精神科看護「まごころ草とばいきん草」

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精神科看護に関する自分なりの覚書

マンガでやさしくわかるアサーション 平木典子 感想

 以前の記事でも日本能率協会マネジメントセンターのマンガでやさしくわかるシリーズを紹介していました。

sakatie.hatenablog.com

 今回も同じシリーズで、今度はアサーションについてです。 

マンガでやさしくわかるアサーション

マンガでやさしくわかるアサーション

 

 アサーションとは、コミュニケーションスキルの一つであり、哲学の一つです。その目的は「相手もOK、自分もOK」な関係作りをすることです。それによってより生きやすくすることを目指しています。

 アサーション自体が生まれたのは1950年代のアメリカですが、アサーションの流れをくんだYour Perfect Rightという著書が出版され、1970年代に人種差別や性差別の問題に大きく影響を与えたといわれています。1980年代に、本著の平木典子氏を中心に日本に持ち込まれ、今も広がっています。

 アサーションが素晴らしいと感じるところの一つに、ダイバーシティの考え方が大変強いことがあると思っています。「客観的に事実はこうです。私はこう考えています。あなたはどう考えていますか?話し合って知り、食い違いがあれば一緒にすり合わせたいと思います」と言う態度と哲学が大変尊い。いい考えだと思います。

 それと同時に、それが出来ている人は果たしてどれくらいいるのだろうと不安に思います。私自身でも、いつだってできているわけではありません。特に、精神当事者の方にとっては、この世の中でアサーションであることは大変困難が伴うのではないかと感じます。

 そのため、医療者も、当事者も、また世間一般の方々も「大切なことをしっかり伝え合う自己表現」は大切で、アサーションを学び続けることには大きな意味があると思います。

 本著は、そのアサーションを漫画で簡単に触れて知ることができることが大変価値の高い本になっています。ストーリー仕立てでわかりやすく、また非言語的なコミュニケーションについてもキャラクターの表情やしぐさで伝わり、理解しやすく学べます。漫画半分、文章半分で200項ほどですので、すぐに読めますし手軽さも魅力です。手軽ですが、キャッチーなところをさらっと触れているのではなく、芯も通った構成になっており、入門書にも学びなおしに、最適なのではないでしょうか。 

 

目次です。

Prologue アサーションとは

Part 1 アサーションの基礎知識

Part 2 自己信頼とアサーション

Part 3 考え方のアサーション

Part 4 言語・非言語レベルのアサーション

順を追って感想を述べたいと思います。

 

Part 1 アサーションの基礎知識

 「社会人が自分の気持ちや考えを表現していいなんてできるわけない」「仕事だから仕方ない。がまんしてやらないと。」というところから、プライベートを犠牲に働くCAの話から、本著は始まります。

 アサーションの考え方では、物事の捉え方や伝え方を「攻撃的自己表現」「非主張的自己表現」「アサーティブ」と3つに分けて考えていきます。上記のCAの捉え方は、ある側面を考えれば社会人としての規律を守ろうとしたり、役割を遂行しようとしたりしているように思えたり、仕事相手を尊重しているようにも思えます。アサーションの考え方で捉えなおせば、「非主張的自己表現」になるかもしれません。なぜなら、自分の感じていることを抑圧しているからですね。これは辛い事です。

 アサーティブな考えになるためには、まずは自分の考えや感じていることは何かを明確に理解することが必要になります。これが思ったより難しい事なんですが、まずは何か感じた時、「私は~~と感じた」と、「私は」を言葉につけて考えると理解しやすくなると解説されています。

 たとえば、ファミレスで知らない子供が走り回ってうるさいなと感じた時を例とします。「ああ、うるさいなあ。なんで親は注意しないのかな。でも子供はそういうものかな。自分もそうだったしな。店員さんが注意したらいいのにな。我慢我慢・・・」とかとか思ったとします。このままだと複合的な感情や考えが混ざっていて、自分が感じたことをストレートに見ることは少し難しいかもしれません。そこで「私は~~と感じた」という方法を使うこととします。

