切る」ことです。これを唐突に取り上げられてしまえば、それこそ死んでしまいます。

 大切なのは、自傷の肯定的な側面に目を向けることである。どんな自傷にも肯定的な面は必ずある。たとえば、つらい感情を誰の助けも借りずに緩和すること。もちろん、誰かに相談できれば一番よいわけだが、それが困難な場合、「生き延びるため」の自傷は最悪な選択ではない。「そうか、自傷するとつらい感情がおさまるという効果があるんだね」と、ひとまずその肯定的な効果を承認し、そのうえで、「そうやってつらい毎日を生き延びてきたのか。本当に大変だったね」とねぎらって、自傷ではなく、「困難を生き延びてきたこと」に肯定の力点があることを伝えればよい。

 とても綺麗に端的にまとめられている名文だと思います。本当にそのとおりだと思います。

 このことを伝えつつ、やはり自殺潜在能力を高める危険性を懸念し、代替法を一緒に考えていくということが治療的だと話が進んでいきます。

 例えば赤のマーカーで腕をガーッと赤く塗ることや、マインドフルネスを行うこと等を伝えつつ、自傷トリガーを発見するため、一緒に行動記録表を進めていくと言った方法を伝えています。

 

 話は少しずれてしまうのですが行動の作用と副作用、代替方法と言った考え方は、WRAPと同じだなと思います。本当にWRAPは優れた考え方だなと感じます。

 WRAPでも元気になる道具箱の道具ひとつひとつに効果と副作用を考えたりするワークがあります。例えば、グミを食べる行動は食べるとほっとする代わりに食べ過ぎると太るとか。そんなことを思い出しながら読んでいました。

 

 この項目はさすが松本先生の専門領域だなという感想で、非常に端的に自傷行為に関する事柄がまとめられ、対応についてまで述べられています。ぜひ読んでみてください。

 

第5章 過量服薬の理解と予防・対応

 過量服薬を行った人の半数以上は、実は「死にたい」から過量服薬を行ったというよりも「つらい気持ちから開放されたかった」という理由で過量服薬を行った人が多いという研究結果があります。すなわち、そうなる前の対応がきちんとされる必要がある事の何よりの証です。自殺に進まないように、対話がなされるべき状況だといえます。 

 

 実は、年々自損行為(自傷行為のこと)によって救急搬送される人の数は増えているそうです。それに対して痛烈な指摘が本著でされています。

 「1998年以降、自殺対策の必要性が叫ばれるなかで、一種の『精神科に行こう』キャンペーンが展開されるようになり、多くの国民が精神科に受診するようになった。そして、その結果、精神科治療薬を入手する国民の絶対数が増加し、皮肉にも過量服薬も増加した」という可能性である。

 すなわち、精神科医は「白衣を着た売人」と呼ばれかねない状況であるというわけです。

 救急外来の看護師からも、精神科への目はどぎつく向けられています。真摯にこの問題に向き合っていかなければなりません。

 

 第5章は概ね内服薬処方が自殺の道具を渡している危険性を指摘し、警鐘を鳴らしている章です。まずは内服薬の見直しや危険性のある薬を処方する際のリスクマネジメント等を指摘しています。

 幸い、本著が発売された翌年の2016年、ベゲタミンA・Bともに生産が終了し、致死性の高い薬の一つが選択肢から除外されることとなりました。それでも、ベンゾジアゼピンの依存性やフライング処方、無診療投薬の問題は以前存在しています。まだまだ甘い、と言わざるを得ない状況です。

 

第6章 心理学的剖検から見えてきた自殺の危険因子

 第6章では心理学的剖検(Psychological Autopsy)という研究手法の特有性とそこから見えてきたことをかんたんに述べられています。

 1985年、ロサンゼルス自殺予防センターのShneidmanが心理学的剖検という手法を作り出し、そこから自殺既遂者には「精神痛Psychache」と「心理的視野狭窄Constriction」が持続的に共通して存在していることを明らかにしました。他の研究とは違い、遺族や同僚、友人、主治医等に自殺前の言動を詳細に聴取し、故人の「意図」を検証することで小規模で、正確性が高く、原因及び背景が見えてきやすい面がある。その反面遺族などにも話していなかったことは、当然わからない、というものです。

 この研究についての特性や効果については本著が語る以上には私は感想を伝えられませんのでこの程度にしますが、日本でも心理学的剖検を行った結果、やはり原因だろうと思われていた精神痛や心理的視野狭窄は確かに自殺の原因だと同定されました。

