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精神看護「まごころ草とばいきん草」

精神看護に関する自分なりの覚書

子どものための精神医学 滝川一廣 感想 その2

 

sakatie.hatenablog.com

 前回記事の続きです。

 

第6章までで、こころについての考え方、精神医学として科学的な態度、診断について、そしてピアジェフロイトによって精神発達のものさしを知ることができました。

これから精神発達についての理解と、今私達が生きている社会について、そして発達障害へと著者は語りを進めていきます。

 

・第7章

ここでは前章までで身につけたものさしを使って、精神発達の道筋を学んでいきます。

前出の図の通り、関係の発達と認識の発達のちからに引っ張られ、精神発達は進んでいきます。これは障害の有無関係のないことです。

精神発達という視点からとらえるかぎり、定型発達と発達障害との間で発達の<構造>に質的なちがいはない。どちらも同じ道筋を進んでいく。ただ、発達障害のほうがその足どりがゆっくりで、社会のマジョリティが達している平均的な発達水準に届かないという相対差があるにすぎない。しかし、その相対差が発達の<内容>にちがいをもたらし、そのちがいが実社会を生きるうえでしばしば大きな障壁としてあらわれざるをえない。その困難さを指して、私たちは「障害handicap」と呼んでいるのである。

その障壁に対する努力、もがきが異常的な行動に見えると解説されています。そしてまた、発達障害だからといえども、精神発達に終わり(完成)はないと考え方はあると紹介されています。つまり、幾多の人生課題に出会い、様々な経験や努力を重ねてそれを乗り越えていくことは、障害があってもいつかは行うことということです。

 

またこの精神発達は速い子もいれば遅い子もいます。小児看護や母性看護でも学んだ通りと思いますが、ある程度のぶれは生じます。同じ1歳半でも、指差しを得意とする子もいれば興味を示さない子もいます。イチロク健診で要観察と言われたからといって、必ずその子が何か問題あるとは限らないということです。あんがい大きくなれば均されていくことが多いです。

ただ、精神発達に終わり(完成)はないんですが、その人その人個別に、ある一定水準に達すると成長の曲線が緩やかになり、水平に近づいていきます。その達成値がやはり、発達障害では平均に届かないレベルで「完成体」となることが障害の所以となります。あくまでも発達に遅れた未熟な存在というわけではなく、そうであるという成熟した姿と捉えます。ですから、伸びしろがあるんだから怠けるな!ではない。今のあなたで工夫できることはなんだろう?です。

 

ではこの精神発達を推し進める力とは?・・・その理解をすすめるのが先程学んだピアジェフロイトの発達理論のものさしです。ピアジェが「シェマを獲得していくこと」、フロイトが「リビドー」と名づけたこと、この2つが精神発達を推し進める力だと、解説されています。

そして、この精神発達を推し進める力を知能分布を手がかりに実証したのがペンローズであると紹介されています。

ペンローズはおおよそ身長、体重、足の速さなどと同じように知能も正規分布をなすと仮設を立て調査を行いました。その結果、やはり知能もほぼ正規分布をなすことが明らかになりました。ただ、IQ100を超えるものの分布図はきれいな正規分布を描いていましたが、IQ100以下のものの裾が若干上がっていることが結果として導き出されました。

なぜ両方が正規分布を描かなかったのでしょうか?・・・病理群の存在が正常偏倚を乱していました。

病理群とは、後に語られますが、すなわち交通事故などの外傷、経済的困難、被虐待児、不備な養育環境で育った子などの特異的な子どもらを指します。

なお、ペンローズの研究に発展し、関係の発達でも正規分布を描いているかどうかを、バロン=コーエン(2001)や鷲見聡氏(2006,2015)が調査を行っています。いずれも正規分布を描いていることが明らかとなっています。すなわち、一定割合のASDレベルの精神発達者は自然の個体差としてかならずいることが明らかになっています。

自閉症AQ指数について:バロン=コーエン(2001)http://docs.autismresearchcentre.com/papers/2001_BCetal_AQ.pdf

 上記日本語版:自閉症スペクトラム指数(AQ)日本語版の標準化:若林明雄(2004)自閉症スペクトラム指数 (AQ) 日本語版の標準化

 

・第8章

精神発達には個体差があることがわかりました。では、精神発達によって得られる社会化ってどんな感じになっていくのか?ということが第8章では明らかになっていきます。

生まれてすぐでは、まどろみとほほえみ、啼泣とマザリングで育っていきます。ふと生理的な笑顔を赤ちゃんが浮かべ、親が愛情を持って返す。不快を感じて泣き、親が愛情を持って手当する。

マザリングとアタッチメントによって感覚の共有をしていき、感じていることは自分ひとりでないことを感覚で知っていく。

そして首がすわって探索行動へ。あちこち見てみたり、試してみたり。少し親から離れてみて、すぐ戻ってみてという安心の共有と探索。

バブリング(喃語)を出して感情と情動の共有をし、同じものをみて親と同じく感覚や関心の共有をする。

いただきます!ごめんなさい、など挨拶等の模倣と行為の共有、トイレトレーニングなどのしつけを通して意志の発達。

言葉のはじまり。二語文、三語文と言葉によって様々に共有・共同していくことを獲得していきます。それによって認識の社会化、関係の社会化へと成長していく道筋を描いていきます。

これらの精神発達について、第8章では鮮やかに描かれています。これは、見事。小児や母性の実習の時にこの文章を見て学べてたら、もう少し感じ方が違ったろうなあ・・・。この章は卓越した描かれ方をされているので、ぜひ、私の言葉ではなく実際に手にとって読んでほしい部分です。

あえて一つ引用するなら、言葉の構造での指示性(認識)と表出性(関係)の部分でしょうか。

まず、言語とはどんな構造をしているかを考えておきたい。情報伝達の信号系としてのコトバなら、ミツバチでもイルカでももっている。しかし、人間の言葉はたんなる信号ではなく、世界をとらえ分けるための意味(概念)や約束(規範)の体系をなしている。私たちがものごとを認知的にではなく認識的にとらえるのは、この人間固有の言語のはたらきゆえである。この言語のはたらきを、言語の「指示性」と呼ぶ。「これは○○です」など、対象を指し示す(あるいは認識する)機能である。

それと同時に人間の言葉は相互交流のチャンネルであり、私たちは言葉によって体験を共有しあい、「関係」をもちあっている。この場合、たんに情報を伝えあうのではなく、何よりも情動を分かちあうはたらきを言葉は備えている。このはたらきを言語の「表出性」と呼ぶ。「おやまあ!」など情動を表出する機能で、情動とはひと同士のかかわりのなかでたえず生起し、またひと同士のかかわりを動かす大きな力となっている。

 言葉とは2つの意味がはらんでいるということです。認識の発達が優れたアスペルガー領域ですと言葉が四角いのはそういった指示性が高まっているからであり、あわせて表出性が低いゆえに共感が難しい、ということになります。言葉の綾や比喩もまた、表出性の読み取りの問題になります。障害のある人はなぜ読み取れないのか、またどうすればいいのか。

この段階での情緒的な関わりによって心のベースキャンプが親とともに築かれて行きます。精神発達は親と、そして社会との共有によって育まれていきます。

 

・第9章

そしてここから、発達障害とはなにか、今までの前提を踏まえて探っていきます。次章の発達障害における体験世界との2章だけで100ページ近く割かれて解説されていきます。本著の最も美味しい部分です。

 本著では発達障害を次のように定義しています。

「なんらかの精神発達のおくれをもち、それが生きにくさをもたらしているもの。」

そして前出のグラフの通り、関係の発達、認識の発達が遅れているものを全体的な遅れとし、更にその中の一部が遅れているものを一部の遅れと表現し、LDやADHDなどの網羅をしています。また、グラフの0の時点から精神発達はするものの、そのおくれや完成体の場所の違いで発達障害は説明できると明確に表現されています。

 

社会の近代化につれ、全国民が学校での教育を受けることが進められていきます。それに乗っかれないものが出現してきて、特にMRが顕著でした。そこからピネル、アヴァロンの野生児に取り組んだイタール、セガン、モンテッソーリと教育的・療育的な取り組みの礎ができていきます。「治す」ことはできなくても「育む」ことはできるのでは。それはMRだけに限らず、自閉症児にも支援は広がっていきます。

自閉症といえばカナーとアスペルガーが研究者として有名ですが、特にカナーの診た自閉症児の家族には知的エキスパートとして成功した人の割合が極めて高かったため、児だけでなく親にも注目が当たるようになります。ほか、ラター、ホブソン、バロン=コーエンと様々な研究者が論を展開していくさまが描かれていきます。

その中でアスペルガーは、知的な遅れはなく対人関係や社会行動の独特なアンバランスだけが目立つ自閉症のグループを見出し、これを疾患や障害ではなく、一種の個性と考えた。英米では1981年頃ウィングがこの説を広めていき、やっと現在に近い考え方に展開されていくことになります。

 