 すると、「ああ、私は今うるさいと感じているなあ。私は親に注意してほしいと思っているなあ。私は子供はそういうものだと思っているな。私は自分もそうだったと内省しているな。私は店員さんに注意してほしいと思ってるな。私は我慢しないとと思っているな・・・」という風に、6個の感情や考えに分化することができます。そうしてから、それぞれどういう風に伝えたり、理解したり、対処したりという風に考えることができるようになる、というのが「私は~~と感じた」という方法です。

 その次に、自分の考えや感じていることは何かが分かれば、なるべく正確な表現で人に伝えてみます。それをした結果、相手がどう受け止め感じたかを理解し、また自分の考えや感じていることは何かを明確に・・・というプロセスがアサーティブの基本的な考え方だと説明されています。もちろん分かったからと言っていきなりはできませんよね。そのあたりを本著は大変わかりやすく漫画にされてます。

 どうして、こういったプロセスが必要なのか。それは、「相手を大切にしなさい」という通念だけでは通用しなくなっているからです。「自分も大切にしていい」のです。それこそが、「相手もOK、自分もOK」を実現する大切な大前提です。

Part 2 自己信頼とアサーション

 周りに攻撃的自己表現の人がいるとします。拒否を認めないで命令をしてくる人や、集団で自分の欲求だけを言って通そうとする人、また逆にどんな頼まれごとでも無理ですと断って取りつく島の無い人等々・・・。場合によってはパワハラになったり、集団的ないじめに発展したりし得ることです。どうしてそういう人たちはこう言った攻撃的自己表現を取ってしまうのでしょうか。そして、どう向き合って人間関係を作っていけばいいのでしょうか。

 攻撃的自己表現を取っている人は、それで一時的に自分の欲求が通り満足することはできるかもしれません。しかし、そのことは同時にいびつな人間関係の構築につながってしまい、お互いの対等な関係を築くことが出来なくなります。また、自身の心の中でわだかまりのようなものを残してしまうとも言われています。最悪、孤立してしまうことだってあるかもしれません。

 攻撃的自己表現の人がいた時にはどう向き合うのか。例えば、難しいのに相手の要求をのんだり、自分が苦しくなるのに受け入れたり、自分が折れればいいと思ってしまう向き合い方をしてしまいませんか。「相手にも都合があるだろうし・・・」「できないわけではないし・・・」「事を荒立てるのは好まないから・・・」と、相手の欲求のままに受け入れてしまう。それで自分が何も苦しくなかったり無茶がなければいいのかもしれませんが、どこか「つらいな・・・」と思いながら受け入れているのであれば、それは「非主張的自己表現」かもしれません。本著の漫画でもまさにその通りの事が描かれています。

 「非自己主張的自己表現」では、自分の欲求不満を忍耐し、ついには抑うつ的気分になってしまったり、また別に欲求不満から怒りが溜まり、ついには爆発してキレてしまったり相手を恨んでしまうことにつながります。やはり、これも「相手もOK、自分もOK」にはなりません。

 アサーションでは、「歩み寄り」が最も大切だと説いています。相手には相手の考え方があると尊重しつつ、相手の尊厳を侵さない限り自己表現をしても良い権利を理解しつつ、話し合いによってお互いのずれを共に歩み寄っていく。そういう態度の事です。攻撃的自己表現をしている人も、シンプルに考えれば「~~してほしい」と思っているだけです。それを、例えば立場であったり権限であったり関係性であったり弁の立ち具合であったり性差であったり人種の違いであったり価値観の違いであったりで、補強して押し付けているだけです。「あなたは私のしてほしいことを叶えるべきである」と思っているんです。それは違う。だから、「どうして~~してほしいと思っているのか」を考えながら、同時に自分の主張もし、出来ない理由であったり、代替案であったりを提案して自分もOKになれるように歩み寄る。非常に大変ですが、このプロセスがアサーションの言う歩み寄りになります。

