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精神看護「まごころ草とばいきん草」

精神看護に関する自分なりの覚書

看護研究についての自己学習ノートその1

 

看護における研究

看護における研究

 

 看護研究といえば、この本が名著でしょう。とりあえず買っておくことをお勧めします。圧倒的内容量と整理された内容、豊富な実例と、これ一冊あれば網羅されています。この本で分からないことがあれば、初めて他の本に行ってもいいんじゃないかなと思えるほど、充分です。

 

ここ数週間の検索ワードを見ていると、看護研究を調べている人が多かったです。

やはり3月は新編成の時期ですから、どこの病院でも看護研究も指名されちゃうんですね。

私も今の病院でも看護研究の指名がされたので、自己学習を兼ねて記事にしていきたいと思います。

私の力量不足で無意味な記事になるかもしれませんが、上記名著を参考にしつつ、ざっくりと看護研究について紹介したいと思います。

 

まずはこの記事では、

【看護研究って何したらいいの?】

を、伝えていければなと思います。

 

・何が求められているか

はじめに、看護研究と言ってもめちゃくちゃ幅広く、定義を決めておかないと大変なので、ここでは 【病院勤務の看護師さんが、教育ラダーなどで看護研究を行う】 とします。例えば卒論であったり、科研費を取って研究をしたりなどといった話は省きます。

そうすると、論文のレベルは原著論文まで行ければいいのですが、研究報告や実践報告レベルでもいいのかなと思います。あくまでも何かを実践、または調査を行っていくことが求められていると思います。

(論文のレベル参考:論文投稿について|一般社団法人日本看護研究学会

つまり、何かを計画して、実践して、報告を行うという一連のレポートが出来ることが求められていると考えられます。

 

・何をテーマにすればいいのか

基本的には普段実践していることをテーマにすればいいのかなと思います。普段実践していることで、さまざまに疑問が出てくることはあると思います。例えば、どうして怠薬ってしちゃうのかな、みたいな簡単なことでいいと思います。

大切なのは自分が本当に疑問に思っていることをテーマにすることです。看護研究は様々に文献を調べたり、長いこと調査をしたり、文章を推敲したりすることが多く、根気の要る業務です。だから、はなから興味のないテーマだけは選ばないようにしたほうがいいと思います。

今まで私がテーマにしたものだと、「地域で暮らしている疾病を有する方の怠薬に至らない要因について」と「看護師の就労継続要因について」というものがあります。

怠薬について、は怠薬によって状態悪化して再入院をする、という流れが多く、怠薬の要因はコンプライアンスの低さや面倒くささ、スティグマがあるという理由がある事は調べたら分かったのですが、怠薬せずに頑張っている人の要因についてはあまり調べてもわからなかったのでテーマとしました。

看護師の就労継続要因については、一般企業と比べて看護師の離職率14%というのは実はちょっと低めで、辞める要因については多く語られますが、続けている要因については実態があまり分からなかったのでテーマにしました。

テーマは、なんだか疑問に思ったことにするほうがいいと思います。

 

・だいたいどんな感じで看護研究は展開していくのか

スケジュールなんですが、参考程度に私が前にやったものだと、

4月5月 テーマを決めて予備調査(文献を調べたり論文を調べたり)

6月 予備調査でも分からなかった部分について研究計画実施

7月8月 アンケート作成・各部署に挨拶をして配布

9月10月 アンケート集計・統計データに落とし込む

11月12月 統計データ考察、論文を書き始める

1月2月 論文推敲(だいたい9回くらい文章を作り直した)

3月 発表原稿作成・発表

って感じでした。割と1年あったとしても結構タイトですし、普段の業務や他の委員会の事、係の事なんかも同時平行になりますから、なるべく早め早めに看護研究はやっていったほうがいいです。実際、複数人で看護研究をすることが多いと思いますが、上記のスケジュールで毎月1回か2回程度しか集まれませんでしたし、その間各自が宿題ということで作業の分担をしたり、そのすり合わせをしたりとなかなか忙しいです。

 

・研究計画書について

各病院で色々雛形はあると思うのですが、

1)研究テーマ

2)研究の動機

3)研究の背景

4)目的

5)意義

6)研究方法

7)文献

8)作業計画

という感じで研究計画を埋めていけばいいのかなと思います。

この記事では、看護研究って何?って所をふわっと紹介しただけでしたが、

次の記事からはこの研究計画書について一つずつ解説できればなと思います。

 

続きます。

京大のシンポジウムに参加してきました -イヴジネストさんのユマニチュードを軸に-

「孤立防止のための自助・互助強化プログラム開発」プロジェクト 2016年度シンポジウム 認知症ケアを問い直す: 人間らしくあるということ -ユマニチュード- — 京都大学

知人の紹介でこんな素敵なシンポジウムがあることを知り、参加してきました。

感想を書いたのちに、内容を載せていきたいと思います。

先に内容を書いたらそれだけで6000文字越えました。会が13時から17時過ぎまであったのでね・・・。

 

1)本田美和子さん

ユマニチュードの簡単な紹介と、現在研究されている内容についての言及がありました。個人的にうれしく思うのが、発達障害児にユマニチュードを使用するという研究と、2時間だけの講習を受けた家族を3ヶ月追跡したものでした。

体感的に思うのですが、ユマニチュードの技術は認知症の高齢者だけに適応されるものではないと感じています。一番の理由はユマニチュードが常に送っているメッセージが「あなたのことを大切にしていますよ」と、相手にわかるようにしていること。それは認知症の高齢者だけに求められているものじゃないと思います。精神科でも求められています。だから、ユマニチュードの形式的な部分というよりも哲学的な部分で活用できるんじゃないかと思っています。アイコンタクトによってオキシトシンの分泌が増え、コミュニケーション能力の改善などにつながるという研究結果も出ていますしね。発達障害オキシトシンの関係も深いものですし。大切なことの一つと思います。

これからもぜひ研究を続けていただきたいと思います。

 

2)イヴジネストさん

写真や映像の見た目どおりです。なんだかちょっとマスコット的で愛らしい、という第一印象。

講演の内容は、著書と大きくずれたことはなく、どれも大切で納得のいくことです。ユマニチュードの経緯や意義、方法、効果などを映像を交えて90分話していただけました。

実際に目の前にして同時通訳のフランス語ではありますが、講演をしてもらうと、伝わるものがありますね。本を読んでいるだけでは感じられない気持ちや感覚を持って帰ることができました。

内容としては特に響いたのが哲学的な面でした。フランスはご存知の通り自由・平等・博愛の国です。それはユマニチュードにも息づいています。思ったとおりのことを出来るということ、人権的にかかわってもらうということ、博愛の精神を持って慈愛的にかかわってもらうということが大切と繰り返し話されていました。人権という言葉も、フランスが発祥と仰られていました。

ユマニチュードはフランスで40年ほど行われているもので、日本にきたのは2014年から。まだ3年程度しか経っていませんが、少しずつ浸透しているようです。ユマニチュードは技術的なかかわりの部分だけではなく、文化的にどういう意味のある行動か、ということを考えていく必要があります。乾杯、と言って杯を渡せば飲みますし、うれしそうな笑顔で挨拶をすれば、敵意のないことが伝わります。

