精神科看護「まごころ草とばいきん草」

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精神科看護に関する自分なりの覚書

ひきこもり問題を考えるシンポジウム in 兵庫 感想

 2017年11月23日に行われた、「ひきこもり問題を考えるシンポジウム in 兵庫 -ここで、もう一度ひきこもり問題を考える-」に参加してきました。

 場所は神戸学院大学ポートアイランドキャンパスで、主催は「ひきこもり問題を考える会」陽だまりの会です。

 

 詳細は以下で確認できます。(終了しています)

www.facebook.com

 陽だまりの会は、不登校の子どもを持つ親の会だそうです。

 兵庫県のサイト、青少年育成、「居場所・相談」の所に記載がある通りでして、私は参加したことがないのでどういうところなのか詳細までは分かりません。

 知り合いのつてで今回のシンポジウムを知り、参加した次第です。

 全体的にひきこもりの子どもを持つ親御さんの参加者が多いのかなと言う印象でした。6割以上がそうかなという感じで、支援者は3割いるかなあ・・・?という感じ。

 シンポジウムは筑波大教授の斎藤環先生、フリージャーナリスト池上正樹氏が基調講演を、厚生労働省社会援護局地域福祉課の小野博史氏が行政説明を行った形となっています。

  シンポジウムの流れに沿ってちょっと感想を述べていきたいと思います。

 

 「高年齢化するひきこもりのサバイバル戦略」 斎藤環先生

 表題から「?」となったんですが、現在ひきこもりの高齢化問題が深刻だそうです。

 「80・50」問題と言うそうです。親が80歳、子どもが50歳。子どもを養うために親は仕事など出続けている、という構造になっているようです。

 「OSD問題」というのもあるそうです。親が、死んだら、どうしよう、だそうです。

diamond.jp

 ついついひきこもりは、不登校等から来る子どもの問題なイメージだったんですが、刷新されました。今やひきこもりの高齢化が問題だそうなんですね。もはやひきこもりの平均値は35歳だそうで、子どもの問題でひとくくりにはできません。

 確かに、たまに高齢なのにお仕事をされて、子どもを養っていると言う構造を見ることがあります。この問題に近しいのかもしれません。

 

 また、それに伴い(?)、国は若者の定義を39歳までだったのを、44歳までに引き上げるそうです。「若者の高齢化はわが国だけの問題でして」と冗談交じりに話されていました。こうやって定義をいじることにどんな意味があるんでしょう・・・。

 

 振り返って、斎藤環先生の社会的ひきこもりの定義を確認しますと、

・6ヶ月以上、社会参加せず

精神障害を第一の原因としない

※ただし「社会参加」には、「就学」「就労」のほか「親密な仲間関係も含まれる」

 とあります。 その社会的ひきこもりの特徴は、

不登校との関連性は高い

・1970年代後半から増加

・全国で数十万から百万人と推定

・比較的、男性事例に多い

・どのような家庭のどのような子どもにも起こり得る

・しばしば著しい長期化(数年~十数年)に至る

・長期化と共に精神症状が、あるいは家庭内暴力等の問題行動が出現しやすい

・ひきこもりきっかけは多用だが、長期化のパターンは共通点が多い

・長期化に至った事例が自力で社会参加を果たすことは著しく困難

 と話されていました。(当然ながら、チェックリストで人間が分かるわけありませんから、目安・指標です)

 例えば精神疾患を持った人であれば、医療と言う社会の窓口がありますが、精神疾患を有していなければ社会との接点はただひとつ、「親」だけになってしまいます。

 社会との接点がなければ、社会を学ぶことも、社会技術を磨くことも、社会を発揮することも出来ません。

 

 どうすればいいのでしょうか。

 斎藤先生が語るには、

 

「本人が安心してひきこもれる関係づくり」が何よりも大切だと言うこと。

そのためには「対話」が最も大切だと言うこと。

 

 この2点を繰り返し話されていました。確かにその通りだなあと実感します。

 特に難しいのは「対話」で、説明・説得・議論は「対話ではない」と言うことです。オープンダイアログの言い方に変えれば、説得や議論は「独り言」です。

 具体的には挨拶・誘い・お願い・相談を展開していくこと。「これみて悟れ」は「対話」ではなく「強要」だということ。正しいか、間違ってるかとか、世間の常識かどうかで対話をしないこと。と様々に説明されていました。