余談ですが、このあたりの歴史はTEDのある動画に詳しく解説されています。

スティーヴ・シルバーマンの忘れられていた自閉症の歴史です。15分弱で歴史がうまくまとめられていて、興味深く見ることができます。合わせて、よければどうぞ。

www.ted.com

・第10章

 ここではさらにASDの体験世界・固有の世界・個別性に迫っていきます。今までの部分はすべて外から観察した行動の特徴であり、教科書や診断マニュアル的である。私たちは行動を生きているわけではない。本人の内側の「体験」を知ることが本人を理解することにつながると述べています。

認識の発達におくれがあれば、自分にはよくわからない世界のなかにおかれる。わけのわからない世界で生きていかなければならないということに。

関係の発達におくれがあれば、人と支え合う力がよく育たず世界を一人で受け止めていかないといけません。分け合うことができず、孤独の世界に生きていくことに。

言葉で呼び分けられることの意味として、認知が認識に発展することによって次のような効果があると述べられています。

1)個体内部だけでの体感経験だったものが、ほかの人との間でコミュニカティブに共有できる体験となる。

2)自分に生じている感覚を、言葉によって対象化して客観視できるようになる。

3)ただの生理的な感覚ではなく、それが意味性をもった体験となる。

これをまず認識の発達におくれがある子で考えると、1)感覚の共有ができず自分一人で孤独に対することになり、2)体験を明確に捉えたり処理できず、3)起こっている意味もわからず、感覚刺激に翻弄される形となる。

またこれを関係の発達で考えると、1)感覚の共有感に乏しく社会的な共同性を土台と出来ず、2)自ら孤軍奮闘して獲得した独自の捉え方をし、3)意味の捉え方を一元的であったり状況による応用ができない形になったりする、となると思います。

だから、関係の発達に遅れがあると認知された物事に対する社会的なシグナルをうまく取捨選択することができず、例えばバス停の風景を見ても、その風景の中にある鉄柱の錆模様や通風口の格子目をフォーカスしてみてしまい気持ち悪くなる、といったことが起こり得ると言われています。ほかの角度からいえば、カクテルパーティー効果がうまく働かない状態とも言えるのかもしれません。

 

・第11章

さて、体験世界についてはわかりました。ではどうやって支援していくか?この章では支援について語られていきます。

ここまで読み進めていけば自然とわかってくることですが、ASDにマスターキーはありません。これで解決!といっただれにでも通じる普遍的な答えがないんです。なぜなら、一人ひとり人間は精神発達に違いがあるからで、ASDと診断されたからといってその個別性に違いはないからです。だから、その人ひとりひとりの困り事や精神発達の段階を丹念に共有し、理解し、個別的な支援が必要になってきます。

そう言ってしまうと、なんとも、手の施しようがないように感じてしまいますが・・・。つまるところ、今まで挙げていた発達のものさしをもう一度使い、どの段階でどのように躓いてしまっているか一から再点検することが解決の糸口を見出す方法のひとつなんじゃないかなと思うんです。

この人は三者関係の築き方に躓いている。二者間の関係を丁寧にして精神的安定を図ろう、とかこの人は言葉の指示性と表出性についての理解ができていない。丁寧に社会化していこう、とか、そういう形の支援が本質になるんじゃないかなと思います。

 

さて。第4章での感想のところに「障害とするかどうかは社会によって変動します。」と軽く書いていました。その社会とは、今、どんなものなんでしょうか?

現在ASDの診断は増え続けています。その理由はTEDの動画にもある通り、診断の範囲が広がったためです。さらに、日本でも産業構造の変化が後押しをしています。

戦後の日本は第一次産業で働く人が39.8%の第一位でしたが、2015年現在3.6%だけです。その代わり第三次産業が現在70.0%と圧倒的割合で第一位になっています。

それにより「自然」と「もの」を相手にしていた時代から、「ひと」相手の仕事に価値観はシフトしていきます。自ずから、私たち社会の価値観も第三次産業の価値観に影響され引っ張られていきます。

第三次産業は、ひとに(ひとの欲望に)はたらきかけて消費を生み出す労働である。そのためひとが何を望むか(望まないか)を敏感に察したり、ひとの欲求や欲望をたくみに引き出したり、ひとに好感情や心地よいサービス感を与えたり、不快感を与えぬよう気働きするなど、きわめてサイコロジカルな対人能力が必要とされる。

そこでは「生産性」ではなく、そのような性質の「社会性」こそが労働に求められ、これが最大価値とされる。自閉症スペクトラム系の人たちがもっとも不得手なところだろう。

まさにその通りだと思います。そこから、「仕事さえできればよし」が許されないようになります。「社会性」のあるなしが人間評価の基準と化すようになっていきます。しかもその社会性は、日本ではちょっと独特だと著者は脚注をつけています。

ただし、ここで求められる「社会性」とは、対人配慮性とか対人協調性というニュアンスが強く、それに比して公共性(パブリックな意識)という色合いは薄い。まわりのひと、直接かかわる人との関係のなかで相手をおもんばかり、対人常識をわきまえ、迷惑をかけたり不快な思いをさせず、仲間の間がうまく回るようにこころをはたらかせるのが、ここでの「社会性」である。その意味で、(たしかに高い対人能力ではあっても)ごく狭い関係世界内だけでの「社会性」というべきかもしれない。友人・知人・同僚など具体的な他者の外にある抽象的な他者にまで視野がひろがることによって、「公共性」を帯びた社会性がもたらされるが、そのひろがりには欠けている。

と辛辣に語っています。あえて何故ここでこの脚注をつけているのか。それは、おそらくアスペルガー領域のASDの人が捉える本質的な「社会性」とは違うんだよ、という指摘なのじゃないかなと思っています。アスペルガー領域の彼らは、規律の応用的な拡大解釈が苦手ですから。

 

この社会の価値観の変化は子どもたちにも影響を与えます。かつて昔は士農工商で子どもが就ける仕事は固定化されていましたが、近代化により自由になります。そこで立身出世を目指し、勤勉に励み学歴を得て社会的地位を高めることを目指していた(またある程度その努力は功を奏していた)時代ではなくなりました。70年代初頭まではこどもたちの間でも勉強をまじめにするのはよいことだという価値観は自明なものとして共有されていた。しかし現在、価値観は「社会性」にシフトし、勤勉であることだけに価値はなくなりました。テレビのタレントのような「面白いことを周りの様子を察し、面白いタイミングで」ということに価値観が置かれ、変化していきます。

ASDの子どもたちにはその価値観と行動には不得手で、ついていけません。学級内で異質化してしまいます。子どもは異質を見つけるのが得意ですから、そこから、いじめに発展していくことは自明の理でしょう。

 

 ・第12章

部分的な発達の遅れにフォーカスを当て、第11章と近いことを再度解説されています。LDとADHDについて、詳しく載っています。繰り返しの部分もあるので感想としては省略します。ADDについては栗原類の本が、当事者目線と母親目線の2つがすごくいい塩梅で書いてありますので、よければ参照してください。

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・第13章

13章では子育てをめぐる問題として親と、その周りの社会についての解説が鋭く光ります。その中で子育て困難の第一グループ、第二グループとふたつに分けて考えを提示していきます。そしてそれを14章、15章と展開していく流れとなっていきます。

 

子育て困難の第一グループとは、子育てが個人的・私的なものに変化したことによる子育ての密室化、社会化の難しさがその要因の例としてあげられています。

子育て困難の第二グループとは、社会全体の子育てのレベルが上がったことによって、その子育てのレベルについていけない親たちの子育てになります。すなわち、現代水準から言えば「不備な子育て」や経済困難、家族間の不和、疾病、子育ての不得手さがその要因の例としてあげられています。

 

 さてそのような子育て困難のグループは、どのような社会変化によってもたらされたのでしょうか。

端的に伝えると、かつての「子育ては地域でするもの、拾い子はよく育つ」といった価値観が完全崩壊し、「子育ての責任はすべて親にある。その子どもの成長と将来は全くの自由であり、選択の自由は保証されている。ただしその責任は家族がもつものとする。」というような変化であると、歴史に沿って説明されていきます。この章めちゃくちゃ良いので、ぜひほんと、手にとって読んでみてください。大学の授業ばりにためになります。

そして、もう一つ。貧困が解決し、70年台をすぎる頃から「一億総中流社会」という意識が生まれ、子育てにかかるコストはどんどん上がっていきます。それについていけない、貧困の家庭も残念ながらあるのが事実。実はそういった家庭が、子育て困難の第二のグループに属しており、児童虐待に発展するリスクや犯罪リスクが高くなってしまうのが、疫学統計の結果。経済状況の解消がカンフル剤になるのですが、十分な支援がたどり着いてないのも現状。難しい問題です。

 

・第14章

 子育て困難の第一グループについてです。子育てが個人的・私的なものに変化したことによる子育ての密室化、社会化の難しさがその要因の例としてあげられていました。

この第一グループにより導き出される障害が、家庭内暴力~引きこもり、摂食障害、と顕著化されやすいと語られています。

何故密室化されるのか。家族間の葛藤がデリケートになっていったからと筆者は述べています。

親が子に願う(求める)もの、子どもが親に願う(求める)ものとの間で微妙な齟齬や摩擦が生じ、関係の濃さのなかでそれが煮つまるのである。もちろん、家族間に葛藤がまったく起きないなんてことはありえないし、子どもの成長とともに親子間に対立が生じるのはあたり前。その葛藤や対立こそが、成長の糧である。