文化的に、社会的に日本ではどのようにかかわっていくのがいいのか、ということが今後の模索課題になるかもしれません。

イヴさんは言っていましたが、認知症患者は物陰に隠れて私たちを驚かしたり、暴力を振るったりしてやろうという計画性はないといいます。計画性、時間が失われた病気だからです。もし攻撃的になっているのなら、それは私たちの関わりの中に行動の種があったということになります。師として学んでいく態度が大切と伝えていました。

 

3)医療福祉学からみたユマニチュード

ユマニチュードが何故いま受け入れられているかということを考えられ、その結論が、認知症のケアの現場では充足感がなく、まるで砂漠のようであり、ユマニチュードはその中のオアシスとなりえるということが指摘されており、なるほど確かにその通りだなと感じました。

オレンジプランの中で、認知症患者の介護者へのケアや技術の提供が必要といわれていますが、ユマニチュードはそれになりえるのではないかという指摘がありました。確かにその通りで、他にもいくつかの方が言われていますがユマニチュードをすることによって、ケア提供者自体も充足感を得られ、成長につながることやバーンアウトが防げることが明らかになっています。とても意味のある事といえます。

 

4)心理学からみたユマニチュード

内容もとっても良かったんですが、とにかく印象に残ったのが、本田美和子さんがほぼ日の著者の一人だったという情報です。帰って調べてみると・・・。

ほぼ日刊イトイ新聞 - お医者さんと患者さん。

おお。ほんとだ。ほぼ日書いてる。びっくり。

 

5)情報科学から見たユマニチュード

講演者の方は工学の人で、ケアの見える化の手助けとしてウェアラブル装置の開発について講演されていました。

内容は純粋に面白く、また医療系の世界だけでとどまっていてはこういう情報は得られ難いので、ありがたいなあと思いながら聞いていました。

見える化って難しいですよね。精神科のケアを見える化するなら、どんなことが挙げられるんだろう・・・?

 

そんな感じのシンポジウムでした。更にびっくりなのが、これが無料ということ。京大はやっぱりすごい。また機会を見つけて遊びにいこう。

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以下、シンポジウムの内容を覚書。

 

1)本田美和子さん

まず映像。認知症患者さん、70代くらい女性、本人は13歳とか33歳とかと思っている。

ストレッチャー浴を受けているが叫んでいる。(虐待のようにも見えるシーン)

次に。同じ方。椅子に座ってシャワー浴を受けている。穏やかな様子。

→ユマニチュードのかかわりによってこうも変化が見られるという映像。

 

認知症の有病率は85歳以上では30%を超える。また年齢層も寿命が延びている

認知症高齢者とのかかわりを考え直す必要がある。

 

フランスでは、40年来ユマニチュード技術が作られている。日本では本田美和子さんが取り入れ、2013年には新聞で紹介された。(当時は魔法の、と言われていたがあくまで技術と反論されていた)

 

日本では現在様々なユマニチュードを活用したかかわりの研究が行われている

発達障害児の適応チャレンジなど

 

ユマニチュードは「あなたは大切な存在」と、相手に理解できる形で伝える技術。

相手だけに効果があるわけではない。ケアする側にも効果がある。

 

宗形初枝氏ほか 2015年5月、日本認知症ケア学会。認知症周辺の問題行動がユマニチュードで減少したと研究結果あり。引き続いてケア担当者が患者の変化に敏感になることがわかった。

別の研究では同発表、伊東美緒氏ほかではバーンアウトスケールの低下が認められた。→すなわちユマニチュードの導入により、ケア提供者はやりがいをもって、より敏感に、能力の向上と就労継続効果が認められるとも示唆される。

 

またフランスの研究結果ではあるが、研修では190万円かかるも、3800万円の医療費削減が実現された(抗精神薬使用率40%低下、救急搬送など緊急対応58%低下となる)。そのため費用対効果は認められる。

 

また家族研究。現在進行形の研究ではあるが。認知症患者を抱える家族に対し、わずか2時間のユマニチュード研修を行い、毎週1センテンスのみはがきで振り帰りを行う(今週は目を見る、みてますか、くらい軽いもの)。その結果を3か月追跡をした結果、介護者が感じている負荷は13ポイントから10ポイントに低下し、BPSDの頻度等の減少も見られたと。

 

2)イヴ・ジネストさん

レスリングをやっていて、スポーツを専攻。患者を搬送や移乗するといったテーマにて病院に行ったが、全く思っていたことと違っていた。病院は健康を取り戻す場所と思っていたが、ベッドに縛り付けている。健康のためには体を動かすべきだが、体を動かさないように指導されている。ケアと称して褥瘡ケアでは、動かないでください、我慢してください、と。カルチャーショックでした。ユマニチュードを導入すると、14年寝たきりの人を車いすに乗せることができます。

 

ここで哲学のことです。フランスでは、人権という言葉が生まれました。みなさんは自由は大切にされていますか。平等であるべきですか。博愛の精神は大切と思っていますか。そうですか、嬉しく思います。では。この中で患者を抑制したことある人はいますか。はい、医療者は100%なんです。(映像:タッチガードをされた認知症患者。マグネットを回しいじりながら「看護師さん、外して!」)これは、先ほど皆さんが大事にされていたことが、哲学が実行されている現場でしょうか。言うは易いが行うのはむつかしいですね。

(入浴の映像。叫んでいる患者、業務を遂行するスタッフ)どうでしょうか。

 

ここで皆さんに質問です。この中に午前2時に患者さんをお風呂に入れたことある人いますか。いませんね。私はあります。その認知症の人はもともと看護師で、夜勤前にシャワーを浴びようと思って私に話しかけてきました。だから時間的には変なことを言っているわけではないんです。ただ、病院の組織的に仕組み的にそれが難しいだけ。

 

逆にみなさんは日中無理やりお風呂に入れることありますね。半ば虐待ともとられるような様相です。ユマニチュードに力を入れた病院では、24時間いつでもお風呂に入れます。食事もとれます。レクリエーションが行われます。素晴らしい。

 

私が本田さんからの希望で日本に来た時、挨拶としてハグをしてキスをしました。するととても驚かれたことを覚えています。

果たしてフランス生まれのユマニチュードは日本で適応できるのでしょうか・・・?不安がよぎりました。(映像。80代女性、認知症。ベッドに寝たきりだったがユマニチュード的関わりによって疎通が見られ、口頭指示で片手をあげられるようになる)大丈夫でした。日本人も人間でした。(笑)

 

【見る】

ユマニチュードの基本で大事なことですが、目を見て話しかけることは本当に大事です。研究結果から、目を合わせることによって脳が刺激され、オキシトシンが分泌されることが分かっています。目を合わせ、ユマニチュード的に関わった時、相手の脳では革命が起きます。様々な化学反応が起こり、脳内はニューロンが活発化。電気信号が激しく駆け巡ります。その結果、今まで想像できなかったような疎通をとり会話をすることが出来るようになるのです。

 