 歩み寄りをするうえで大切なのは、アサーション権の理解と、自己信頼になります。アサーション権については本著にも大切なところが触れられていますので、ぜひ一読してみてください。もう一つの自己信頼についてですが、少し本著から引用します。

  自己信頼とは、簡単に言うと自信のことです。自分をある程度頼りにすることができるようになること、自分を当てにできることが自信です。 幼い子どもは、自信がないときは助けを呼んだり、人の助けを借りてものごとを進めようとしたりします。誰かが助けてくれることがわかると、「助けてほしい」と言ってもいいことがわかり、そう言える自分、言うことに自信を持ちます。 自信を持って「助けてほしい」と言えることは、いわば、自分ひとりではできないことを伝え、助けてほしいと表現してもいいということですから、矛盾した言い方かもしれませんが、自信がないことに自信がつき、助けてほしいときはきちんと依頼することができます。本当に助けがほしいとき、相談をしたいとき、それを自ら認め、求めることは、じつは、自分の現状をよくわかっている自立的な行動なのです。

 本当にその通りだと思います。これを踏まえ、本著では攻撃的自己表現の人には弱みを見せられない側面があることと、非主張的自己表現の人には自分のできることとできないことの区別が自覚できていない可能性があることを指摘しています。鋭い指摘だと思います。

 本著の漫画では、何とか非主張的自己表現の主人公が自分の主張が出来、攻撃的自己表現の上司が歩み寄りを見せた名シーンが載っています。それと同時に、同僚から「最近生意気よ」と、葛藤も生まれています。どう展開していくのか先が気になる描き方です。

Part 3 考え方のアサーション

 この章では、少しアサーションを取り入れ始めた主人公が、ベテラン強面パイロットvs若手空気の読めないパイロットの衝突に遭遇する話が取り上げられます。この若手パイロットの評判は芳しくないにもかかわらず出世筆頭と取り扱われているという、社内でも7不思議に挙げられている不思議なものです。表面的にみると、ベテランパイロットと若手パイロットでは攻撃的なやり取りをされているように見えますが、ここにアサーションの考えを取り入れてみてみるとどうなるでしょうか。

 実は、若手パイロットは空気が読めないわけではなく、自分が信じている強い信念と価値観のもとに行動しており、自分が違うと感じたことは表出しているにすぎません。たとえ自分が信じて行った行動で自分が不利益を被るとしても、それ以上に自分の価値観を表出することが大切だと考えているようです。

 アサーションである為には、時にはこう言った衝突は避けられません。そういう時、どうするか。カナダの心理学者で、交流分析を提唱したエリック・バーンは「過去と相手は変えられない」と語られています。アサーションを試みて、相手と衝突した際には相手は変えられないと理解することが必要です。力技で何とかしようとしても、無理が生じます。

 エリック・バーンは続いてこうも語られます。「しかし、いまここから始まる未来と自分は変えられる。」そうです。自分を変えていくことで、未来を変えていくことが基本原則なんです。人との衝突について、何か思い込みをしていませんか。

 過ちや失敗を犯したら責められて当然。物事が思い通りにいかない時はイラついても当然。部下は上司の言うことを聞くべきだ。争い事は避けるべきだ。非主張的になっても仕方ない。などなど・・・。

 本著でも丁寧に解説されていますが、それらはすべて思い込みです。例えば電車が突然遅延したとしても、そこにあるのはそうである事実だけです。イラついたり、悲しくなったりするのは感情です。