問題は、それらの葛藤を葛藤として、対立を対立として、ときには衝突しあい波風も立てつつ子どもが成長の糧としていくことが、濃くなったぶんデリケートになった現代家族の心理関係ではむずかしくなったことである。親密的で心理的距離も近いのに(近いゆえに)、こころをオープンに開きあったり、ぶつけあうことが、かえってできなくなっている面がある(距離が近いゆえに疎隔するという現代家族のパラドックス

(中略)個人化、「私」化した子育ては家族間の親密さを強く育む反面、共同社会とのつながりの薄さともあいまって、子どもたちに社会的な対人能力、社会的な状況でのトラブルや葛藤に対処する力を育むことをむずかしくした。近隣共同体が消滅したあとは、子どもに社会的な力を育む役割は「学校」がほとんど全面的に引き受けるようになった。しかし、それには家族での子育てと学校での教育とのシンクロナイズが必要だけれども、そこもうまくいきにくくなっている。

と。まさに真理と思います。その葛藤の結果、子どもが行う対処行動はひきこもり。摂食障害。抑圧という方法がなされなくなった今の時代、子どもは問題に対して回避行動をとりがちです。学校や家族の葛藤で引きこもり、引きこもることで学校や家族との葛藤の対処能力を得る機会を失っていく。真綿で首を絞めるがごとく、じわじわと障害の溝が深まっていきます・・・。

 

・第15章

 子育て困難の第二グループについてです。社会全体の子育てのレベルが上がったことによって、その子育てのレベルについていけない親たちの子育てになります。

第一グループでは問題が抽象的で親子・社会と子との相関的な絡みでしたが、第二グループは具体的でわかりやすいです。

すなわち、1)貧困、2)家族間の不和(離婚など)、3)疾病(親)、4)子供の障害、5)子育ての不得手さ(親もASD的)です。具体的でわかりやすい問題ですが、その解決はものすごく・・・難しい。

解説は多く語らずとも、伝わったと思います。そしてこの問題は世代を超えて引き継がれます。この第二グループには社会全体の支援が必要なのは言うまでもありません。

そしてこの章では被虐待児の特異な心理的な問題と行動があります。他者への(有意識か無意識かはわかりませんが)操作的な態度、ほとんど無意識の試し行為、拙い愛情希求、はっきりとした攻撃など・・・。覚醒水準の上下による障害についても語られています。さらに、被虐待児なうえにASDの特徴を兼ねていれば・・・。問題は複雑化していきます。原因はシンプルなんですが。

 

・第16章

最後に思春期について。この章は学校という社会化の話やおとなという心理的・身体的な葛藤、モラトリアム期についての話になります。ほとんどテーマは学校の部分がメインで、いじめなどについての記載です。今までの章を把握していれば、読むに易い部分です。

 

以上。感想その2でも、9000字くらいでした。合わせて15000字ですね。長文すぎて申し訳ありません。少しでも興味が出た方は、ぜひ。おそらく「看護のための精神医学」とならんで古典とされ、読み継がれていく一冊になることでしょう。

 

子どものための精神医学

子どものための精神医学

 

 

子どものための精神医学 滝川一廣 感想 その1

 

子どものための精神医学

子どものための精神医学

 

発売日すぐに買って、日々手を出して、やっと読み終わりました。ちょうど1ヶ月位かかりました。第2刷も決定したそうですね。大人気です。

内容が難しくて時間がかかったのではなくて、内容ひとつひとつが腑に落ちて考えを巡らせながら読んでいたため時間がかかりました。それくらい学びの深まりがある良著でした。

子どものための、とは銘打たれていますが、児童精神・思春期精神の領域以外の人もぜひ読んで下さい。特に発達障害の方々に対する手応え感が格段に変わると思います。また、個人的には育児書としても読んでもらえたら親としての軸がぶれないで済むような気もします。ほかにも、学校の先生(特に小中学校)にも読んでもらえたら、支援の理解につながるんじゃないかなと思います。

今まで「精神科の本って何読めばいいの?」と言われたら中井久夫先生の「看護のための精神医学」か春日武彦先生の「援助者必携 はじめての精神科」を薦めていましたが、発達障害や思春期関係で決定版となるような著書は寡聞にして知らず、おすすめできませんでした。これからは本著を「発達障害ならこれだよ」と合わせて薦めるようになると思います。

ちなみにまだ紹介してませんでしたが、中井久夫先生の「看護のための精神医学」は必読だと思います。また紹介しますね。

看護のための精神医学 第2版

看護のための精神医学 第2版

 

 

 本著の構成や内容についてくわしくはアマゾンに載っているので見てもらえればいいのかなと思いますので省略します。本著は「素手で読める児童精神医学の基本書」と銘打たれており、また上記中井久夫医師より「あの本(注釈:看護のための精神医学)には子どものことが書いていない。そこを君に」と伝えられ、書き上げられています。そういった使命をもって世に出された本、ということなんです。

今回は各章に分けて感想を述べていこうと思います。

 

・第1章

第1章では、こころをどうとらえるかについて述べられており、(素手で読める本なのでそこから丁寧に書いてあります)精神医学にとってこころは取り扱わず、脳の障害と捉え、客体的な物質として考える「生物主義」という立場に立っていると明示します。しかしながらそれは科学であり、たどり着かない範囲があるのが事実。哲学では「間主観性」があり科学ではたどり着かない領域を考えている、と紹介されています。

 

・第2章

第2章では、精神医学を歴史的に読み取り、「生物主義」という立場を立つに至った経緯が述べられています。人間が時に行う非合理的な行動についてどうとらえるかが初期の頃問題となっていました。すなわちA)犯罪者という存在、B)子どもという存在、C)近代以前は「狂気」という概念でとらえられていた存在の3つです。このCが医療の対象とされ、研究されたのが精神医学のはじまりでした。

本著ではBという部分が主体ですが、子どもは未熟ゆえに非合理的な行動を取ると考えられていました。成長によってその非合理的な行動は減っていくため、教育でアプローチするのですが、それでは不十分な子どもがいます。Cと絡めてこれが本著での取扱部分になる部分となるわけです。

Cのアプローチにも、2種類あります。一つは前出の「生物主義」で、正統精神医学と呼ばれています。もう一つが哲学的部分にウェイトを置いた力動精神医学と呼ばれています。このように精神医学と一言で呼んでも、2派いることがわかります。

 

・第3章

第3章では分類と診断について語られます。今では精神障害等はDSM-V分類またはICD-10分類にて分類と診断がされることがほとんどですが、伝統的な分類として外因性、心因性、内因性という考え方も紹介されています。

御存知の通りDSM分類もICD-10分類も単なるチェックリストであり、統計的な操作がされているものになります。

宮内倫也先生も述べていますが、「DSMによって”統合失調症”とされた疾患は”症候群”なのです。先達が築き上げた細かな分類を棚上げにしているので、色んな疾患がこの”統合失調症”に含まれております。」とある通り、おおよその分類になっているのが現状での精神科での診断です。

感染症結核菌が結核を引き起こす、ヘルペスウィルスが帯状疱疹を引き起こす、というのとは違い、原因と結果が一つで結びついていないのが精神科の特徴で、それゆえに同じ患者さんに対して、人によって「非定型精神病だな」「統合失調症だな」「躁状態では?」となっては研究する際不便なのでまとめちゃってるだけです。

だから診断=治療方法が唯一確実にある、とは結びつかないのも精神科の特徴です。

じゃあ診断ってなによ?ってなるんですが、本著では納得の行く答えが提示されていますので引用します。

すなわち診断名とは、子どもの内にある何かの呼び名ではなく、子どもの外につくられてある人工の「引き出し」の呼び名を意味する。たとえば、A君を「自閉症」と診断するのは、Aくんが自閉症という存在だということではない。ただ、Aくんの行動のあり方のある部分を選び出してひとまとめにして精神医学の分類の引き出しに入れるなら「自閉症」とラベルした引き出しに収まるということである。(中略)

言葉の世界を生きている私たちにとって「名前」がもつ力は大きい。名前を知ることがそれを知ることの第一歩で、名前が与えられることによってそれをまわりと分かちあうことができるようになる。だから名づけには納得や安心をもたらす力がある。診断とはその納得と安心のための「医学的名づけ」にほかならず、それを求めて診察室のドアをたたく子どもや家族は少なくない。それに応えることは、だいじなことである。

 診断の力はWRAPをはじめる!でも文章があります。今やWRAPを伝道する一人となっている増川ねてる氏ですが、19歳のとき「それは精神病かもしれません」と言われたときの初めて抱いた感情は「うれしさ」でした、と語られています。なんとも説明のつかないことに現実として認めてくれる人がいることはとてもホッとすることだった、と述べられています。WRAPを始める!―精神科看護師とのWRAP入門【リカバリーのキーコンセプトと元気に役立つ道具箱編】より、(p43)

 