【話す】

また目を見るだけではなく、話しかけることも重要です。ずっと話しかけるんです。ただ、一方的に話しかけるだけでは疲れてしまいますね。だからユマニチュードでは「オートフィードバック」を技術として開発しました。端的に言えばケアの実況中継です。常に行なっていることを話しかけることで話し続けることが可能となります。

 

【触れる】

触れることも大事です。(最前列で話を聞いていた女性を教壇に誘い、)例えば肩に腕を乗せる。これはフランスでは親密さを表し、”友人関係なのかな”と思わせます。

次に腕を絡めます。より仲良さが強調されます。そして手を握る。大切にされているというメッセージになります。ここで、手を絡めると・・・(恋人繋ぎ)。わお。(笑)

ただ注意して下さい。この手をそっと手首を握る形にしますと、罰しているメッセージになります。悪いことをして連行されているようですね。どうもありがとう。

触れることだけで様々なメッセージがあることを理解して下さい。そして積極的に触れてください。

 

【立つ】

それによって立つことにつながります。(映像。80代女性。暴力的。元モデル。最初の映像ではスタッフに暴力的な様子。次の映像ではドレスアップされ階段を登っている。)どうでしょう。その人を見て話し触れることでその人の事が分かり、その人の求めていることが実現できます。(映像。上記の女性がぱっと見亡くなっている様子)たった15分前までこんな状態でしたよ。立つことの意味、わかりますか?

 

日本人でも同じです。水分摂取が十分できない人と聞いたある人。何が好きな飲み物か聞いてみると、ココアだそう。ただの水じゃ飲まないだろうと思ってすぐにココアを2缶買ってきました。それを開け、「カンパーイ!」と繰り返します。8回ほど乾杯をすれば全部飲めました。日本人だから乾杯が水分摂取につながるわけですね。社会的な意味合いです。

人と人とのきずなが大事なんです。人は食べる生き物です。動物とは違い、分け合って食べます。乾杯も同じです。そういう哲学がユマニチュードなんです。

 

人は、生物学的に出産が第一の誕生です。しかしそれだけでは生きていけません。私たち社会の中に受け入れてもらうことで第二の誕生となるのです。見て、話しかけ、触れ、そして自然と立つように・・・ユマニチュードでは、高齢者にそれと同じプロセスを行います。すなわち、第三の誕生をするわけです。

 

ルーマニアでは、ある孤児院の事がニュースになりました。全く愛情をかけられていない子供たちが大勢いました。その子供たちはまるで自閉症のようなそぶりを見せます。脳のMRI画像では確かに脳の萎縮が認められます。この子たちは先天性のものだったのでしょうか。

その後愛情をもって養子として育てられた子供たち。再度脳のMRIを見ると、なんと委縮していた脳が改善していたのです。社会的に愛情をもって受け入れられたことが脳の成長を促したのです。ユマニチュードもそうです。高齢者の脳に、成長を促せます。

 

ユマニチュードの研修を受けると、25人分のコミュニケーション能力が身につけられます。会話、アイコンタクト、触れていること、を数値化した研究結果でそのケアの定量化を現在研究しています。その結果が、ユマニチュード的に関わることによって25人分ものコミュニケーション量に増加したことが分かっています。

 

 3)医療福祉学から見るユマニチュード 清家理氏

ユマニチュードが受け入れられる背景には何があるのか・・・?→認知症の人のキュア&ケアで飢えているものがあるのでは?と考え、行動から結果の見えやすいユマニチュードはやりがい感や自尊感情の充足を得られやすいことから、たとえるなら砂漠の中の「オアシス」なのではないかと提言。

次に政策に言及。新オレンジプランには「認知症の人の介護者への支援」や「認知症の人やその家族の視点の重視」があげられています。ユマニチュードの関わりはそこにも手が届くのではないか。

次にWHO提唱ではadvocating for an evidence-based approachとあり、根拠に基づいた関わりが重要だと述べられています。

現状、病院機能分化が進んでおり、患者さんの個人的な嗜好や「こんな風に関わると嬉しい」などと言った細かいデータは申し送られなくなってきている。その暇がない。

仕事要求度ーコントロールモデルと情緒消耗感のグラフで見れば、仕事の要求度は髙もコントロール感が得られず、現場はしんどい思いをしている状態と考えられます。

研修・教育では医師、看護師、介護福祉リハ系、介護当事者、地域住民すべての人にユマニチュードという関わりが当てはまり、ユマニチュードは全部を網羅できる可能性があることを示唆しています。

ただ、科学的根拠はどうでしょう。ユマニチュードは科学的でしょうか。

だからこそ現在ユマニチュードを研究することによって科学的根拠をもって、上記に述べた可能性を考慮していく段階だと言えるのではないでしょうか。

 

 4)心理学から見たユマニチュード 吉川左紀子センター長

私がユマニチュードを知ったのはほんとに偶然で、ある日本屋をぶらぶらしているとほぼ日で連載していた本田美和子さんの本があって、ファンだったので著者買いしたのがユマニチュードだったということです。

ユマニチュードは心理から見ても本当に優れた対人コミュニケーションの技法と思います。瞬時に察知される視覚、少し時間を経て察知される触覚、それらを統合する聴覚に総合的に関わる方法がユマニチュードです。さらにすべての情報に矛盾やねじれがないことも特徴で、すべてのメッセージがポジティブな情報というのが素晴らしいと思います。

最近心理学でホットなのがポジティブ心理学ですが、ユマニチュードはその実践をしているとも言えます。また、ケアの始まりと終わりをきちんと伝えていることも良いことで、心地よいケアを提供することを繰り返す、という蓄積の体験がそこで生まれることも素晴らしいと思います。さらに良いことはケアする人の心を育てる効果があることも見逃せません。ケア提供者の自尊心感情にも良い効果が認められます。

心理の世界では有名なのですが、生後すぐの赤ちゃんは、親の表情をまねます。顔をしかめるとしかめるし、舌を出すと出します。これ、実は大人でもあるんです。うちの大学生でやっても、実験者が顔をしかめると被験者も顔をしかめます。実験者が笑顔になると被験者も笑います。(映像)どうでしょうか。大人にもこの共鳴・共感力を持っているわけですから、ユマニチュードのポジティブな関わりはそこに影響を与えているともいえるのではないでしょうか。

 

5)情報科学から見たユマニチュード 中澤篤志

イヴさんの講演の最後の方にもありましたが、私が関わっているのはケアの定量化です。元々画像の畑ですから、アイコンタクトの定量化に着手しています。ウェアラブル装置を開発し、目が合っていることをアルゴリズム機械学習で認識し、ジャイロセンサーで視線の角度を検知するという機械を試作しました。その結果非ユマニチュード技術者とユマニチュード技術者で明確なアイコンタクト回数の違いや視線の高さに違いが生まれました。確かにユマニチュード技術を学んだ人は述べられている通りの視線結果になったりしますし、また装置の確からしさが確かめられることとなりました。

工学的な面からはこのようにユマニチュードと関わっています。

 

6)質疑応答

1-攻撃的な人に対してユマニチュードは有効ですか?