 

存在を否定されないこと。

 

 これが最も根幹になければならないだろうなあと実感します。本人はただでさえ、ひきこもっていることに引け目を感じたり、親に複雑な心境を抱いているんですから、唯一の窓口である親が「甘え」だの「わがまま」だの「なまけてる」だの「どうせ暇なんだろ」だの言わないで欲しいです。それは充分自分自身で自分に向けています。

 存在を否定されないことを前提に話を進めていかないことにはどうしようもありません。

 

 かといって、本人もひきこもっていることが夢や理想ではないわけですから、本人が持っている夢・目標・希望・理想に接していくこと。これがリカバリーへの道だと思います。

 斎藤先生も講演の中で「就労は目標や手段ではないけれども、ひきこもりを脱却した事例には就労がキーワードになっている人が多い」と話されていました。

 ここで大切なのは、本人が自らの意思でそうしたいと願って就労に進んでいたかどうかと言う点ですよね。言わずもがなですが。

 就労とは社会との太いパイプです。社会に接することで、自分の夢や目標、希望にアクセスすることが出来る場合がとても多いです。繰り返しですが、順番を間違えると意味がありません。「ひきこもってないで働け」は明らかにNGです。 

 対話を繰り返し、希望にアクセスし、社会に接していくことが一つの可能性なのかなと、講演を聞いていて感じました。

 もちろん、ひきこもりによって社会的スキルを身につけていない状態ですので、いきなり理想的な仕事という形にはたどり着かないかもしれません。しかし近頃では様々な社会資源が作られており、特に医療にかかっている人であれば簡単にアクセスできます。斎藤先生も手段の一つとして提案されていました。

 

 またひきこもりの基本構造で、説教される不安が強いと繰り返し伝えていました。そのため、不安を与えて何かをさせようとしても失敗する。そうではなく安心を与えて、補助していく形のほうが成功しやすいと話されていました。例えば「親が死んだらあんたどうするの!」と不安を煽ろうとしても「いや、そうなったらもう死ぬからいいし」と自暴自棄的に反論されてしまうというような結果です。「じゃあ仕事するわ」には到底たどり着きませんね・・・。

 

 また、親に対する支援という話もキーワードになっていて、K6テストという簡易心理テストの結果では、ひきこもりを持つ親の健康被害リスクが高いことが示唆されています。13点以上の要注意者がとある家族会の母集団のうち43%もの人が該当していました。(参考に、K6テストです)

www.ubiquitous-counseling.org

 

 その親の支援の一つには家族会もありますが、ふつうに受診することもお勧めされていました。それくらい、ご両親はクライシス状態だと言うことです。本人も医療にかかることで就労の手段が増えることもありますから、選択肢を増やすと言う意味でもダブルで効果的だなあと聞いていて感じました。

 

  講演の最後のほうにちらりとオープンダイアログの話もされていました。

オープンダイアローグとは何か

オープンダイアローグとは何か

 

  残念ながら私はまだ未読なのですが、7原則に基づいて「対話」で治療していくと言う話です。対話と軽く言ってますが、前述の通り説明・説得・議論等は「独り言」になっちゃいますから、「対話」と言うのは技術のいることです。しっかりとした根拠を持って行われているんだなと面白く聞いていました。

 

 支援が暴力にならないためには「本人の尊厳を尊重する」。これが大切です。と締めくくられました。

 

「ひきこもり当事者の求める支援と情報(資源)」 池上正樹

 池上正樹氏といえば、今はダイアモンドオンラインでの連載をされていたり、

diamond.jp

 以前に斎藤環×池上正樹×ひろゆきニコニコ動画で徹底討論なんかされていたりしましたね。以下のは、2014年に2度目のひろゆき対談のものになりますが。

gendai.ismedia.jp

 (念のため補足しますと、ひろゆきとは大規模匿名掲示板、2ちゃんねるの創設者です。ネット黎明期の重鎮です。)

 

 斎藤先生と同じく、「80・50問題」や責められるかも、という不安に関して話をされていました。面白かったなと思うのは、ひきこもりは1970年代から台頭してきているという事実に着目していた点です。社会の変容とひきこもりの存在は密接に関係していると言う話でした。