 しかし、と「子どものための~」では語りが続きます。

「名前」はおろそかにできないけれども、診断名は診療のいわば入場券に過ぎない。いったん入場すればチケットはただの紙片になるのに似て、いよいよ診療がはじまれば、診断名よりも、その子その子に即した理解や援助こそが本人やまわりにとって必要なものとなる。そこでは名前ではなく、その子がどういう子なのか、どんな状況におかれているのか、まわりの心配はどこにあるのか、だからどうすればよいのか、等々の個別的かつ具体的な判断が求められる。また、この判断は治療が進むにつれ(あるいはうまく進まぬにつれ)、変化や修正がなされていかねばならない。このような把握が、広い意味での診断である。分類という意味での「診断diagnosis」ではなく、理解という意味での「診断formulation」で、これを本人や家族、その子とかかわる人たちと分かち合っていくことが診療なのである。そして、できればその分かちあい自体が、治療性をはらんでいる「診断formulation」であることが望ましい。

と。あくまでもチケットであり、そのもの自体に価値を置いていくことよりも、個別的な関わりが大切と語られています。事実、精神病は物理的に取り除いたり化学物質でいじったりして「根治」するものはまだ明らかにされていませんから、その人の生きづらさにアプローチすることが大切ですね。

上記であげた増川ねてる氏の著書でも、診断されたことに対してはとてもホッとすることだった、とは語られていますが、引き続いて根本治療は、今の医学では不可能ということを知りショックと葛藤が始まっています。なお、ねてる氏はその後WRAPと出会ってリカバリーしていきます。詳しくは過去記事をご参照ください。

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・第4章

第4章「精神発達」をどうとらえるか、第5章ピアジェの発達論、第6章フロイトの発達論と展開していきます。

著者は精神発達を認識の発達と関係の発達が2つの軸に影響され、ベクトル的に進んでいくものと説明しています。一応、かんたんな図式を描いてみたので載せときます。

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精神発達はZ軸のベクトルを向いて成長しており、X軸の関係の発達(フロイト的)とY軸の認識の発達(ピアジェ的)に影響を受けています。

両軸ともに偏りなく十分に成長したものが定型領域であり、いわゆる「普通の人」となります。

両軸ともに偏りなく成長が弱いものを「自閉症領域」と呼びます。

認識の発達に成長が弱いものを「知的領域」と呼び、関係の発達に成長が弱いものを「アスペルガー領域」と呼んでいます。

いま、アスペルガー(Asperger Disorder/Syndrome:AD/AS)や広汎性発達障害(Pervasive Developmental Disorders:PDD)などもろもろの名前が自閉症スペクトラム(Autism Spectrum Disorder:ASD)に統一されようとしています。その理由は上記の図です。どれも明確な領域の違いはなく、お互いに関係しているからなんですね。なお精神遅滞(Mental Retardation:MR)も広い意味ではASDということになりますね。MRは他の障害と比較するとまだ進んでいる方なので、ASDという診断よりかはMRと診断されるような印象ですが。

 

大切なことです。このASDですが、障害とするかどうかは社会によって変動します。私たちはこころだけで、個人だけで成り立っているものではなく、その外の世界、社会的・共同的なひろがりとつながりによってはじめて成り立っているからです。

その社会における文化のあり方しだいで、精神発達のあり方は様々なヴァリエーションを持つと考えられる。時代や文化を超えて万古不易の精神発達はありえない。したがって、時代や文化の差を超えて普遍的な発達論、つまり発達論の決定版もありえないと考えられる。(中略)

だから、子どもは本来(正しくは)こう育つという精神発達、いわゆる「正常発達」なるものがこの世に存在するわけではない。ふつう正常発達と呼ばれるものは、その次代と社会の中で、そこでもっとも一般的な養育形態を通して育った子どもたちをたくさん集めて平均をとれば、どんな発達のパターン(定型)が取り出せるかというものに過ぎない。つまり、精神発達そのものに普遍的な決定版は存在しないのである。

だから、ASDなので足りてない!普通じゃない!ではないと思うんです。患者さんの中でもPDD等と診断された方はいます。確かに生きづらそうです。ですがその点を除けば普通の人です。ASDでも星はキレイで肉はウマイんです。定型との比較で不足があると思うのではなく、あなたはあなたなんじゃないでしょうか。それを踏まえて、どうしていくか話し合いたい。と、私は考えて日々看護をしています。

 

・第5章

第5章ではピアジェの発達論(認識の発達)について語られます。細かいことですが、言葉の定義として「認知=物があるということがわかること」「認識=概念的に物についてわかること」と述べられています。なぜわざわざそう定義しているかというと、物事に対しての理解度がどこまで到達しているかがわかると、関わり方がわかるからです。CBTでもよく、一度認知のレベルに戻してから再度認識し直すという事が行われますよね。

2つの違いを知ることは関わり方を変えることができるということにつながります。先に進んで第10章からの引用ですが、

認識発達のおくれは、ものごとの判断やコミュニケーションや技能習得に混乱をもたらすだけではない。世界を意味や約束を通してほかの人びとと分かちあうこと、人びとのもつ共同世界へ参入することの困難をもたらす。これはまわりの人達が当然のものとして共有しあい享受しあっている世界に入りきれないまま生きねばならぬことを意味している。

ここに、認識の発達におくれをもつ者固有の体験世界がある。A領域の子どもたち(注釈:知的領域のこと)は、たとえ関係の発達におくれはなくても、この一点で私たちの知らない独特の孤独や寂しさを抱えている。この子どもたちの逸脱的とみられる行動、いわゆる問題行動のわけを探っていくと、不安や緊張の問題に加え、この孤独の問題に行きあたる。

とあります。わからないから、社会に参加できないんです。社会に参加できないから、独特の孤独や寂しさが彼ら・彼女らにはあるということです。わからないということ、認識ができないということは単純に技能的に遅れを持つだけではなく、精神にも影響が及ぼされるということです。その仕組を理解するために、認知と認識の違いが述べられています。

 ピアジェの発達論は「同化と調節」「知性の発達」「シェマ(図式や仕組みといった意味)」を踏まえ、1)感覚運動期、2)前操作期、3)具体的操作期、4)形式的操作期と4つに分けて考えられている、と内容について噛み砕いて述べられており、ピアジェはテーマとして「認識」を取り扱っている、と著者は解説されています。

 

 ・第6章

発達を語る上でピアジェは大いに参考になりますが、他者との関係を築く部分においては不十分でした。あくまでもピアジェの理論では物事を理解する流れが理解できるにとどまっています。(それでも圧倒的にすごいことなんですが)

そこでフロイトの発達論です。

フロイトの活躍する時代は性倒錯が関心を集めていました。生殖という考え方からすれば非合理的です。しかも、そこを除けばごく普通の人間。なんでだ、というところからフロイトの研究は始まり、小児性愛と呼ばれる概念が生まれます。

1・乳幼児を育てている親は思わず我が子を抱きしめたり頬ずりしたりキスしたい促しに駆られ、実際そうします。これ抜きの子育ては考えられません。しかも親の一方的な思い入れではなく、子どもが機嫌を直したり、成長につれ自らそれを求めてくるなど、乳幼児の側にも愛撫的な関わりへの強い欲求がみてとれる。

2・成人の性愛的な生活においても同じく抱きしめたり頬ずりしたりキスしたい促しに駆られそうする。

どちらも、ふたりのどちらからとはいえない双方向性・一体性を持っている。この2者が同じ力の働きだとフロイトは気づき、大人のそれと区別するため小児性愛と名付けました。(でもすごいインパクトですね・・・)

この他者への希求をフロイトはエロスと呼び、その原動力をリビドーと名づけました。

そして年齢によってリビドーの分類をおこなってます。それがかの有名な1)口唇期、2)肛門期、3)男根期、4)潜在期、5)性器期という分類です。(すごい名前ですね)

親子の交流のチャンネルとしての口唇期(授乳)、社会的存在への第一歩としての肛門期(トイレトレーニング)、性差に気づき葛藤する男根期(父母との三角関係)、家の外に目が向く潜在期、そして成人性愛の性器期と、他者との関係を常に踏まえて関係の発達が完成すると考えられています。

名前こそすごいインパクトのあるフロイトですが、関係の能力がどう発達するかという考えから読み解けば、非常にわかりやすいものになっていますね。

 

ここまでで本著は約100ページ。そして本記事は6千字を超えています。一旦切って、後日引き続いての感想を書いていきたいと思います。

看護研究についての自己学習ノートその4

続きです。

1)研究テーマ
2)研究の動機
3)研究の背景
4)目的
5)意義
6)研究方法
7)文献
8)作業計画

今回の記事では4)目的 5)意義について話せればと思います。

 

前回の記事を参考に、ちょろっと論文を探してみましたでしょうか?
論文は、今までの論文を参考にしたり引用したりして作り、参考や引用が出来ない部分について研究するのがオリジナリティになります。”使えそう”な論文をぜひ見つけてくださいね。

では4)目的 5)意義です。

 

4)目的
目的はこの研究によって明らかにしようとしていることは何かということを書きます。
この目的がめちゃくちゃ大事で、今後実際に研究を進めていく時に何度も何度も、この目的の部分に振り返って戻る必要があります。看護研究を一貫性を持って進めるために必要な指標になりますから、よくよく話し合って進めてください。


例えば前回の例の論文では、

本研究の目的は,熟練看護師の視覚による観察のうち注視に注目し,新人看護師との比較から,熟練看護師の注視の特徴を明らかにすることである.