 最初の方でもファミレスで知らない子供が走り回ってうるさいなと感じた時について書きました。Iメッセージにして、私は~だ、と感じることで感情が理解できます。

「ああ、私は今うるさいと感じているなあ。・・・」などなど。

 感情が芽生える中身は何か。感情の中には、自分の真意が含まれています。「ファミレスで知らない子供が走り回ってうるさいなと感じた時、自分はもしかして「うるさく走り回られていると自分が落ち着いて過ごせないから静かにしてほしい」と思っているのが真意ではないか。「公共の場では静かにするべき」は自分の価値観や思い込みかもしれない?・・・こういうことを考えていくことがアサーションの考え方だと語られていきます。

 ちょっと大変。でも、筋トレと同じです。鍛えれば身に付きます。今までの価値観や習慣を変えるには実践し続けることが必要になります。ジムに通い、継続してマシンを使っていくことで体作りをするのと同じように、アサーションの考えに繰り返し立ち戻り、日々の関わり方を点検し続けていくこと。これがアサーションを身に着けるということだと本著でも語られています。大脳皮質で理解するだけでなく、脊髄レベルでも体に染み込ませていく必要があります。アサーションは大変良い考えですから、付け焼刃で済ませてはもったいないですね。

 また、アサーションの経緯を振り返ればわかりますが、つまるところアサーションを考えるということは人権を考えるということになります。自分と違う価値観や考え方を持った人と関わる時、相手の価値観や考え方を尊重します。それと同時に、自分の価値観や考え方を尊重します。

  人権というと難しく感じますね。不思議・・・。だけど、怒っている人には人権がある。なぜならその人なりの理由や価値観、考え方があるから。それについて私は知らない。だから傾聴し、共感的態度で引き出す。そして私が感じたことや価値観、考え方を伝える。それによって沸き起こった感情を共有し、共に考えていく。相手には言いたいことを言う権利や自分を冒されない権利がある。私にも言いたいことを言う権利や自分を冒されない権利がある。時にはアサーションを使わない権利もある。そういった積み重ねの先に人権があるんです。一言でいえば人権は山崎まさよしの「セロリ」です。夏がだめな人だっていたっていいし、セロリが好きな人だっている。ただそれだけです。善悪や価値判断を下しているのは各々です。とはいえ、やっぱり感情的に難しいことも事実ですね。筋トレ筋トレ・・・。

Part 4 言語・非言語レベルのアサーション

 言語レベルのアサーションの一例に、DESC法という伝え方の技が紹介されています。これは、Describe、Explain、Suggest、Chooseの4つの頭文字を取っており、客観的描写、状況の説明、提案、選択という流れで自分の伝えたいことを話しつつ、相手の大切にしたいことを確認、ともに選択するという技法です。

 例えば会議が押していて、自分は後に予定もある時は、

Describe 会議は15分押していますね

Explain  私はこの後予定が迫っています

Suggest 一旦ここで会議を終了して次の会議の予定を決めませんか

(例:もう少し会議を続けたい)

Choose では私だけ先に失礼していいですか

 というような流れです。ただ、一読してわかる通り自分の要望を通すための技法ではなく、あくまでも会話の交通整理をするようなものです。なので、特効があったり自分の要望を押し通すような技法ではありません。あくまでも参考の一つ程度に思ってください。看護師はSBARも身に着けていると思いますし、そう難しいものではありませんね。

 ここで大切なのはアサーションの哲学を常に念頭に置きながら会話を進めるという部分です。それが言語レベルのアサーションと言えます。

 

 一方、非言語レベルのアサーションというと何か。本著では「聴くアサーション」を一例として取り上げています。聞く姿勢と態度を持って相手の話を聞いていくこと。

 これ、ほとんど傾聴の共感的態度ですよね。具体的にどのような態度や姿勢でいればいいかは本著では軽く説明されているにすぎませんが、例えば冒頭に挙げた傾聴の本や、以前に軽く触れた精神科面接マニュアルにもさまざまな技法が挙げられています。こういったものも合わせて読むと、より学びが深まるかと思います。

sakatie.hatenablog.com

 相手が自分と違うからと言って、それが間違いとは限りません。違うことをどう違うのか、なぜ違うのか、自分と相手の事を考えながら対話を繰り返していくことがアサーションであり、多様性であり、ダイバーシティだと思います。今の時代にはそれが求められていますし、もはや常識になっていると思います。