aー有効です。映像をご覧ください。(映像。80代男性、非常に暴力的。すぐにスタッフに手を出す。イヴ氏が関わると、見事に穏やかとなる。次に心理士がイヴ氏の関わりを模倣して関わると、それでも見事に穏やかになる。心理士は初めて清拭を行ったが、穏やかに清拭を行えた。そればかりか、「次はいつ来るんだ?明日は来ないのか?明日来ないとなると、どうしたらいいんだ・・・?」と不安を表出したり、心理士を受け入れた意味のある発言まで見られた)どうでしょう。ユマニチュードは誰にでも出来る技術なんです。質問に答えれば、攻撃的な人に対してユマニチュードは有効です。

 

2-立って歩いて骨折した人。また歩かせる意味はありますか?

a-治療をしたと言うことは再び歩くと言うことではないでしょうか。当然ケースバイケースなので何とも言えないことではありますが。事実として、3週間寝たきりになると80%の筋力低下があります。歩かないことは健康を害します。これで答えでいいでしょうか。

(本田先生:補足としてユマニチュード=抑制を一切しない、ではありません。必要時には抑制をします。ただ、抑制によって何を失っているかを常に考えることが必要と私は考えています。)

 

3-現在の病院ではユマニチュードの導入は難しい点も多いです。どうやって変革していけばいいですか?

a-確かに難しい。ユマニチュードを個人で学べば、個人の技術は達人になります。けれども、構造的な問題が残ります。個人の技術が向上しても問題は解決しません。そこで提案として、私は院長や理事長、看護部長や経理担当などにもユマニチュードの技術を研修します。組織の上の人がその導入の意味や効果を理解しないと始まらないと思うからです。変革に臨んでください。

ドイツでは拘束は裁判官の許可がいります。拘束をせず過ごすためにはボランティアの協力が必要になります。ボランティアの研修も必要になります。ユマニチュードには人がいります。人がいれば抑制を外すことも出来ていきます。

 

4-重症の心身障害児にもユマニチュードは適応されている実績はありますか。

とてもたくさんあります。ユマニチュードは認知症高齢者の物だけではありません。精神障害者にも、発達障害児にも、そしてもちろん重症心身障害児にも適応できる技術です。なぜならユマニチュードとは「あなたを大切にしています」というメッセージを伝えることだからです。そこには博愛の精神があります。哲学です。頑張られてください。

精神科面接マニュアル 第2版 感想

 

精神科面接マニュアル 第3版

精神科面接マニュアル 第3版

 

 

今出ているのは第三版ですね。

精神科では面接が非常に重要な治療の一つになっています。また診断をする際などにも不可避で、日々の関わりの指標にもなります。
看護向けの本もあるのかなと思いますが、まずは名著と言われる本著を読んでみようかなと思いました。

第二版は2006年に発行され、少し今とは解釈が異なる部分があるかもしれません。しかしながら今でも意味のある示唆が多く、手に取る価値はとても大きいのではないかと思います。

例えば、初回面接の項では
・治療同盟を構築する
・患者についての精神科基礎資料を作成する
・診断のために問診する
・患者と治療計画を取り決める

と、挙げられています。当たり前の手順なのかなと思いますが、きちんと患者本意であることが求められており、納得の手順です。
さらに、アメリカの本だからかもしれませんが、主張に一つ一つ出典が載せられています。初回面接の項で引用しますと、


複数の研究によって、患者の50%までが4回目の治療前に脱落することや、多くの患者が初回面接以後来なくなることが示されている。(Baekeland and Lundwall 1975) 治療からの脱落の理由はたくさんある。臨床家との関係がうまくいかなかった。そもそも治療意欲がもてなかった。また、初回面接だけでストレスに立ち向かう元気を得た、などの理由である。(Pekarik 1993) 結局のところ、初回面接では診断をつける以上のことが要求される。すなわち、治療同盟の構築、治療意欲の後押し、そして治療の取り決めが不可欠になる。

わかりやすく根拠を持ってまとめられており、納得ずくで読める文章です。
本著はこのような流れで様々な項目を解説されてます。


効果的な面接のための一般原則という項目では様々な技術が紹介されています。
患者を脅かす話題へのアプローチ、患者に思い出させるコツ、流れを損なわずに話題を変える方法、面接をいやいや受ける患者に対する技法、喋りすぎる患者に対する技法、詐病患者に対する技法、思春期の患者に対する技法、その他の厄介な状況に対する技法、診断面接に有用な精神力動論、と取り上げられています。

 

特にこの技法、技術がわかりやすく根拠もあり、すぐ腑に落ち、実践的でした。
例えば引用すると、

患者がいつ、どこで臨床家に接触することができるのかについて、限界設定(limit setting)を行うことによって臨床上の関係の境界を明確にしておく。これは早い段階で行うべきである。そうしなければ、いつかこの問題で苦しむことになる。

と、力動的精神療法家の「枠組み」の重要性について述べ、その後、初めての患者でパニック障害とうつを持つサリー(仮名)との苦い経験を例に上げ述べられてます。


枠組みを決めなかった結果、筆者はサリーにポケベルの番号を伝え、「いつでも」私に連絡できる方法と伝えました。その結果は想像に易く、休日夜間を問わず10分ごとに緊急!!との連絡が入り続けることになりました。
その後枠組みをスーパーバイザーと組むことで、パニックのたびに連絡を取るという強化条件がなくなり、結果としてパニック障害の頻度も減ったと述べられてます。

 

また別の項目では対話の技術をいくつか挙げられています。ひとつあげると、標準化。

標準化とは、繊細で戸惑いを感じやすい事柄扱う際に最も有用で広く用いられる技法、と紹介されています。

例えば「うつ状態になると、時として自分を傷つけることを考えるものですが、あなたの場合もそうでしたか?」や、「不安の為に物事を避けるーー例えば高速道路を走れない、スーパーマーケットに行けないとおっしゃる患者さんを多く診てきましたが、あなたの場合もそうでしたか?」など。

わりと、普段から使ってることなのかなと思います。ただ意識をすると、技術として活用することが出来るため、この本の指摘はありがたいものです。

標準化はもしかすると、受容的態度に近いかもしれせん。「それほどまでに強いストレスを感じれば、自分を傷つけたくなる気持ちが芽生えるのは無理からぬ話に感じます」だなんて言葉は、現場でよく見る表現ですよね。

 

その他に、診断面接に有用な精神力動論では、陰性転移や逆転移といった中々捉えにくい概念や防衛機制や対処反応について臨床的に学ぶことが出来ます。紹介文を引用します。

精神力動的な要素に注意を払っておくことは、診断面接を進める際に、いろいろな点で役に立つ。まず第一に、診断の正確さを増すのに役立つ。なぜなら、症状は往々にして、生活状況とそれに対する適応不全の産物であるからである。精神力動論は防衛機制を記述するのに卓越した用語体系を提供している。また、逆転移をいかにして生産的に利用するかを教えてくれる。第二に、精神力動の原則を理解しておくと面接自体を統御するのに役立つ。特に、患者が臨床家に陰性転移をもつ場合に有用である。第三に、防衛機制を理解しておくと、人格障害の診断に役立つ。これは第30章で詳しく扱う。