熟練看護師のベッドサイド場面観察時の 注視の特徴 大黒理惠 齋藤やよい 2017 日本看護技術学会誌 Vol. 15, No. 3 5

https://www.jstage.jst.go.jp/article/jsnas/15/3/15_218/_pdf

 

と、新人と熟練を比較して注視の特徴を明らかにする論文ですよと明言されています。
この目的があるから、注視には量的な差がありましたよ、という結果にたどり着くことが出来ます。ここで何をするかしっかりとしましょう。

勝手な推測ですが、この研究のとっかかりとしては「新人看護師と熟練看護師って観察ポイントが全然違うよね」「そだよね、新人だと気づかなかったりすることってあるよね」みたいな、軽いスタンスで始まったんじゃないかなと思います。それをそのままにしておくと、「そうだよね、やっぱり年数を経てベテランになってくもんね」で終わってしまいます。そこをしっかりと科学的に追求することが看護研究です。

そこから、具体的に観察ポイントが違うってどういうこと?新人とベテランだと見てる量が違う?それとも質が違う?量が違うだけなら多ければ多いほどいいの?不要な情報もあるんじゃ?じゃあ、質?質なら、具体的にどういうものが差として出るの?特徴が違うんじゃない?じゃあ、特徴が違うとしたらそういった類似の研究はあるのかな?・・・というふうに考えられたんじゃないかな、と。こういった思考プロセスを経て、研究目標はできていくと思います。

 

以前お勧め文献としてあげた、南裕子さんの看護における研究で、次のように記載されています。


「研究目標」(注:研究目的と思ってもらってもいいです)とは、その研究で何を明らかにしようとしているか、どこまで到達することを目指しているかを示すものであり、その研究が終了した段階で「答え」を出せるようなことを掲げている必要がある。(中略)目標が書かれていない場合には製作者の意図が伝わらなかったり、誤解されたりすることがあり、注意を要する。研究目標は研究計画書の道筋を指し示すガイドの役割を行う。

看護における研究

看護における研究

 

 とまあ、このような感じで、とても大切ですし、研究計画書を頑張って作れば論文のほうに流用できたり骨格になったりするのでとっても意味のある作業です。くじけず頑張ってください。


5)意義
意義では、こんなふうに患者さん/スタッフにとって役に立つ研究をするんですよー、ということが伝えられればいいと思います。

看護研究は公益性の高いことをすることが原則ですので、個人的理由で気になるので調査しますとかは良くない、ということです。
前回挙げた、a')転倒転落場面における熟練看護師と新人看護師の注視の量的な差を明らかにする、を使用して意義を説明すると、
転倒転落場面における熟練看護師と新人看護師の注視の量的な差を明らかにすることにより、注視する量の目安が分かり、もって患者の安全安楽を守るための教育資料となりえる。なんていう形にするといいのかなと思います。

よく使う表現は上記のような教育資料となりえる、とか基礎資料になりえる、とかアプローチの指標になりえる、とかの結びを使うといいんじゃないかなと思います。

 

目的と意義なんですが、ここをしっかりと見定めて、どんなことが知りたいか/どんなことになると仮定しているか/どのような関連が認められると考えているか、など文章化してください。ほんとに何度も繰り返して申し訳ないですが、ここが一番大事です。ここがきちんとしたら、次の研究方法に進めます。

 

こんな感じで今回の記事は終わります。

次回は研究方法です。これがまた・・・大変なんですが・・・。

研究の基盤になりますから、何とか頑張って説明できればと思います。

続きます。

 

看護研究についての自己学習ノートその3

続きです。

 

1)研究テーマ

2)研究の動機

3)研究の背景

4)目的

5)意義

6)研究方法

7)文献

8)作業計画

 

この記事では前回の予告と違って、3)研究の背景だけ説明していこうと思います。

 合わせて研究の背景を説明するために、文献検索の必要性と行い方についての話もしたいと思います。

 

・研究の背景

ここでは、今回取り上げるテーマに対して、これまでどのような研究が行われていて、そのテーマは看護にとってどのような意味があるかを明らかにしていく部分になります。

前回に引き続いて、a)熟練看護師と新人看護師の観察力の違い、を例に取り上げて説明します。

新人看護師と熟練看護師とでは観察力が違うことは、体感的に分かります。熟練看護師の方が基本的には多くの観察を行い、危険や状態の予測を行うことができますね。ではそれを科学的・論理的に説明するとなると、どうすればいいでしょうか?

看護研究とは、科学的なアプローチの一つです。ですから再現性・妥当性・一貫性がとても大切になります。「熟練看護師の方が長年の技術や経験やカンや才能があるから、違うんだよ」という説明にとどまってはなりません。面倒ですがこれを科学的な説明に直さないといけません。

すなわち、観察力という言葉を別の表現に変えないといけません。なぜならば、観察力という言葉に再現性・妥当性・一貫性がないからです。例えば観察力を、「注視の量的な差」「注視の質的な差」「判断の優先順位の違い」辺りにすればどうでしょうか。これなら具体的に何が違うか、どう違うか、どのように違うかが比較検討しやすく、わかりやすくなったのではないでしょうか。

しかしながらこれだけでは実は不十分で、観察項目と優先順位を決めるだけではなく、どのような場面を想定しているかも設定しないといけません。例えば上記のままだと、看護の現場は多岐にわたりますから食事介助の場面での差かもしれませんし、ルート確保の場面かもしれませんし、急変時対応かもしれません。そうやって設定場面が違ってくると現れて来るデータにも差が出てきますし、再現性・妥当性・一貫性が伴いません。ですから「転倒転落場面での注視の量の差」に設定するとめちゃくちゃ科学的になります。

上記より、a)熟練看護師と新人看護師の観察力の違い、は「転倒転落場面」における「熟練看護師」と「新人看護師」の「注視の量的な差」を明らかにすることに設定しなおすと、科学的な表現になりますね。

じゃあそんな研究ってすでにされてるのかなと、調べていきます。

 

まあ実はあるんですけどね。

熟練看護師のベッドサイド場面観察時の 注視の特徴 大黒理惠 齋藤やよい 2017 日本看護技術学会誌 Vol. 15, No. 3 5

https://www.jstage.jst.go.jp/article/jsnas/15/3/15_218/_pdf

です。というわけで、おしまい!となってしまっては研究になりません。(ありがちなんですが・・・)

ちょっと視点をずらさないといけませんね。例えば、上記技術はどのようなプロセスで技術獲得していくか、という事を明らかにすることや、救急場面に設定を変えて新人と熟練とで比較をするとか・・・。色々方法がありますから、めげずに色々調べていってください。

研究の背景では、このように今まで調べて研究されていることを明らかにしていき、まだ研究されていない、または不十分な事柄についても明らかにして、今回の研究はこんな感じに意味のある事なんですよ、新しいことを言っているんですよ、ということを説明していく流れになっていきます。

 

さて、そんな研究の背景を書いていくためには、既存の研究を調べていかないといけません。

看護の論文ってどうやって調べていけば・・・?

 

・文献検討のために論文を調べる

実はとっかかりとしては簡単。グーグルスカラーでちょろっと検索をかけてしまえばいいんです。

https://scholar.google.co.jp/

例えば「看護」「観察」で検索をすると29,300件の論文が出てきます。これらすべてが誰でもタダで内容すべてを閲覧できるわけではないのですが、いくつかはpdfフリーで閲覧ができるものがあります。そういったものをまずは引っ張って来て読むだけで、ある程度の背景を作り上げることができます。

ちなみにグーグルスカラーは看護や医療だけの論文が出てくるわけではないので、例えば「能動態」で検索すると

地域的・類型論的観点からみた無生物主語について : HUSCAP

なんていうなんだかおもしろそうな論文が出てきます。が、看護とは直接関係ないですね。

そういったものを取捨選択して、まずはいくつか自分の研究テーマと近い論文を引っ張ってくると良いと思います。 

 グーグルスカラーを紹介しておいてなんですが、私が好きでメイン使用しているのは

医学文献検索サービス -メディカルオンライン

メディカルオンラインです。会員制で、有料にはなってしまうんですが、病院によっては提携してくれている所もあって、そういうところではなんぼでも論文読み放題です。しかも医学や看護雑誌もデータ化されてるので、ざっと見するのに便利です。日本精神科看護協会に入っているとIDとPASSがもらえるので、それでアブストラクトだけは読めます。

 とりあえずのところは、あまり難しいことを考えずに、みんなで話し合った研究テーマを単語にして検索していってみて下さい。自分たちが知りたかったこと全てが論文に載っていて、しかも納得のいく結果が出ていればそれまでですが、思っていることと差が出てくることが多いと思います。それを看護研究のテーマとして使っていきましょう。