 大切なのは、アサーティブであろうとする態度、姿勢、哲学であると思います。アサーションは、自分も相手もOKであるために、人がもっている権利、責任、義務を明確にするものだと思います。何度も立ち返りながら、アサーションを筋トレのように身に着けたいですね。

マンガでやさしくわかるアサーション

マンガでやさしくわかるアサーション

 

2月に行われた、兵庫県立大学のIPS研修に参加しました

 IPSとは、Intentional Peer Supportの略で、意図的なピアサポートと訳されています。

今回、兵庫県立大学で行われたIPS研修に初参加しましたので、感想を書いていきたいと思います。

研修会 – Intentional Peer Support

 

2月9日、10日IPS研修@兵庫県立大学 チェックイン @約1時間

 26名の参加者がそれぞれ、「何の目的でIPS研修に来たか」を語らう。多く聞かれたのは、「IPS研修では自分の気持ちにゆったりと時間をかけて振り返ることが出来る」と、「IPS研修での独特のゆったりとした時間を、その時々の参加者さんと共有して味わいたい」というような語らいが多かったです。

 私は全くの初参加でしたが、初参加者さんは3割ぐらいの印象。 面白いのが、ほとんどの人がWRAP研修の経験があるという事でした。 半数以上の方は看護師等の医療職の方でしたが、当事者の方も半数近くいました。 医療職だ、当事者だ、というような垣根は特に感じませんでした。単に、IPS研修に来た”人”として関わり合っていたように感じます。

 

居心地の合意 @約45分

 WRAP研修ではこの研修をどのような過ごし方をするか合意をじっくり話し合いました。 今回のIPS研修では「自分で勝手にやりゃいいじゃん」的な感じで細かな決め事は無くてもいいのかな、というような雰囲気の集まりでした。あとで経験者さんに伺ったところ、「だいたいサックリとしてるよ」とのことでしたので、IPSってそんな感じなのかもしれません。

 途中、合意から話が広がり、「人に協力を求めず、勝手にやってもいいんじゃないのかなあ」という話や、「言って合意を得て安心するという心理プロセスって、断らないと安心できないという事ですよね。それって面白い心の反応だなあ」ということを味わったり。

 キーワードは「ざわざわする」というものが多かった。 単にざわざわするという言葉では、あんまり気持ちよさそうな感じじゃないのかなと言う感覚ですが、今回この場では「わくわく」「どきどき」「もやもや」など、様々な感情を内包した言葉で使われていたので、ネガティブな側面を孕みつつ、それを客観視できるというのは精神的な体力がある方が多いなあと感じました。

 

困ったことを相談してみる ロールプレイ @約1時間

 昼休憩を挟んで、2人1組になり、10分ずつ交代し、困ったことを相談してみるという実際的なロールプレイを行いました。特にやり方を指定せず、自由に行いました。

 実際に困ったことを相談してみて、どう感じたかを共有しました。

 多く聞かれたのは「しっかりと話を聞いてもらえた」「思いが伝わった」と言う話し手の感覚でした。また、聞き手では「わかるわかる!と言いたくなる自分を押さえるのが大変だった」「はじめは何の話だろう?という感じだったけれどもだんだんわかっていくと面白く感じ、物語に入っていく自分を感じた」等という感想も聞かれました。それと同時に「聞くことしかできない。無力感が芽生えた」という感想もちらほら。

 

IPS的なアプローチ @約40分

  小休憩をはさんで、先ほどのロールプレイをIPSに引き寄せて振り返ります。

 IPSの考え方での関係性は、問題解決を目的としたり、アドバイスを与えたりというスタンスをとっていません。まるで即興音楽のセッションのような、その場で生まれる新しいものを生み出すことを目的としています。大切なのは、話し手と聞き手の同調しあっている感じ、共鳴しあっている感じが味わえているかどうかなのかなあ、と話が進んでいきました。