 ほかにも男性うつ病患者さんでは自殺既遂者は有意に「休職取得」や「自立支援医療制度の利用者」が少なかった、すなわち環境調整が不十分であったことが明らかになっています。

  また睡眠障害も大きな自殺原因の一つになりえます。

 睡眠障害の存在は、自殺リスクを21.6倍も高めることが予測され、そのオッズ比は気分障害精神障害で調整後もなお高かった。このことから、睡眠障害うつ病などの精神障害への罹患とは関係なく自殺に関連していると考えられた。

 と、従来は「睡眠障害うつ病=自殺罹患率の高さ」と考えられていたものが「睡眠障害=自殺既遂リスクの高さ」と、睡眠と自殺が直結した問題だということが明らかにされました。

http://www.sleep-journal.com/article/S1389-9457(14)00072-0/abstract

 

 一応当ブログでも睡眠障害について「シャッフル睡眠法」を対策の一つとして提案しています。良ければ参考にし、活用できそうであればおみやげとして持って帰ってください。ただ、本当にお辛い時は、命にかかわることですからぜひお近くの医療機関に受診してほしいと思っています。

sakatie.hatenablog.com

 

最後に

 はじめに、より

 要するに、自殺リスクの評価と対応という、文字通り「命にかかわる」重要な仕事を、ほとんど「直感」や「常識の延長」で行っている精神科医療関係者は、想像以上に多い可能性がある。はたしてこのような状態で、かかりつけ医から紹介された患者や、救命救急センターから診療を依頼された自殺未遂患者の自殺リスクを正しく評価し、適切に対応することができるのであろうか?

 これからの自殺対策は、単に「精神科につなぐ」だけでは不十分であり、「つながった後の精神科医療の質を向上させること」こそが重要な課題となる。

 

 と辛辣に述べられています。残念ながら看護師もまた、自殺リスクの評価と対応を系統立って正しく学んできていません。少なくとも恥ずかしながら私は、本著を読むまで「直感」や「常識の延長」で「命にかかわる」重要な仕事、つまり自殺念慮の対応を行っていました。

 特に医療関係者ではない方からすれば、びっくりすることかもしれません。ですが、これが事実です。私たち医療関係者は自殺について科学的に学んでいないものも存在するんです。中には、自殺念慮を「直感」や「常識の延長」で関わっており、場合によっては「説教」や「叱責」をする医療従事者さえ、いるのです。

 

 もし、この記事を医療関係者ではなく、死にたいと考えている人が読んでいるとするならば、Google検索やYahoo!検索で「死にたい」「自殺したい」と検索をすれば、命のホットラインが表示されます。まずは電話してください。

 

 そうやって単に、いのちの電話を薦めて終わらせるだけではこの方が仰ったとおりだと思います。

kojishi.hatenablog.com

 それでも、私は、電話をしてほしい。何もその場で解決はしませんが、様々な不安を聞いてくれる人がそこにはいます。場合によっては私たち看護師よりも、聴くという点ではプロです。

 そして、電話に続けて医療機関にかかってほしい。投薬が不安であれば、そう相談してほしいし、病気であることが受け入れられないという思い(当然だと思います)が去来しているのであれば、生活の困りごとの相談、例えば「眠れない」という点だけ治療してもらうつもりでも良いと思います。

 とにかく、孤独で過ごすことだけは避けてほしい。そう思っています。医療機関で思ったような対応をしてもらえなければ、そのまま感じたことを主治医に伝えてほしい。中井久夫先生も伝えていることですが、患者さんが薬の良し悪しを言ったり、作用副作用について注文をつけたり、わがままを言ったりすることが、実は最も協力的な関係です。感じたこと思ったことはどんどん伝えてください。

 

 「死にたい」と考えている人は、最後の最後まで悩んでいます。残念ながら私がインターネット上でできることは、いのちの電話をおすすめし、医療機関に掛かってほしい、主治医に感じていることをそのまま伝えてほしい、ということをお勧めすること。たったこれだけです。

 

 「死にたい」は「死にたいほど辛い」です。その辛さを少しでも和らげることができるならば「本当は生きたい」と思っています。まずは相談してください。

 

 また、医療関係者はタブー視せず、今一度自殺について考えてほしいと思っています。私も自分の考えや行動について、本著をきっかけに振り返り続けたいと思います。

 

 本著は項数も少なく専門書の中では価格も安く、手に取りやすい一冊です。必携。

もしも「死にたい」と言われたら  自殺リスクの評価と対応

もしも「死にたい」と言われたら  自殺リスクの評価と対応