本当はここで出来るだけたくさんの論文を検索して文献検討をしていっぱい参考にしていくことが論文の妥当性を上げていくために必要なのですが、まずは3つほどの論文だけでいいのかなと思います。3つほど、自分たちの研究テーマに近い論文を出してみて下さい。

その論文で明らかになっている点と、そうでない点を簡単にまとめて、「先行研究ではここが明らかになっていない為、本研究ではこの点について明らかにすることを目的とする」と結べば、とりあえず研究の背景が出来ます。まずは形を整えていくほうが先が見えやすいと思いますから、それで進めてみてください。

 

続きます。次回こそ、今回省いた4)目的5)意義の2つをやっていきます。

看護研究についての自己学習ノートその2

というわけで、この記事から、前回の看護研究についての自己学習ノートその1から内容を引き継いで、雛形をひとつひとつ説明していきます。今回の記事では1)研究テーマ2)研究の動機、の二つを解説します。

1)研究テーマ

2)研究の動機

3)研究の背景

4)目的

5)意義

6)研究方法

7)文献

8)作業計画

 

1)研究テーマについて

テーマは前回の記事でもお伝えしたとおり、自分が普段実践で興味があったり、疑問があったりしたことについてを仮に挙げればいいのかなと思います。

そのテーマの挙げ方についてですが、一人で看護研究をされる方はメモやノートに、複数人で看護研究をされる方は付箋にテーマを挙げていくといいのかなと思います。

付箋にテーマを挙げていく方法ですが、ブレインストーミングという方法がありまして、1つの付箋に1つの情報を書いて行き、思った事が出なくなったらグループ皆で付箋を似たグループに分けていくというものがあります。

ブレインストーミングをすることによって、共同での興味や関心が挙げられますし、また自分が全く気付いたり興味を持っていなかったりした事柄について知ることが出来ます。

この作業をする上で大切なことは1つ。何を挙げられても決して批判的・抽象的・否定的な意見を言わないということです。その約束事の上にブレインストーミングを行えば、自由な意見がどんどん出てくると思います。

皆で挙げて、分類した後はひとつ一つ内容を検討していきます。

たとえば、「糖尿病薬の選択の違いについて」なんていうメモだとすると、興味を持っていることは事実です。しかしながらそれは調べればわかります。その為研究テーマにはなりません。

そうやって調べたらすぐわかることについてはこの検討で外していきます。

その結果何か残ったものが研究テーマになりそうなものです。ここでは仮に、a)熟練看護師と新人看護師の観察力の違い b)自己肯定感と薬物療法の相関とします。

この、研究テーマは論文になる際、論文のタイトルとなるものです。ですから、最後の最後まで(仮)で行きましょう。論文タイトルは、論文の顔です。とっても大切。

 

2)研究の動機

研究の動機には、何故研究テーマについて疑問に思ったのか、ということを書きます。

a)熟練看護師と新人看護師の観察力の違い、なら、普段業務を行っている中でやっぱりベテランさんのほうがよく観察しているし患者さんの変化にも敏感に気付いている。何が違うんだろう?それが分かれば、観察力を上げて患者さんの利益になるんだけどな。

b)自己肯定感と薬物療法の相関、なら、薬物治療の中で内服行動が上手くコントロールできている人とそうでない人がいる。なんでだろう?もしかしたら、自分のことを大事に出来ていないのかな。自己肯定感ってのが影響しているかもしれない。その点が明らかになれば、単に教育を行うだけでなく、自己肯定感の高低によって教育方法を変えれば、より効果的な薬物教育が行えるかもしれない。

というような内容で、はじめは簡単に書いていけばいいのかなと思います。今後この研究の動機は、論文の中で「はじめに」のところに影響していきますし、その中で引用論文がいくつも必要になってくる部分です。とても大切。

とりあえずはそういった感じで、テーマを出して、そのテーマを挙げた理由を書いていけば、研究はもう取り組み始めている、といえるんじゃないでしょうか。

 

次回記事では3)研究の背景 4)研究の目的 5)研究の意義、について書いていこうかなと思います。

続きます。

看護研究についての自己学習ノートその1

 

看護における研究

看護における研究

 

 看護研究といえば、この本が名著でしょう。とりあえず買っておくことをお勧めします。圧倒的内容量と整理された内容、豊富な実例と、これ一冊あれば網羅されています。この本で分からないことがあれば、初めて他の本に行ってもいいんじゃないかなと思えるほど、充分です。

 

ここ数週間の検索ワードを見ていると、看護研究を調べている人が多かったです。

やはり3月は新編成の時期ですから、どこの病院でも看護研究も指名されちゃうんですね。

私も今の病院でも看護研究の指名がされたので、自己学習を兼ねて記事にしていきたいと思います。

私の力量不足で無意味な記事になるかもしれませんが、上記名著を参考にしつつ、ざっくりと看護研究について紹介したいと思います。

 

まずはこの記事では、

【看護研究って何したらいいの?】

を、伝えていければなと思います。

 

・何が求められているか

はじめに、看護研究と言ってもめちゃくちゃ幅広く、定義を決めておかないと大変なので、ここでは 【病院勤務の看護師さんが、教育ラダーなどで看護研究を行う】 とします。例えば卒論であったり、科研費を取って研究をしたりなどといった話は省きます。

そうすると、論文のレベルは原著論文まで行ければいいのですが、研究報告や実践報告レベルでもいいのかなと思います。あくまでも何かを実践、または調査を行っていくことが求められていると思います。

(論文のレベル参考:論文投稿について|一般社団法人日本看護研究学会

つまり、何かを計画して、実践して、報告を行うという一連のレポートが出来ることが求められていると考えられます。

 

・何をテーマにすればいいのか

基本的には普段実践していることをテーマにすればいいのかなと思います。普段実践していることで、さまざまに疑問が出てくることはあると思います。例えば、どうして怠薬ってしちゃうのかな、みたいな簡単なことでいいと思います。

大切なのは自分が本当に疑問に思っていることをテーマにすることです。看護研究は様々に文献を調べたり、長いこと調査をしたり、文章を推敲したりすることが多く、根気の要る業務です。だから、はなから興味のないテーマだけは選ばないようにしたほうがいいと思います。

今まで私がテーマにしたものだと、「地域で暮らしている疾病を有する方の怠薬に至らない要因について」と「看護師の就労継続要因について」というものがあります。

怠薬について、は怠薬によって状態悪化して再入院をする、という流れが多く、怠薬の要因はコンプライアンスの低さや面倒くささ、スティグマがあるという理由がある事は調べたら分かったのですが、怠薬せずに頑張っている人の要因についてはあまり調べてもわからなかったのでテーマとしました。

看護師の就労継続要因については、一般企業と比べて看護師の離職率14%というのは実はちょっと低めで、辞める要因については多く語られますが、続けている要因については実態があまり分からなかったのでテーマにしました。

テーマは、なんだか疑問に思ったことにするほうがいいと思います。

 

・だいたいどんな感じで看護研究は展開していくのか

スケジュールなんですが、参考程度に私が前にやったものだと、

4月5月 テーマを決めて予備調査(文献を調べたり論文を調べたり)

6月 予備調査でも分からなかった部分について研究計画実施

7月8月 アンケート作成・各部署に挨拶をして配布

9月10月 アンケート集計・統計データに落とし込む

11月12月 統計データ考察、論文を書き始める

1月2月 論文推敲(だいたい9回くらい文章を作り直した)

3月 発表原稿作成・発表

って感じでした。割と1年あったとしても結構タイトですし、普段の業務や他の委員会の事、係の事なんかも同時平行になりますから、なるべく早め早めに看護研究はやっていったほうがいいです。実際、複数人で看護研究をすることが多いと思いますが、上記のスケジュールで毎月1回か2回程度しか集まれませんでしたし、その間各自が宿題ということで作業の分担をしたり、そのすり合わせをしたりとなかなか忙しいです。

 

・研究計画書について

各病院で色々雛形はあると思うのですが、

1)研究テーマ

2)研究の動機

3)研究の背景

4)目的

5)意義

6)研究方法

7)文献

8)作業計画

という感じで研究計画を埋めていけばいいのかなと思います。

この記事では、看護研究って何?って所をふわっと紹介しただけでしたが、

次の記事からはこの研究計画書について一つずつ解説できればなと思います。

 

続きます。

京大のシンポジウムに参加してきました -イヴジネストさんのユマニチュードを軸に-

「孤立防止のための自助・互助強化プログラム開発」プロジェクト 2016年度シンポジウム 認知症ケアを問い直す: 人間らしくあるということ -ユマニチュード- — 京都大学

知人の紹介でこんな素敵なシンポジウムがあることを知り、参加してきました。

感想を書いたのちに、内容を載せていきたいと思います。

先に内容を書いたらそれだけで6000文字越えました。会が13時から17時過ぎまであったのでね・・・。

 

1)本田美和子さん

ユマニチュードの簡単な紹介と、現在研究されている内容についての言及がありました。個人的にうれしく思うのが、発達障害児にユマニチュードを使用するという研究と、2時間だけの講習を受けた家族を3ヶ月追跡したものでした。