 ロールプレイで挙げられた「無力感が芽生えた」という感情やこころの動きについて詳しく参加者同士で意見を交換しました。

 その結果、無力感の背景には「あせり」や「何者かになりたい」感覚があったり、聞いているだけでは何もできないという感覚などがあるのではないかと話題になりました。

 そうして生み出された無力感から行動化として、「言いかえて自分が対話の主権を握る」ことで無力感を脱そうとしたり、「アドバイスをして自分が何者かになりたい」と無意識のうちに感じたり、場合によっては「自分が何か話すことによって相手をコントロールしたい」と思ったりする場面もあるかもしれない、と鋭い観点で可能性を話し合いました。図式にしてみます。

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 話し手と聞き手がいる中、聞き手は無力感を感じ、何らかの欲求が高まるというのが平常時のコミュニケーションです。

 一方、今回の研修で学んでいるIPSという概念でその構造を捉えなおすと、コントロールや責任から解放され、対話自身が音楽的意味のセッションのように、まるでジャズの即興曲のように自然と何かになっていく、という考え方と方向性が現れてくる。それがIPSの側面の一つだ、ということでした。

 また、アドバイスをしたくなる時というのはどんな時かということも話し合いをした所、この場では「焦っている時」「自分が何者かになりたいとき」「話が自分の得意分野の時」「相手が”どうしたらいいですか”と言ってくると反射的にアドバイスしたくなる」「自分は上、と思っている時」「相手を信じれない時」などなど、大変学びの深い様々な見解が繰り広げられました。特に「反射的にアドバイスしたくなる」と言われた時、本当にその通りだなあと思いましたし、実際私も臨床でやってしまう自分のくせなので、そのことを知れたのも大きな収穫でした。

 

IPSの歴史 @60分

 IPSが生まれたのは1990年代、アメリカの精神領域でリカバリーの概念が生まれた後、2000年代にシェリー・ミード氏が、既存の精神ピアサポートってなんなんだろう。本当のピアサポートって上下関係ってあるのかな。と感じ、徐々に組み立てられていっているものです。IPSは流動的で、日本にやってきてからまた新しい変化を遂げています。アメリカでは、実はあまり医療者側がIPSを見聞きすることは少なく、当事者の方々でIPSの資格を取ったりなどしてつながっているそうです。その構造もまた大変尊く、力強いものと思います。それとはまた別に日本では医療者がIPSについて触れる機会が多く、医療者と当事者の間でもIPSが展開される可能性があるというのが、シェリー氏は興味深く見ている、と話されていました。

 WRAPにはファシリテーター資格があり、一定のカリキュラムを受講すれば有資格者として名乗ることができますが、日本のIPSにはその制度がありません。どうしてなのかな、と思っていたのですが、シェリー氏はIPSを資格のある制度にしたことをちょっと悩んでいるようで、「IPS資格があるからと言って私の考えがすべて理解できているというわけではないなあ」と感じていると、伝聞ですが伺っています。それだけ、IPSが流動的でその時その時の変化がある深いものなのだと感じます。

 ちなみに、WRAPのメアリー・エレン・コープランド氏とシェリー・ミード氏は御友人関係であり、WRAPにはIPSとの関連がある「関係性WRAP」という考え方もあるそうです。大変興味深いことです。確かに、ほとんどのトリガーや注意サインって対人関係がらみだなあと感じますから、その時にIPS的考え方を持って関われば、また違ってくるのかもしれません。物事をより多角的に広がりを持って考えることが出来そうです。

 

感情を味わう @午後いっぱい

 ここまでの研修でIPSの考え方を持ってコミュニケーションすることで、自分が無意識のうちに抱いていた感情や、それに突き動かされる行動があることを徐々に感じていきました。1950年代から言われている、ジョハリの窓が広がっていくように、今の自分の感じ方が研修を受ける前と変わってきていることを実感していきます。