と、この章を踏まえるとさらに一歩前に進んだ精神科での関わりが出来るようになると言えます。例えば陰性転移の項目ですが、臨床でよくある具体例にされ、いくつか挙げられています。

「あなたはあまり役に立たない医者ですね」

「あなたは退屈そうですね」

「ただ黙って座ってうなずいているだけが、あなたのすることなのですか?」

「あなたはどんな資格をもっているのですか?」

「あなたは私が言ってることをあまり理解していませんね」

これらの言外の意味と考えうる反応を解説されています。どうでしょう、思いつきますか?私はちょっと難しい。そのまま受け取ってしまい、嫌な気持ちになります。

 

また防衛機制と対処反応についても深く濃く解説されています。

防衛機制にはいくつかの段階があり、抑制、ユーモア、昇華といった成熟した機制を使うことが望ましいとされています。その下の段階に否認、抑圧、合理化といった神経症的機制があり、さらにその下には解離、受動攻撃性、投影といった未熟な規制が。最下位には外的現実の否認や曲解が精神病的機制として提唱されています。

それぞれの項目について詳しい解説がありますが、さすがに引用するとあまりにもあまりなので、ぜひ読んでくださいという一言で結びます。

私たちもぜひユーモアや昇華といった成熟した機制を使っていきたいものです。また患者さんにもそういった対処方法があることを体系的に提案していって、有益な関わりにしたいと思います。

 

その他多くの学びを得ることが出来ますので、手に取ることがあれば、ぜひ読んでみてください。ちなみにサイズが小さく、12センチ×20センチくらいです。頑張れば白衣に入るんじゃないかな。いつでも振り返りたい本の一つです。

春日武彦 援助者必携 はじめての精神科 第2版 感想

 

はじめての精神科―援助者必携

はじめての精神科―援助者必携

 

  

春日先生は個人的に、精神科界の筒井康隆氏と思ってます。軽妙な文章ながらウィットで毒を孕んでおり、クスッと来たり、グサッと来たり。
「ロマンティックな狂気は存在するのか」や、「屋根裏に誰かいるんですよ」など、なかなか面白いタイトルの本が多く、また内容も非日常的な(援助者的には日常ですが)、個性の強い人の話が紹介されており、ふむふむと読める内容となっています。
 
さて、本著は名著として有名な一冊になります。対象は援助者ということで、コメディカルを想定しています。本著の進み方は、
1章に、「基本の基本を検討する」「家族と地域に関するいくつかの事柄」「しんどくならないための2つのヒント」と、3つの基本的なかかわり方や心構えを踏まえ、
2章に、「統合失調症」「うつ病」「認知症」「パーソナリティ障害」「アルコール依存症」「ストレス・不安・怒り」と、各項目と話が展開していきます。ここまででおよそ150項。
3章は、「恨まれる、ということ」「我々自身の怒り、くやしさ、不快感」「責任感と義侠心」「『困っている』とは言うけれど」と、実例を取り上げつつ、私たち援助者が受けるネガティブな感情であったり、自然と湧き上がる陰性感情であったり、ややこしくなりがちな気持ちや考え方についてわかりやすく展開されていきます。
4章では「電話相談」に10項ほどページが割かれます。そして最後に第5章ではQ&Aということで、38の質問設定に返答する形で、本著を振り返られています。
 
おおよそ上記の展開で進んでいきます。が、教科書的ではないのが春日先生の面白い所。全体的にざっくりと切れ味の良い、割り切った表現が続きます。
2版にあたって、という前文でも、

(前略)とはいうものの、いまだに統合失調症の正体はつかめず、認知症領域で画期的な薬剤は登場せず、うつ状態だか適応障害だが“わがまま”なのかわからない中途半端なケースが激増し、パーソナリティ障害者は権利意識や「お客様」意識や個人情報保護法などを「燃料」にしてますます毒々しさを強めつつある。援助者としての我々のしごとはちっともの楽にはならず、むしろより厄介で戸惑う事例が増えつつある。

と、有り体に表現されており、個人的にかなりツボです。
 
本著は人間観として5つの補助線を提案されていてわかりやすく対象理解を出来るようにガイドされたり、「経験を積むということはどういうことか」などといった臨床でよく当たる壁にも多く提言されており、非常に学びが深まります。
本の袖には「カスガ先生、これならやっていけそうです。(中略)医師、看護師、保健師、ケアマネージャー、ヘルパー必携『困る前』と『困った後』の二度効きます。」なんて書かれています。確かにそうだなあと思える内容ですし、また文章の軽くて深い具合を巧みに表現されてるなあと感じます。
 
私が特に本著で紹介しておきたい箇所は「パーソナリティ障害」の部分です。
境界性パーソナリティ障害者とどうつきあったらよいのか
一般に、BPDは若い女性に多いと言われる。だが男性も決して少なくない。若者たちがロックスターの破滅的な生き方に共感したりすることは珍しくないが、そうしたノー・フューチャーな生き方には既に述べたような「BPD的な激しさ、極端さ、反社会性」の要素がちりばめられているものである。迷惑ではあるが、少なくとも才能があってルックスがよければ、こうした性向の人々はかえって魅力が際立つこともありそうに思われる。
薬など使っても治るはずがない。精神療法といっても、長期間治療関係を継続させること自体がむずかしい。医者のほうも、さんざん手を焼かされたり振り回されて、たいていはうんざりしてしまう。ではかれらは一生どうにもならないのか?
 やはり「若さ」というファクターが大きく関与しているのである。歳を経ればエネルギーも衰えてくる。経験から学ぶことは少なくとも、極端さはさすがに影をひそめてくる。かれらは両親とのあいだに激しい憎悪やトラブルを介在させることが多いが、そうした事情も時間が解決してくれる部分は大きい(両親の寿命が尽きるといった事態も含めて)。したがって長期的にはあんがいなんとか収まりがついてしまうのだけれども、当面はどうにもならなくて周囲が頭を抱えてしまうことが多い。
と、述べられています。私は経験不足なので充分実感を持っては理解できないのですが、そうなんだろうなあと強く感じます。
 
また、それを踏まえて付き合い方のポイントとして、
1、義侠心は起こさない。
2、つかず離れず。
3、ドライかつソフトに。
4、仲間と情報交換を。
5、うろたえない。
と述べています。「思いやり」や「親切さ」と、「けじめ」や「ルール」とを混同することは絶対に避けること。とポイントを指摘しています。
 
私も経験上、BPDの人はこちらが言ったことを拡大解釈したり、恣意的に捻じ曲げたり、ないことをあると言ったりすることがありました。その為発言には気を使う必要があります。春日先生も指摘しているように、ドライかつソフトに。事実を淡々と、判断の悩むグレーゾーンは伝えないことが基本かと思います。
私も精神科に来て間もないころ、よくわからず、振り回され、「前回はそうしてもらったよ」と事実無根のことを言われて、そうなのかな、と一人で悩んでしまったことがあります。結果的に相手の意見をそのまま許容してしまい、それによって妙に気に入られてしまい、私がしんどい思いをしてしまいました。決して、一人で抱えず、チームで関わることを前提としないといけませんね。
BPDの人は、相手を操作することがあり、人によって印象が変わります。なので、チームで印象の違いについて話し合うことも、その人との関わりを可能にする一つの手段と述べられています。春日先生はBPDに関する指摘が非常に明確かつ臨床に即した表現が多いため、BPDで悩んだ際にはぜひ紐解いて欲しい書籍です。教科書的ではない、実際の対応の一例が学べます。
 
