精神科看護「まごころ草とばいきん草」

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精神科看護に関する自分なりの覚書

子どもの権利について

前回の記事は、子どもを守るために、という視点で親が知っておくべき義務や知識、情報リテラシーということでしたが
今回の記事は子どもの権利についてです。

今、森田ゆり氏の著書を知り合いから推薦してもらい読んでいます。
また読了後感想を述べようと思いますが、全面的に考えに賛同する感じです。

子どもの権利とは、子どもとは独立した一人の人間であり、様々な自体に対して権利擁護を行えることなのかなと思います。
もっと端的に言えば、子どもとは言え一人の人なのだから、対等に関わろうというだけの話かもしれませんね。

対等だから、権利擁護を受け入れ認める。
対等だから、選択権を委ねる。
対等だから、話を信じ、聞く。

これだけなら簡単な話です。ただ、子どもの特性として自己決定権の脆弱さ、庇護が必要な状態、リテラシー能力の未発達さが問題をややこしくしてるのかなと思います。

すなわち、子どもの意見をすべて鵜呑みにすると社会とうまくやっていけない点があるのではと思うわけです。
例えばファミレスで大声で歌い、走り回って遊ぶということ。
これは子どもが行いたいという欲求をそのままストレートに発散してしまっている状況です。
これでは不利益を被る人も出てきてうまく行きませんから、本来的には子ども自身が考え、今は我慢をするなど対処行動を取ってほしいのですが、そううまくできないのが子どもの特性です。
だから、この子供の意見、欲求は鵜呑みにせず、子どもに話して聞かせて説明し、わかってもらう必要がありそうです。

またややこしいのが話してわかっても、我慢できるとは限らないという点ですよね。
その時には、はじめて親としての義務というか、社会性を発揮するときというか、権力を施行するときなのでしょう。
すなわち、外に連れ出し、静かになるまで一緒にいるとか、各々の教育が必要になると思います。

この権力の施行が、子どもの権利や人権を強く脅かさないよう、細心の注意が必要ですよね。ここが捻れるから、様々な問題が出るのでしょう。

また、別の話です。
権利の主張は、それまで不正に利益を得ていた人にとって嫌な話です。
子どもの権利を主張して反対意見を言う人は、どんな人でしょうか。
学問的、哲学的に考えて話をされてるのでしょうか。または、何か不利益を被ると感じて話しているのでしょうか。
具体的になんだという話ではないのですが、少し考えましたので記事にしています。

また、権利が来れば義務もついてくると思うので考えます。
権利だけ主張して義務を果たさない人の話なんて噴飯物ですからね。

子どもの義務ってなんでしょうか。
育つこと、学ぶこと、世代を変えることでしょうか?
それとも親を介護することでしょうか?・・それは違いますね。

何でしょう・・

私は、「在る事」だと思います。
ただ、生きていること。生き続けること。
それが子どもの義務なんじゃないでしょうか。

その義務を果たす事を助けてあげる、すなわち生きやすくすることこそが、親のまず第一の義務だと思います。