WRAP体験クラスに参加しました
9月に当院にて、WRAP体験クラスが開かれました。
「WRAPってなに?・・・そういえば、精神科看護の雑誌に連載があったな。増川ねてるさんって人が連載してたような・・・。」くらいの、前知識もなく、大変ふわふわした気持ちで参加しました。
参加した理由も、「ねてるさんが来てるんだ。どんなんだろ。連載のやつ、難しそうで手を出せなかったしな。何かためになることがあればいいな。」くらいでした。
そしたらWRAPってのがとても面白くて。
僕はまだSSTやCBTについてほとんど知らず、「そういうやつがあるみたい。作業療法士さんや先輩看護師さんがやってるやつで、メインはデイケアのほうなのかなー。」くらいの、ふわっとした精神科看護師です。今後そういったことも勉強しようと思ってます。
そんな、精神科看護師にとっての常識的な知識や技術がほとんどない人がWRAPに触れたらこんな反応だったよ、的な感想を書いていきますね。
WRAPとは、療法ではありません。医療者から提供される技術でもありません。「自分の取扱説明書」です。しかも、それを自分で作らないといけません。とても大変。
WRAPは、リカバリーしている当事者から見出された「結果」です。これはエビデンスがあるなしではなく、「そうであったことの事実」をまとめたものです。
今回講義に来ていただいたねてるさんも、当事者の方です。とてもエネルギッシュで、笑顔が素敵な方でした。
WRAPは、元気になる道具箱をたくさん集めて、自分のどんな時にその道具を使うのか、という技術と、5つのリカバリーのキーコンセプトという哲学を知るものです。また、クライシスプランという、自分が自分でコントロールできなくなった状態に、人に助けてもらうための「人にお願いするプラン」もあります。とても、役に立ちそうな感じです。
ほぼ1日研修だったんですが、半分以上はグループワークで、はじめは初めて会う方が多く、緊張しましたし、苦手意識もあるので大変でした。しかしながらねてるさんの進め方が上手いんでしょう、どんどん楽しく、グループの力が働きながら自分たちのWRAPや元気になる道具箱を話し合えるようになっていきました。
この、元気になる道具箱を話し合うのって結構恥ずかしいです。自分の内面をさらけ出す感じがします。ただ、人の道具箱を見るのってとても楽しく、「おおー、これとか自分でも使ったら楽しそうだな」っていうのが多くあり、一人で考えていてはたどり着かない考えにもたどり着けました。
そこから話は、さらにリカバリーのキーコンセプトを自分に引き寄せるということになってきたんですが、これがむつかしい。
例えば「あなたの希望ってなんですか?」と問われても、「希望・・・?ない。」って感じでしたし、「あなたのサポートとはなんですか?」に対しては「ないのがふつうじゃ・・・?」という感じでした。おそらく、自分の内面を十分に見つめることが出来てない証なんでしょう。これからもWRAPを作り続けて、しっかり「自分の取扱説明書」を作りたいなと思いました。
そう、なんとなくはじめは「患者さんが使うもので、医療者は教える感じなのかな」と思っていたんですが、全然そんな事ないです。WRAPは、患者ー看護師間を超える道具の一つだと思います。人と人の間柄の話になります。
WRAPのすべてはまだわかってないですし、人に伝えられる状態でもないんですが、例えば「責任ー主体性」というキーコンセプトはとても感銘を受けるもので、簡単に言うと「自分の人生は自分で選択して決めていく。相手の刺激に対し反射的に返すのではなく、反応し、どうお返しするか考える」ということを考える部分になります。「自分で自分のことを決める、それは自分の生まれ持った能力」ということを知るだけで、なんだか活力がわいてきませんか?