BPDの基本は見捨てられ不安にあり、それを武器に様々に振り回していきます。
時にプライベートなことを聞いてくることもあると思います。その際には毅然と、「けじめ」があることを伝え、教えたくなければ教えないことを原則にしていいと述べられています。教えない事で相手が揺れることもあると思いますが、それでも、教えないことが原則です。
プライベートな情報を教えることで生ずる関係性は、最終的には介護者が仕事とは別に一肌脱いであげることを期待されかねない。そこまでしてあげる覚悟と余裕があるのならいざしらず、そうでなかったら、むしろ「なんでも期待に沿えるとは限らない」ことをさりげなく教える良いチャンスなのである。そのあたりをわきまえておかないと、相手は介護の専門家をたんなる「親切オジサン、親切オバサン」と取り違えて接してくることになるだろう。
また、ほんとに軽い類の事で強い不満を覚えることがあり、今度は今までに得たプライベートなわたしの情報を悪用する可能性が出てくる、とも指摘されている通りです。ちょっと対応が違ったとか、虫の居所が悪いとか、すぐに被害感を募らせて攻撃的になります。そのため社交辞令的な、一般社会人的な関わりとは一線を画する必要があることが指摘されています。非常にわかりやすい名文です。
 
そのほか、BPDの事はもちろんのこと、Sや認知症、うつなども非常にわかりやすくとっつきやすく、現場に即した「すぐ使える」知識ばかりです。精神科をこれから学ぶ人にはぜひ手に取って欲しいと思います。個人的な感想ですが、大抵の医療書があるような本屋には取り扱いがあります。ジュンク堂なら間違いなくおいてると思います。それほど定番の本なので、未読の方はぜひどうぞ。ちょっとくだけて、毒のある文章なので(それこそ筒井康隆みたいな)、好みはあるかもしれませんが、ツボの人にはたまらないと思います。
 
本著は201112月に第2版として出版されて、私が持っているのは第4刷です。もちろん今でも第一線で活用できる知識ばかりです。ですがそろそろ、第3版なんていかがでしょう?先生の軽妙な文章で自閉症スペクトラムの事やII型の双極性障害なんて読んでみたいです。期待して待ってます。

宮内倫也 精神科臨床Q&A for ビギナーズ:外来診療の疑問・悩みにお答えします! 感想

 

精神科臨床Q&A for ビギナーズ: 外来診療の疑問・悩みにお答えします!

精神科臨床Q&A for ビギナーズ: 外来診療の疑問・悩みにお答えします!

 

 この本の基本読者層は若手精神科医向けと明言があり、看護師向けではないのですが、著者のファンなのでついつい読んでしまいました。

 

著者は、2009年新潟大学医学部卒業、名古屋大学医学部付属病院に初期研修、2011年より同精神科勤務。2013年より同大学院。と、卒後8年目の比較的若めの先生なのですが、めちゃくちゃ頭いいです。言葉選びもすごく上手い。古典的な文献から、最新のスタディまで網羅しています。(30代前半くらいでしょうか?ただただ尊敬です)

 

本著はQ&A方式で次の項目を答えの例示として提案していくスタイルです。

「基本」「初診と再診」「薬の一般的な注意点」「統合失調症」「双極性障害」「うつ病」「不安症・強迫症・PTSD適応障害」「身体症状症」「睡眠障害」「アルコール依存症」「摂食障害」「パーソナリティ障害」「認知症」「発達障害

・・・精神科全部の領域ですね。脱帽です。

 

内容としては、教科書的な、四角い答え方ではなく、本当に現場を踏まえた答え方というか、提案がなされています。

例えば例を引用すると、統合失調症では、

Q.統合失調症はどんなイメージを持つといいですか?

A.強い不安によりさまざまなことに気づきすぎると考えましょう

精神科医として仕事をすることは統合失調症という疾患に触れ続けることにもなり、その患者さんの特性を深く知っておくのはとても有用だと言えましょう。現在の研究ではグルタミン酸受容体の機能不全が指摘されており、脳の慢性炎症がその一要因かもしれないとも言われています。

しかし臨床的なまなざしを持つには精神病理学精神分析の視点から把握しておくべきで、木村敏先生は"ante festum"、中井久夫先生は”微分回路的認知”(微かな徴候を読みとる能力)、笠原嘉先生は”出立の病”という表現をしています。これらをまとめると、”今というのがザワザワして落ち着かず、わずかなことに振り回されて先取りしてしまう”のが統合失調症的といえそうです。(後略)

 

と・・・。理屈を踏まえて、患者さんと対峙し、その人個人と向き合って話をしている先生なんだなあということが文章からもにじみ出ています。また、概念の出典や参考にされた先生方の名前も追って勉強できるように全て載せてもらえているのが、本当にありがたいことです。

 

統合失調症の患者さんは、原始的な水準の不安により破滅してしまうのではないかと恐れています。精神分析の見方では、人生早期の幼児は母親に絶対的な依存をしなければなりません。母親はholding(抱っこ)により幼児を保護していく必要があるのですが、この時期にそれがなされなければ、幼児は存在そのものが解体されてしまうでしょう。これが原始的な水準の不安であり、私たちが感じるような不安とは格が違うのです。

安全ではない世界の中、自分自身のアンテナの感度を高くして、さまざまなことにいち早く気づき危険な物事を回避することに患者さんたちは腐心します。それは、他者との関係性をつくる時にはマイナスに働いてしまうことが多いでしょう。(後略)

 

不安不安って言うけれども、どんなものなの?ということに関して、統合失調症では原始的な水準の不安なんだよ、と述べられています。それは、存在そのものが解体されること、自分と他人が全て混ざり合ってしまう不安。と言うレベルのものです。

私とコップ。私と時計。それは自分とは違う。私と腕。腕は私だ。腕を切り取るとその腕は私なのか。違う気がする。私をバラバラに切ったら私なのか。私とは何処にいるのか。と言ったような解体不安・アイデンティティの不安よりも更に上の水準の不安ということです。なんとも恐ろしい・・・。それを知るだけで、統合失調症患者さんの不安に対して人間愛的に自然に敬意を持ってかかわることが出来る気がします。

 

彼らは心の底で人とのつながりを求めており、そのことは忘れてはならない事実。バリントによると”分裂病者はいわゆる「正常人」や「神経症者」よりも自らの人間的環境とはるかに密接な絆を持ち、はるかに強く境界に依存している。いかにも分裂病者の行動の表面的な観察だけではこの絶体絶命の依存は見えてこず、逆に、ひきこもり、一切の接触欠如の印象が醸成される””これらは全て皮一枚下には絶体絶命の依存と調和への非常に熱烈な希求がある”とのこと。しかし、上記のように適切な保護環境になかった彼らは他者とのほどよいつながりをうまくつくれず、他者と”一体化”してしまうかもしれないという極端な恐怖に苛まされます、自分が他者になる、もしくは他者に乗っ取られる危機として感じてしまうのです。人とのつながりを求めていながら、微分回路的な物事のとらえ方によって他者との同一性を回避してしまう、回避せざるを得ないという、かなしい臨床像があるのです。