 ちなみに補足ですが下記がジョハリの窓です。wikipediaより。

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 ここからの研修の時間は、IPSの一番体力の使う、そして一番大切な感情を味わうという時間を体験していきました。先駆者の方に話を伺うと、どうやら今回の研修は「やさしいほうだった」らしいので、別のIPS研修の時にはまた違うんだなあと思います。それでも、結構体力が削れたので、IPSってかなり体育会系だなあと感じているところです。

 本題です。IPSという考え方で関係性を築いていくには、例えば一つの可能性として理屈と感情があることを理解していく。理屈と感情の”あいだ”があるということをつついていく必要があのかなあという話が展開していきました。

 あけすけに書いていくと、例えばある参加者さんのお子さんは、「嫌味と怒りの感情を合わせてビームを出すんだ!」と遊んでいるそうです。それを見て感じたのが、怒りの活動とはどういったものかという感覚だったそうです。それを受けて、研修の中で「感情を味わうっていうけれども、怒りってどんな味なんだろう?」という話に発展し、それぞれの怒りの味について語らいました。「怒りはこめかみの上にくるよ」「視界がぐらつき、身の毛がよだつよ」「ジャイアンみたいに顔が真っ赤になるよ」「首とか肩とかがぐっと詰まった感じがするよ」などなど、いろんな味があることを共有しました。それと同時に「っていうか、味わうって楽しくない。なんでそんなことをするんだろう?」という疑問も投げかけられ、活発に脱線していきました。その一連の流れ自体がIPSなのかもしれない、と感じながら皆さんと時間を共有していきました。

 大変興味深い事でした。あまり普段の生活で自分の感情についてとことん考えたことはなかったですし、IPSの研修の場はそういうことができる、心の点検場のようなものだなあと感じ魅力が尽きないなと思います。

 また別の角度では、社会通念の中で大きな感情を出すのはリスクがある。しかしそれをあえて出すことによって相手への信頼と、新しい発見を期待してIPSではそれを推奨しているという話が出てきました。

 これは大変怖いことです。特に医療者では社会通念や社会的立場、役割を常に感じながらいるので「看護師たる・・・!」となってしまいがちです。これをブレイクスルーしてくる可能性があるIPSは、本当に開かれた関係を築く、本当の意味での「関係性を築く」ものの一つだと実感します。

 それと同時にやはり、怖い。本当の感情を出すということは自分にとっても相手にとってもリスクを感じること。関係性が壊れるんじゃないかと感じるもの。それをIPSがあるということを共通理解することによって本当に出せるというのは、やはりすごい構造だと思います。

 それをするためには、間を味わうこと。沈黙を共有すること、相手がどう出るかを、善悪や価値判断を下すことなく突入していくことが必要になると思います。本当の意味での「信頼性のある関係性の構築」ということです。これは、医療者と当事者の関係だけでなく、人と人との関係ですら、簡単には出来ることではありませんね。IPSは、そこまで目指しています。

 

 

私の感想

  IPS、大変良かったです。再び機会を見つけ、参加したい。自分の感じ方や人の感じ方を再点検し、心を新しく過ごすことができます。本当に人生の彩りを豊かにしてくれる考え方だと思いました。何よりよかったのは、流動性があるということでした。それゆえとっつきづらさを感じますが、飛び込んでしまえばこっちのものだと思います。

 臨床で活かすとするならば、自分の立ち振る舞い・言動・行動・価値観の振り返りを行うことに終始するかもしれません。対話は相手があってのことですから、どうなるのかな、と思います。しかしIPSの考え方に触れていることは、間違いなく自分の看護に言語化のしづらいところで質の向上があると感じます。折を見て振り返りたいと思います。

 そういう感じでした。ぜひ、機会があればIPSに触れてみてください。

Intentional Peer Support – 「意図的なピアサポート」を考える取り組み