WRAPはそんな魅力がたくさんある、とてもいい考え方のものです。
ねてるさんの著書も買って、読みました。また感想記載しますね。
ユマニチュード入門 本田美和子ほか 感想
読み終えましたので、備忘録的に感想を記載します。
以前の記事にもある程度記載しましたが・・・。その時には本の方は読んでなかったですので。
ケアのレベルについて
1健康の回復を目指す。
2現在ある機能を保つ。
3回復を目指すことも、現在ある機能の維持をすることも叶わないとき、できるかぎり穏やかで幸福な状態で最期を迎えられるように、死の瞬間までその人によりそう
(中略)ケアする人にとっていちばん大切なことは、「相手のレベルに応じたケアを行っているか」
著者は多くのケアは患者さんのレベルに応じていない(低い)ケアを提供していると指摘しています。本当は出来るのに、こちらの都合や安全を優先するあまり、寝たままの清拭であったり車椅子使用であったりと言っています。ケアのレベルが適切でないから、認知症の患者さんは寝たきりになっていったりしていると指摘し、それゆえに介護量が増え、忙しさに拍車をかけていると指摘しています。
また、別の章では「認知する」「選択する」という部分においても、同じく本来できるはずのことを提供できておらず、こちらで決めていると指摘しています。それゆえ、認知機能はさらに低下していると。
まずは、患者さんに認識してもらい、選択してもらう。「知人の家に来ていきなり『今日のご飯なに?』とは聞かないでしょう。まずは挨拶から。患者さんにもそうしましょう」と提言しています。
著者はその「認識する」「選択する」ということにおいて、それを行わずにするケアを”強制ケア”と表現しています。
ユマニチュードでは、強制ケアをゼロにすることを目標としている、とあります。
そのために4つの技法と、1つの哲学が提言されています。
哲学としては「人は2度生まれる。生物学的な誕生と、社会的な誕生。ユマニチュードでは社会的な誕生を再度認識し、3度目の誕生を意識しよう。ケアを提供する時、その人を中心にはしません。ましてや病気を中心にもしません。絆を中心とするのです。」
上手く、まとめられていませんが、おおよそこのような哲学があります。
4つの技法は以前の記事で載せた通りの、「見る、話す、触れる、立つ」の4つです。
・見るということについて
見るというのはあまり意識しない行為ですが、見ることによってその人は存在を認められると述べられています。
見られていないとはあなたは存在しない、というメッセージの投げかけに他ならないとあり、ポジティブなメッセージの見るを行いましょうと提言されています。
具体的には相手の視線に自分が入り、認識を待ってから声をかけるということです。
認知症の人の認識は優位に遅く、水準が上がってくるのにも時間がかかります。そのため、ノックをして、まち、またノックをして入るなど、意識して関わることが肝要であると述べられています。
また、見る時に当然ですが、視線を同じ水準に合わせることも注意されています。見下ろしたり、横から見たりしないことと注意されています。
・話すということについて
話すといっても、反応が無ければこちらも話す元気がなくなります。この点に着目し、著者らは「オートフィードバック機能」を提言しています。ケアの最中、ポジティブな言葉で実況中継し、話すことを続けるという技法です。これにより、話さないということがなくなり、相手を尊重することができると述べています。
・触れるということについて
触れる際には、広く、優しく、温かくが基本とあります。決してそっとではないと注意されています。触ることによってずいぶん多くのメッセージが伝わると述べられています。
また、介助などする際、決して相手の腕をつかまないようにと述べられています。つかむという行為は強制性をはらんでおり、その意図がなくとも、相手にネガティブなイメージを与えると主張されています。そのかわりに、下から支えるという方法が提案されています。それによりソフトになり、また支えるために広く優しく温かく触れることとなるため、効果的であると述べられています。
・出会いから別れまでの5つのステップ
1 出会いの準備
2 ケアの準備
3 知覚の連結
4 感情の固定
5 再開の約束
上記の手順を踏むことで、ポジティブなイメージの感情記憶を促し、今後のケアを行いやすくるという運びになっています。これを日常続けることで、ケアがしやすくなると述べられています。
特に出会いの準備で、きちんと認識してもらい、ケアの準備で同意を得ることが、ポジティブなイメージの感情記憶を促すと述べられています。
・ケアを拒否する場合
強制はしない、ということですが、3分程度は交渉を続けると言います。
また、午前交渉して同意が得られなければ午後にまた交渉する。そのほかのかかわりの時にもユマニチュード的に関わり、同意を得られやすいように導いていくと提案されています。
当然その日はケアが行えないリスクはありますが、ユマニチュード的にはそれでいいのだそうです。
それよりも、その人らしさを回復し、自立的に行えることを促すことが肝要とあります。
・転倒リスクについて
歩くことによって転倒は起こりえます。しかし、ユマニチュード的にはこれを「回復の過程」と考え、ある程度のリスクは受容するべきと提案しています。
看護的には、転倒転落はヒヤリハットですし、骨折や重篤な障害につながることもあり得ますから、リスクは出来るだけ減らしたくなります。
しかしその結果、ベッド拘束などを行っているのが現状であり、それは適切なのでしょうか・・・?
家族からも、病院に入院してるのに外傷ってなんでだ?ってなるのは当然の思いかと思います。それと同時に、ベッド拘束などでADL低下というのも納得いかないことかと思います。
ユマニチュードはこのような感じでした。とても面白かったですし、実際にいくつかの技法は私の看護に取り入れている状態です。
ユマニチュードを行うことでよかった点は、認知症の人の関わりにとっかかりが出来た点でした。今まで、雲をつかむような感じでどうかかわっていいかわからなかったのですが、ユマニチュードは技法なので、それにのっとって関わるというとっかかりが出来、その人の人間性と触れ合う機会が作れるようになりました。
また、認知症の方以外とも、目を合わせる、や認知してもらう、などといった技法は生きており、「看護師さん突然きてケアして去ってった」ってことが減ったような気がします。
本書ではユマニチュードの概要と技法のいくつかが述べられていましたが、また哲学的な面をもう少し読みたいなと思いました。また、読む機会があったら記事にしますね。