 

M.バリントさんの難しい言葉を平易な表現に変換しつつ、臨床での患者さんの生き様に焦点を当てる、非常に卓越した一文です。名文です。

皆さんはもうご存知かもしれませんが、自学のために。M.バリントフロイトフェレンツィ→M.バリントで、良好な「医師ー患者関係」を構築し、「傾聴」「共感的受容」「支持」「保証」をもって「全人的医療」をすることを初めて提言した偉い先生です。この人がいるから、今私たちは共感だの人として患者さんを見るだのといった当たり前のことが出来るのです。すごい先生です。

 

外来では、診察室の”あわい”をあまり変えないように心がけると良いでしょう。それを続けて、患者さんが”くつろげる””ゆとりを持てる”ようになることを目指します。変化のないことを尊ぶ気持ち、これが基盤。それをせずに患者さんを変化させようとするのは、”追い立てる”ことになります、診察での会話もこちらから幻覚妄想について口にはせず、できるだけ患者さんの生活面を重視したものとします。診察で”症状を外す”という工夫は、統合失調症に限らずどの精神疾患でも重要なスキル。日常生活の彩りを話題にし、症状の占める割合を落としていきましょう。

 

と、統合失調症のイメージについて結ばれています。さすがに全文の引用は気が引けましたので、一部かいつまんで紹介としています。他、68項目の質問に対してこのように丁寧に、出典を明らかにしつつ、著者の考えを伝え、考え方やかかわり方の提案をされています。非常に、お勧めできる著書です。

 

最後に、私が著者から学び、日々最も大切にしている2つの概念を少しだけ紹介して結びとします。

 

1つ目は”あわい”という概念。

木村敏先生の”あいだ”という概念から、精神分析の流れや精神病理などを勉強してみた結果、著者は患者さんの苦しみの理解や医療者の行う精神療法は、人と人との”あわい”が大事なのではないかと思うようになりました。と述べられています。

”あわい”とは、”あいだ”よりも人と人との動的な過程をより重視している言葉。また、淡いにかけて、ほどよい淡さをイメージ。白黒ハッキリさせることよりも、”ほどよさ””ゆとり”を持ってもらえること、また医療者もそれを持てるようにすることが大事という概念になります。

もう一つは、”ゆとり”を大切にすることです。ゆとりの大切さについて引用します。

(前略)現在の”ゆとり”がなくなればなくなるほど、視野の狭小化が進みます。逆を言えば、現在の”ゆとり”を慈しんでいくことは、過去の意味付けすらも”ゆとり”あるものとしてくれる可能性があります。起こってしまった現象そのものは変えようがありませんが、そこにどのような意味を乗せるかは、人と人とのつながりが重要な役割を果たすと考えています。

これは医療者にももちろん当てはまり、日々の診察に影響をもたらすでしょう。患者さんのちょっとした一言に「イラッ」としてしまい、きつい言葉を返してしまう。”ゆとり”があればいろんな解釈が出来る言葉や態度も、医療者に対する攻撃にも感じてしまう。それは患者さんと医療者との”あわい”すら変えてしまうのです。不眠や過労が続いたり、愚痴を言う仲間や家族がいなかったり。そんな日常生活の積み重ねは、”あわい”を硬く緊張したものとしてしまいます。

医療者は、自分自身の生活をまず”ゆとり”あるものとすることが欠かせません。自分の”あわい”がすさんでいる人は、他人の”あわい”を大切にすることに苦労するでしょう。他の科からは「精神科は暇そうで良いなぁ」と見えるかもしれませんが、実は日々の診療を良いものにするためにやむなく(?)”ゆとり”をつくっているのでした。

(中略)医療者が診察室の”あわい”を大切にする為には、医療者の生活に”ゆとり”がなければなりません。患者さんに”ゆとり”のおすそ分けをするイメージを持ってみましょう。(後略)

 

あれっ、ちょっと引用するだけのつもりだったんですが、切れません。全ての言葉が端的にかつ重要すぎますね。むむむ。(言い訳)

そんな感じで、ゆとりを作り、患者さんにおすそ分けをするイメージ。これを知ってから、プライベートでの生活でもそれを意識するようになりました。それによって、仕事でも余裕を持って行えるようになりましたし、家でもちょっと自分の毒が抜けたように感じています。

 

精神科って、よく言われますが、本当に自分を見つめることが多いですね。またそれを改善することも求められます。ある意味とってもシンドイことですが、同時に有意義なことだとも感じます。まだまだ、まだまだ、という気持ちを忘れず、常に初陣の覚悟でこれからも精神科看護師として精進していきます。と、気持ちを新たにしました。

 

本当に良い本ですから、外来診療というキーワードに引っかかることなく、ぜひ手にとって読んでもらえたらと思います。

新版こころ病む人を支えるコツ 田原明夫 感想

 

新版こころ病む人を支えるコツ

新版こころ病む人を支えるコツ

 

 「あなたは病気なのだから」「病気で入院しているのだから」「病院にはいろいろの人が入院してるのだから」「他の患者さんたちの迷惑になるから」「この病院ではこういう仕組みになっているのだから」。様々な理由で、小さな個人的な欲求も我慢させられてしまいます。時には、わがままだと叱られてしまうこともあります。

病院の看護師さんのなかには、そのようなつらさを分かってくれない人がいます。から、上記の引用文に続いていきます。

心のつらさとは、当然ながら目で見えません。また、人によって同じ出来事でも受け止め方や感じ方が違います。そして自然とその伝え方や対処方法も変わってきます。

画一的な取り決めだけで患者さんに対応してしまってはいけません。もちろん、その人の必要の為にあえて画一的な取り決めを行ってそう対処する場合もあります。けれども、基本的には、その人の思いに沿った形で小さな個人的な欲求は出来るように取り計らうのが良いのではないでしょうか、と筆者は一貫して述べています。

 

この本の著者は京大医学部出身で、患者さんの権利を主張し、守ってきた人でもあります。だから、出版社が「解放出版社」なんでしょうね。

ただ権利を主張しているだけではありません。

罪を犯した精神病者の責任のあり方については、難しい問題をはらんでいますが、原則として、法に触れることを知っていて罪を犯した場合には、罪の償いをする責任があると考えます。精神病者は犯罪を犯しやすいからと決めつけて、予防的に監禁しておこうとすることは、明らかな精神障害者差別ですが、罪を犯した人を良く調べもしないで、精神病者だからと言って、精神科病院に入れようとすることも差別だと考えます。

このように、社会人として当たり前の、法に照らし合わせて裁くことを原則として主張しています。当たり前ですよね。悪いと分かってやっていれば、明らかな犯罪であり責任能力を追及できます。

 