体感的に思うのですが、ユマニチュードの技術は認知症の高齢者だけに適応されるものではないと感じています。一番の理由はユマニチュードが常に送っているメッセージが「あなたのことを大切にしていますよ」と、相手にわかるようにしていること。それは認知症の高齢者だけに求められているものじゃないと思います。精神科でも求められています。だから、ユマニチュードの形式的な部分というよりも哲学的な部分で活用できるんじゃないかと思っています。アイコンタクトによってオキシトシンの分泌が増え、コミュニケーション能力の改善などにつながるという研究結果も出ていますしね。発達障害オキシトシンの関係も深いものですし。大切なことの一つと思います。

これからもぜひ研究を続けていただきたいと思います。

 

2)イヴジネストさん

写真や映像の見た目どおりです。なんだかちょっとマスコット的で愛らしい、という第一印象。

講演の内容は、著書と大きくずれたことはなく、どれも大切で納得のいくことです。ユマニチュードの経緯や意義、方法、効果などを映像を交えて90分話していただけました。

実際に目の前にして同時通訳のフランス語ではありますが、講演をしてもらうと、伝わるものがありますね。本を読んでいるだけでは感じられない気持ちや感覚を持って帰ることができました。

内容としては特に響いたのが哲学的な面でした。フランスはご存知の通り自由・平等・博愛の国です。それはユマニチュードにも息づいています。思ったとおりのことを出来るということ、人権的にかかわってもらうということ、博愛の精神を持って慈愛的にかかわってもらうということが大切と繰り返し話されていました。人権という言葉も、フランスが発祥と仰られていました。

ユマニチュードはフランスで40年ほど行われているもので、日本にきたのは2014年から。まだ3年程度しか経っていませんが、少しずつ浸透しているようです。ユマニチュードは技術的なかかわりの部分だけではなく、文化的にどういう意味のある行動か、ということを考えていく必要があります。乾杯、と言って杯を渡せば飲みますし、うれしそうな笑顔で挨拶をすれば、敵意のないことが伝わります。

文化的に、社会的に日本ではどのようにかかわっていくのがいいのか、ということが今後の模索課題になるかもしれません。

イヴさんは言っていましたが、認知症患者は物陰に隠れて私たちを驚かしたり、暴力を振るったりしてやろうという計画性はないといいます。計画性、時間が失われた病気だからです。もし攻撃的になっているのなら、それは私たちの関わりの中に行動の種があったということになります。師として学んでいく態度が大切と伝えていました。

 

3)医療福祉学からみたユマニチュード

ユマニチュードが何故いま受け入れられているかということを考えられ、その結論が、認知症のケアの現場では充足感がなく、まるで砂漠のようであり、ユマニチュードはその中のオアシスとなりえるということが指摘されており、なるほど確かにその通りだなと感じました。

オレンジプランの中で、認知症患者の介護者へのケアや技術の提供が必要といわれていますが、ユマニチュードはそれになりえるのではないかという指摘がありました。確かにその通りで、他にもいくつかの方が言われていますがユマニチュードをすることによって、ケア提供者自体も充足感を得られ、成長につながることやバーンアウトが防げることが明らかになっています。とても意味のある事といえます。

 

4)心理学からみたユマニチュード

内容もとっても良かったんですが、とにかく印象に残ったのが、本田美和子さんがほぼ日の著者の一人だったという情報です。帰って調べてみると・・・。

ほぼ日刊イトイ新聞 - お医者さんと患者さん。

おお。ほんとだ。ほぼ日書いてる。びっくり。

 

5)情報科学から見たユマニチュード

講演者の方は工学の人で、ケアの見える化の手助けとしてウェアラブル装置の開発について講演されていました。

内容は純粋に面白く、また医療系の世界だけでとどまっていてはこういう情報は得られ難いので、ありがたいなあと思いながら聞いていました。

見える化って難しいですよね。精神科のケアを見える化するなら、どんなことが挙げられるんだろう・・・?

 

そんな感じのシンポジウムでした。更にびっくりなのが、これが無料ということ。京大はやっぱりすごい。また機会を見つけて遊びにいこう。

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以下、シンポジウムの内容を覚書。

 

1)本田美和子さん

まず映像。認知症患者さん、70代くらい女性、本人は13歳とか33歳とかと思っている。

ストレッチャー浴を受けているが叫んでいる。(虐待のようにも見えるシーン)

次に。同じ方。椅子に座ってシャワー浴を受けている。穏やかな様子。

→ユマニチュードのかかわりによってこうも変化が見られるという映像。

 

認知症の有病率は85歳以上では30%を超える。また年齢層も寿命が延びている

認知症高齢者とのかかわりを考え直す必要がある。

 

フランスでは、40年来ユマニチュード技術が作られている。日本では本田美和子さんが取り入れ、2013年には新聞で紹介された。(当時は魔法の、と言われていたがあくまで技術と反論されていた)

 

日本では現在様々なユマニチュードを活用したかかわりの研究が行われている

発達障害児の適応チャレンジなど

 

ユマニチュードは「あなたは大切な存在」と、相手に理解できる形で伝える技術。

相手だけに効果があるわけではない。ケアする側にも効果がある。

 

宗形初枝氏ほか 2015年5月、日本認知症ケア学会。認知症周辺の問題行動がユマニチュードで減少したと研究結果あり。引き続いてケア担当者が患者の変化に敏感になることがわかった。

別の研究では同発表、伊東美緒氏ほかではバーンアウトスケールの低下が認められた。→すなわちユマニチュードの導入により、ケア提供者はやりがいをもって、より敏感に、能力の向上と就労継続効果が認められるとも示唆される。

 

またフランスの研究結果ではあるが、研修では190万円かかるも、3800万円の医療費削減が実現された(抗精神薬使用率40%低下、救急搬送など緊急対応58%低下となる)。そのため費用対効果は認められる。

 

また家族研究。現在進行形の研究ではあるが。認知症患者を抱える家族に対し、わずか2時間のユマニチュード研修を行い、毎週1センテンスのみはがきで振り帰りを行う(今週は目を見る、みてますか、くらい軽いもの)。その結果を3か月追跡をした結果、介護者が感じている負荷は13ポイントから10ポイントに低下し、BPSDの頻度等の減少も見られたと。

 

2)イヴ・ジネストさん

レスリングをやっていて、スポーツを専攻。患者を搬送や移乗するといったテーマにて病院に行ったが、全く思っていたことと違っていた。病院は健康を取り戻す場所と思っていたが、ベッドに縛り付けている。健康のためには体を動かすべきだが、体を動かさないように指導されている。ケアと称して褥瘡ケアでは、動かないでください、我慢してください、と。カルチャーショックでした。ユマニチュードを導入すると、14年寝たきりの人を車いすに乗せることができます。

 

ここで哲学のことです。フランスでは、人権という言葉が生まれました。みなさんは自由は大切にされていますか。平等であるべきですか。博愛の精神は大切と思っていますか。そうですか、嬉しく思います。では。この中で患者を抑制したことある人はいますか。はい、医療者は100%なんです。(映像:タッチガードをされた認知症患者。マグネットを回しいじりながら「看護師さん、外して!」)これは、先ほど皆さんが大事にされていたことが、哲学が実行されている現場でしょうか。言うは易いが行うのはむつかしいですね。

(入浴の映像。叫んでいる患者、業務を遂行するスタッフ)どうでしょうか。

 

ここで皆さんに質問です。この中に午前2時に患者さんをお風呂に入れたことある人いますか。いませんね。私はあります。その認知症の人はもともと看護師で、夜勤前にシャワーを浴びようと思って私に話しかけてきました。だから時間的には変なことを言っているわけではないんです。ただ、病院の組織的に仕組み的にそれが難しいだけ。

 

逆にみなさんは日中無理やりお風呂に入れることありますね。半ば虐待ともとられるような様相です。ユマニチュードに力を入れた病院では、24時間いつでもお風呂に入れます。食事もとれます。レクリエーションが行われます。素晴らしい。

 

私が本田さんからの希望で日本に来た時、挨拶としてハグをしてキスをしました。するととても驚かれたことを覚えています。

果たしてフランス生まれのユマニチュードは日本で適応できるのでしょうか・・・?不安がよぎりました。(映像。80代女性、認知症。ベッドに寝たきりだったがユマニチュード的関わりによって疎通が見られ、口頭指示で片手をあげられるようになる)大丈夫でした。日本人も人間でした。(笑)

 

【見る】

ユマニチュードの基本で大事なことですが、目を見て話しかけることは本当に大事です。研究結果から、目を合わせることによって脳が刺激され、オキシトシンが分泌されることが分かっています。目を合わせ、ユマニチュード的に関わった時、相手の脳では革命が起きます。様々な化学反応が起こり、脳内はニューロンが活発化。電気信号が激しく駆け巡ります。その結果、今まで想像できなかったような疎通をとり会話をすることが出来るようになるのです。

 

【話す】

また目を見るだけではなく、話しかけることも重要です。ずっと話しかけるんです。ただ、一方的に話しかけるだけでは疲れてしまいますね。だからユマニチュードでは「オートフィードバック」を技術として開発しました。端的に言えばケアの実況中継です。常に行なっていることを話しかけることで話し続けることが可能となります。

 

【触れる】

触れることも大事です。(最前列で話を聞いていた女性を教壇に誘い、)例えば肩に腕を乗せる。これはフランスでは親密さを表し、”友人関係なのかな”と思わせます。

次に腕を絡めます。より仲良さが強調されます。そして手を握る。大切にされているというメッセージになります。ここで、手を絡めると・・・(恋人繋ぎ)。わお。(笑)

ただ注意して下さい。この手をそっと手首を握る形にしますと、罰しているメッセージになります。悪いことをして連行されているようですね。どうもありがとう。

触れることだけで様々なメッセージがあることを理解して下さい。そして積極的に触れてください。

 

【立つ】

それによって立つことにつながります。(映像。80代女性。暴力的。元モデル。最初の映像ではスタッフに暴力的な様子。次の映像ではドレスアップされ階段を登っている。)どうでしょう。その人を見て話し触れることでその人の事が分かり、その人の求めていることが実現できます。(映像。上記の女性がぱっと見亡くなっている様子)たった15分前までこんな状態でしたよ。立つことの意味、わかりますか?