 これ、滝川先生も指摘していたことですよね。 

sakatie.hatenablog.com

  11章のところを、過去記事から引用します。

 この社会の価値観の変化は子どもたちにも影響を与えます。かつて昔は士農工商で子どもが就ける仕事は固定化されていましたが、近代化により自由になります。そこで立身出世を目指し、勤勉に励み学歴を得て社会的地位を高めることを目指していた(またある程度その努力は功を奏していた)時代ではなくなりました。70年代初頭まではこどもたちの間でも勉強をまじめにするのはよいことだという価値観は自明なものとして共有されていた。しかし現在、価値観は「社会性」にシフトし、勤勉であることだけに価値はなくなりました。テレビのタレントのような「面白いことを周りの様子を察し、面白いタイミングで」ということに価値観が置かれ、変化していきます。

 ASDの子どもたちにはその価値観と行動には不得手で、ついていけません。学級内で異質化してしまいます。子どもは異質を見つけるのが得意ですから、そこから、いじめに発展していくことは自明の理でしょう。

 

 と。1900年代初め頃、子どもたちの凶悪犯罪は多かった。殺人や強盗等10代の子ども、場合によって一桁の年齢の子どもたちも犯していました。今、暴れるのは高齢者の比率がどんどん増えています。

kaigolab.com

 若者は、ひきこもることによって社会に対する鬱憤を表現しています。

 今の社会、なんなんでしょう。

 池上氏はジャーナリストですから、これからもどんどん社会に対して発信をしてこの社会を変えて欲しいです。多様性を受け入れられるような社会を作っていきましょう。

「行政説明」 小野博史氏

 さあ、満を持して社会の登場です。

 

 従来、ひきこもりに対してサポートできる行政のしくみとしてはせいぜい「生活保護」だけでした。例えば精神疾患などが診断されれば生活保護は受けやすくなりますが、何もない人にはなかなか降りないのが実際。と言うか、そもそも生活保護を申請しにいける人はもはやひきこもりと言えるのかどうか・・・。それくらい、生活保護を受給するのは大変。殆ど実用的なサポートがないのが実際でした。

 しかし、政府はひきこもりを認識しており、広義のひきこもり状態にある者を約54万人いるとし、支援を決定しています。

 平成21年から「ひきこもり地域支援センター」の設置。全国66自治体にあり。

 平成25年から「ひきこもりサポーター養成研修、派遣事業」の開始。

 平成27年から「生活困窮者自立支援法」の制度開始。

 次年度からはさらに、ひきこもりサポーター(ピア含む)養成やサポート事業にも力を入れていく方針を立てています。

 「わがごと・まるごと」をキーフレーズにどんどん地域の力を入れようと制度化を進めています。

www.mhlw.go.jp

 さて政府のひきこもり地域支援センターについて調べてみると、例えば関西では、

三重県ひきこもり地域支援センター 津市
滋賀県ひきこもり支援センター 草津市
脱ひきこもり支援センター 京都市東山区福知山市 
大阪府ひきこもり地域支援センター 右記以外の府下 大阪市 堺市 
兵庫ひきこもり相談支援センター こちら2ページ目参照 但馬 丹波 阪神 淡路 播磨
奈良県ひきこもり相談窓口 奈良市 
和歌山県ひきこもり地域支援センター 和歌山市 新宮市

 と、それぞれ都道府県にあります。兵庫県だけ、でかいだけあってか5ヶ所もセンターがあり、しっかりと力を入れていることが伺えます。三重は関西です。反論は認めません。

 どんなところなのか行ったことがないので使い心地とかはわかりませんが、とりあえずこれを一次機関として、まずは来て下さいの形で進めているようです。

 

 と、早速上記池上氏が記事で警鐘を鳴らしてますね。

diamond.jp

 一方、地域での支援が功を奏している報告もありますね。

www.nhk.or.jp

 さて、どう転んでいくのでしょうか。

 

 ひきこもりサポーター養成研修、派遣事業については、まだよくわかりません。私は保健師資格もありますが、なれるんですかね。予算や給料、実態等いまいちつかめません。このへん、もうちょっと支援強化すると言うなら明確化・具体化したほうが分かりやすいんじゃ?と言う感じです。

 おっと、民間の某海の上の乗り物の学校みたいなところには気をつけてくださいね。斎藤先生も警告しています。暴力は支援ではありません。

 

 生活困窮者自立支援法は、このシンポジウムに参加するまでは生活保護の一歩手前の人を救う、という浅い理解でした。狭義のひきこもりに該当する人も支援されるんですね。支援されるという事実は喜ばしいことです。さて、どんな支援がされるんでしょうか・・・?ひきこもり当事者や疲れた両親が援助を受けられるような制度になってるんでしょうか?