タイトルの「コツ」の部分ですが、基本に忠実に接することが述べられています。

例えば、話を親身になって聞く事を「受容的態度」なんて言いますが、その「受容」とはなんぞや、と提起しています。患者さんが言っていることを全て受け止め、望みのままに行動することは「許容」であり、「受容」ではないと述べています。

「受容」とは、何でも聞き入れることではなくて、しんどさを分かろうとすることが大切なのです。そして、「心配している」というキーワードを主軸に、患者さんと一緒に横断歩道を渡るかのように横に寄り添い、そっと手を差し伸べながら、話の腰を折らず、充分に聞いて、患者さんの表現を繰り返してお返ししながら聞いていくことこそが受容的態度に近づく、と述べています。

一文にまとめてしまいましたが、この基本的態度が「コツ」につながってくるとなっているわけです。

そしてその「コツ」ですが、孤軍奮闘、一人でやっていてはいけません。患者さんはもちろんの事、家族もだんだん人との関わりが減って行きがちです。ですから、家族会などに参加し、適度にガス抜きが出来る環境と人を得ることが何よりと述べられています。

 

著書は全体を通して、分かりやすく、表現をいくつか選択し、なるべく具体的に記述されています。ここの感想では省略しましたが、最後のほうでは明治から現代にかけてまでの精神科の歴史も分かりやすくまとめられています。手に取る機会があれば、ぜひ読んでもらえたらと思います。

こころの医療 宅配便 高木俊介 感想

 

こころの医療 宅配便

こころの医療 宅配便

 

 

文藝春秋から出版されてますが、京都大学出身の精神科医である高木俊介医師の、ACT-Kについての本です。読み物として読んで面白いように書かれていますが、読み応えもあり面白い本でした。

 

ACT-Kとは、ざっくばらんに言うと精神科在宅ケアということになります。24時間体制で、往診と訪問看護もろもろで統合失調症の方の生活を支えていくという形になります。訪問看護と大きく違う点は、法で定められている訪問以上に訪問を行っている点で、無償の訪問があり得るということです。また、24時間体制でいつでも電話相談と、必要に応じて訪問を行うことがあるとあり、より利用者に密着したものとなっています。

ともすると、志の高いスタッフが多くなり、そうなるとバーンアウトが心配です。その対策として、1スタッフ10名までの受け持ちと訪問看護と比較すると少なめの人数配置で対応していますし、枠組みを外れる動きも電話相談一つで許されています。例えば本の中で紹介されているものですと、タケシさん(仮名)の初回訪問に行くと、地域の住民が意を決した様子で待ち構えています。スタッフのIさんは長に連絡し「次からタケシ君とこ行くとき、ご近所さんにも寄っていくようにしますわ。あの人ら、ガス抜きが必要ですねん。時間かかりますんでよろしく」と気軽に言って、そしてそれが出来るように調整してもらえます。

なんと柔軟な対応でしょう。病棟では想像できません。

 

そんな、ACT-Kの活動を上記の例のようにどんどこ紹介されている本で、非常に面白いです。また、個人的な話ですが舞台が京都市内のお話なので、やれ東大路がどうとか、川端がどうとか、少し学生時代を思い出せるような話題が多く、面白かったです。

 

さて、そんな文だけで終わらせてしまっては本当に感想になるので、もう少し述べて行きます。

 

高木医師は京都大学を出た後、精神障害者を地域に生活させることを目標に、先進的といわれる大阪府下の私立病院で10年働くなどしていきます。そのなかで従来の管理的な治療態度から、治療同盟的な発想に転換していきます。そして時代はバザリア法制定と、アメリカでの大規模精神病院の解体と迫っていきます。一方日本では、宇都宮病院でのリンチ事件、管理的な治療。ポチと呼ばれる患者の存在・・・。(これ、箕面ヶ岡病院事件の話で、実在だったんですね。驚きました。)

アメリカで、Assertive Community Treatmentの活動があると知り、日本でも導入できないかと考えます。2000年当時、ようやく精神科訪問診療と精神間訪問看護が動き出してきた時代。この診療報酬制度とNPO法人とのあわせ技で、ACT-Kが導入され、そして今全国規模に広がっていっています。

 

なぜ、高木医師は存在しなかった体制を立てていったんでしょうか。どんな思い、考えがあってそのような険しい道を進んだのでしょうか。

 

病院で勤務しながら分かったことは、日本の精神科医療費はもとから少ない。その少ない中なんとかやっていくには、人を少なく配置するほかない。そうすると結局のところ、管理的な業務を行うほかない。その結果、退院できず、平均300日以上の入院となり、30万床の病床数と膨れ上がった現実。

それと同時に、精神分裂病の人の人間に触れていきます。部屋中に花を飾り(一部は腐り異臭を放っている)、その中にすわり「シッシッシッシ・・・」と笑う老婆。「僕が世界を救う!」と筋骨隆々に鍛え上げた青年。歴代の教授と愛人関係であるという妄想を抱えつつも、どこか気品を感じさせる女性。

それぞれの人間の歴史、人生、背景を考えます。

病気=終わりではありません。数学者のジョン・ナッシュ氏は統合失調症を発症しましたが、ノーベル賞を受賞するまでに至っています。また、ロダンの弟子カミーユ・クローデル氏は被害妄想に振り回されながらもオリジナリティのある卓越した作品を作っています。

精神病を発症したからと言って、一生を病院で終える時代は終わった。

制度改革がはじまり、「制度の闇」がようやく転換期に差し掛かろうとしている。

もうこれ以上、閉じ込めてはいけないのだ。

その課題に筆者は立ち上がります。

 

元々統合失調症は、精神分裂病と呼ばれていました。その名称を変える運動を行ったのも、筆者です。クレペリンーブロイラー症候群、スキゾフレニア病、そして統合失調症と候補があげられ、投票によって選ばれました。統合失調症という名称も筆者が考案したものです。「決して精神が分裂しているわけではない」と。

便所をトイレと名称変更したからと言って、その匂いが変わるわけではない、とあります。確かに病気があるという事実はその通りです、ですが言葉にとらわれることはなくなります。

 

そして、ACT-K創設とつながり、記事冒頭の話となります。

 

かつてイギリスのジュリアン・ハッククレーという学者が、統合失調症の遺伝について次のような疑問を提出した。「遺伝する病気は、それが若いときに発症するものであれば結婚のチャンスが減るので、病気の数は減っていくはずだ。しかし、統合失調症はそのような病気であるのに、発病の数がまったく減らないのはどうしてなのか」

この問いに対して、日本を代表する統合失調症の治療者である中井久夫が次のような答えを出している。すなわち「統合失調症の遺伝的素質を持った人は、異性の獲得に有利な要素を持っているのではないか」というのである。(中井久雄著『分裂病と人類』東京大学出版会館、一九八二年)。

これはとても夢のある、魅力的な回答だ。統合失調症の遺伝子は、異性を惹きつけるような繊細さや神秘性といった、人びとの幸せにとって欠くことのできない要素と関連しているのかもしれない。

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京都新聞福祉事業部の記事でも、筆者とACT-Kについての文章がありますので、あわせてどうぞ。

この人と話そう/高木俊介さん