 

日本人でも同じです。水分摂取が十分できない人と聞いたある人。何が好きな飲み物か聞いてみると、ココアだそう。ただの水じゃ飲まないだろうと思ってすぐにココアを2缶買ってきました。それを開け、「カンパーイ!」と繰り返します。8回ほど乾杯をすれば全部飲めました。日本人だから乾杯が水分摂取につながるわけですね。社会的な意味合いです。

人と人とのきずなが大事なんです。人は食べる生き物です。動物とは違い、分け合って食べます。乾杯も同じです。そういう哲学がユマニチュードなんです。

 

人は、生物学的に出産が第一の誕生です。しかしそれだけでは生きていけません。私たち社会の中に受け入れてもらうことで第二の誕生となるのです。見て、話しかけ、触れ、そして自然と立つように・・・ユマニチュードでは、高齢者にそれと同じプロセスを行います。すなわち、第三の誕生をするわけです。

 

ルーマニアでは、ある孤児院の事がニュースになりました。全く愛情をかけられていない子供たちが大勢いました。その子供たちはまるで自閉症のようなそぶりを見せます。脳のMRI画像では確かに脳の萎縮が認められます。この子たちは先天性のものだったのでしょうか。

その後愛情をもって養子として育てられた子供たち。再度脳のMRIを見ると、なんと委縮していた脳が改善していたのです。社会的に愛情をもって受け入れられたことが脳の成長を促したのです。ユマニチュードもそうです。高齢者の脳に、成長を促せます。

 

ユマニチュードの研修を受けると、25人分のコミュニケーション能力が身につけられます。会話、アイコンタクト、触れていること、を数値化した研究結果でそのケアの定量化を現在研究しています。その結果が、ユマニチュード的に関わることによって25人分ものコミュニケーション量に増加したことが分かっています。

 

 3)医療福祉学から見るユマニチュード 清家理氏

ユマニチュードが受け入れられる背景には何があるのか・・・?→認知症の人のキュア&ケアで飢えているものがあるのでは?と考え、行動から結果の見えやすいユマニチュードはやりがい感や自尊感情の充足を得られやすいことから、たとえるなら砂漠の中の「オアシス」なのではないかと提言。

次に政策に言及。新オレンジプランには「認知症の人の介護者への支援」や「認知症の人やその家族の視点の重視」があげられています。ユマニチュードの関わりはそこにも手が届くのではないか。

次にWHO提唱ではadvocating for an evidence-based approachとあり、根拠に基づいた関わりが重要だと述べられています。

現状、病院機能分化が進んでおり、患者さんの個人的な嗜好や「こんな風に関わると嬉しい」などと言った細かいデータは申し送られなくなってきている。その暇がない。

仕事要求度ーコントロールモデルと情緒消耗感のグラフで見れば、仕事の要求度は髙もコントロール感が得られず、現場はしんどい思いをしている状態と考えられます。

研修・教育では医師、看護師、介護福祉リハ系、介護当事者、地域住民すべての人にユマニチュードという関わりが当てはまり、ユマニチュードは全部を網羅できる可能性があることを示唆しています。

ただ、科学的根拠はどうでしょう。ユマニチュードは科学的でしょうか。

だからこそ現在ユマニチュードを研究することによって科学的根拠をもって、上記に述べた可能性を考慮していく段階だと言えるのではないでしょうか。

 

 4)心理学から見たユマニチュード 吉川左紀子センター長

私がユマニチュードを知ったのはほんとに偶然で、ある日本屋をぶらぶらしているとほぼ日で連載していた本田美和子さんの本があって、ファンだったので著者買いしたのがユマニチュードだったということです。

ユマニチュードは心理から見ても本当に優れた対人コミュニケーションの技法と思います。瞬時に察知される視覚、少し時間を経て察知される触覚、それらを統合する聴覚に総合的に関わる方法がユマニチュードです。さらにすべての情報に矛盾やねじれがないことも特徴で、すべてのメッセージがポジティブな情報というのが素晴らしいと思います。

最近心理学でホットなのがポジティブ心理学ですが、ユマニチュードはその実践をしているとも言えます。また、ケアの始まりと終わりをきちんと伝えていることも良いことで、心地よいケアを提供することを繰り返す、という蓄積の体験がそこで生まれることも素晴らしいと思います。さらに良いことはケアする人の心を育てる効果があることも見逃せません。ケア提供者の自尊心感情にも良い効果が認められます。

心理の世界では有名なのですが、生後すぐの赤ちゃんは、親の表情をまねます。顔をしかめるとしかめるし、舌を出すと出します。これ、実は大人でもあるんです。うちの大学生でやっても、実験者が顔をしかめると被験者も顔をしかめます。実験者が笑顔になると被験者も笑います。(映像)どうでしょうか。大人にもこの共鳴・共感力を持っているわけですから、ユマニチュードのポジティブな関わりはそこに影響を与えているともいえるのではないでしょうか。

 

5)情報科学から見たユマニチュード 中澤篤志

イヴさんの講演の最後の方にもありましたが、私が関わっているのはケアの定量化です。元々画像の畑ですから、アイコンタクトの定量化に着手しています。ウェアラブル装置を開発し、目が合っていることをアルゴリズム機械学習で認識し、ジャイロセンサーで視線の角度を検知するという機械を試作しました。その結果非ユマニチュード技術者とユマニチュード技術者で明確なアイコンタクト回数の違いや視線の高さに違いが生まれました。確かにユマニチュード技術を学んだ人は述べられている通りの視線結果になったりしますし、また装置の確からしさが確かめられることとなりました。

工学的な面からはこのようにユマニチュードと関わっています。

 

6)質疑応答

1-攻撃的な人に対してユマニチュードは有効ですか?

aー有効です。映像をご覧ください。(映像。80代男性、非常に暴力的。すぐにスタッフに手を出す。イヴ氏が関わると、見事に穏やかとなる。次に心理士がイヴ氏の関わりを模倣して関わると、それでも見事に穏やかになる。心理士は初めて清拭を行ったが、穏やかに清拭を行えた。そればかりか、「次はいつ来るんだ?明日は来ないのか?明日来ないとなると、どうしたらいいんだ・・・?」と不安を表出したり、心理士を受け入れた意味のある発言まで見られた)どうでしょう。ユマニチュードは誰にでも出来る技術なんです。質問に答えれば、攻撃的な人に対してユマニチュードは有効です。

 

2-立って歩いて骨折した人。また歩かせる意味はありますか?

a-治療をしたと言うことは再び歩くと言うことではないでしょうか。当然ケースバイケースなので何とも言えないことではありますが。事実として、3週間寝たきりになると80%の筋力低下があります。歩かないことは健康を害します。これで答えでいいでしょうか。

(本田先生:補足としてユマニチュード=抑制を一切しない、ではありません。必要時には抑制をします。ただ、抑制によって何を失っているかを常に考えることが必要と私は考えています。)

 

3-現在の病院ではユマニチュードの導入は難しい点も多いです。どうやって変革していけばいいですか?

a-確かに難しい。ユマニチュードを個人で学べば、個人の技術は達人になります。けれども、構造的な問題が残ります。個人の技術が向上しても問題は解決しません。そこで提案として、私は院長や理事長、看護部長や経理担当などにもユマニチュードの技術を研修します。組織の上の人がその導入の意味や効果を理解しないと始まらないと思うからです。変革に臨んでください。

ドイツでは拘束は裁判官の許可がいります。拘束をせず過ごすためにはボランティアの協力が必要になります。ボランティアの研修も必要になります。ユマニチュードには人がいります。人がいれば抑制を外すことも出来ていきます。

 

4-重症の心身障害児にもユマニチュードは適応されている実績はありますか。

とてもたくさんあります。ユマニチュードは認知症高齢者の物だけではありません。精神障害者にも、発達障害児にも、そしてもちろん重症心身障害児にも適応できる技術です。なぜならユマニチュードとは「あなたを大切にしています」というメッセージを伝えることだからです。そこには博愛の精神があります。哲学です。頑張られてください。