 また何か学びを深められれば、再度記事に出来ればと思っています。

 

最後に

 精神科看護領域でも、ひきこもりは一部重なる部分もあります。メインではないんですが、理解を深めることは支援を深めることにつながります。行政ではないですが他人事ではなく、わがごととして考えられるような看護師になりたいものですね。

 

 ひきこもり当事者さんには、とても具合のいいブログがあったので紹介しますね。

hikikomori-peersupport.hatenablog.com

hikikomori-peersupport.hatenablog.com

 当事者会に参加してみよっかな、と頑張られている人はおおいに参考になると思います。なにせ、ピアの言葉ですから。聞く価値ありですよ。

 

 精神科領域の、リカバリーの軌跡やストレングスモデルという発想とひきこもりに対する理解や支援というのは何も変わらないなと思います。病気なのか、障害なのか、社会問題なのかの違いなのかなと思います。

 誰しも苦しいものは苦しい。ひきこもりは病気じゃないから根性だ、だなんて発想はナンセンス。冷静な視線で「対話」できるように心がけていきたいと思います。

精神科看護って面白い! 魅力・やりがいについて

  お問い合わせに「精神科のお仕事の魅力ややりがいについて教えて欲しい」とコメントを頂きました。ありがとうございます。

 人それぞれ、精神科の魅力ややりがいを感じる点は異なるところが多いと思います。(後述しますがそれこそが魅力の一つだと思っています)

 なので、この記事では私が感じている魅力ややりがいについて少し触れてみたいと思います。

 

精神科看護の魅力

 精神科看護の魅力は、患者さんの生きる希望や人生について関わることができるということに尽きると思います。

 患者さんは病気になることにより、失望し、将来を悲観的に考えたりしてしまいがちになる方が多いです。しかし、病気は病気で、その人はその人です。退院後どう過ごすか、どんなことをして生きていきたいか、希望を感じるときはどんなときかなどもいっぱい話し合い、退院の時までにはたくさんのお土産話として持って帰ってもらう。そして、病気が治るではなく、病気の前のときよりもより良くなるよう、対話を繰り返し、価値観を相互に共鳴させていくことが、精神科看護の真髄で魅力だと思っています。

 

 ここで大切なことは、多様性・ダイバーシティの考え方です。これは社会の問題であったり、文化人類学的な発想が必要なところかと思いますが、外科や内科といった身体の科と違い、精神科には明確な治療完了の状態がありません。治ったと言う指標がないんです。それはなぜかと言うと、その人それぞれで到達点が違うからです。

 ある人はフルタイムで残業でバリバリ働く人が到達点かもしれません。またある人は芸術系で時間枠は関係なく才能を発揮させる人が到達点かもしれません。また別の人はゆったりと自然に生きる人が到達点かもしれません。病院は職業訓練所でも、学校でもありませんから決まった完成形を持ちません。

 また本人にとってベストを尽くしていると思っていても、社会的にはそうでないかもしれません。社会は生物ですから、かつての価値観が今の価値観とは当然異なってきます。昔の職人気質は、今のコミュニケーション障害と言えるかもしれません。そこから軋轢が生まれ、適応障害であったり、抑うつであったりに進行することは珍しい話ではありません。

 更に、入院前の生活がその人の程よい状態かと言うと、もしかしたらそうではないかもしれません。午前3時まで飲みニケーションをして、朝6時に元気に出社!を週6回する生活で破綻するような人もいます。逆に、そうであることに生きがいを感じる人もいます。

 精神科に入院するまでになったからには、今までの生き方が上手くいかなかったからなんじゃないかなと言う仮説を元に、患者さんと検討を繰り返していきます。そうすると、自然と患者さんは自らの希望や生きがいに触れ、元気を取り戻していく。そこがとても魅力だなあと強く感じます。

 

 私が特に大切に考えていることは、決して医療者が与えるという立場にはならないということです。この人生のすべてについてなんて到底わかりません。私は私の人生を今まで生き抜いてきました。そして、目の前に対峙している患者さんは今日までその人生を生き抜いてきた人です。それを想像すると自然と尊重の念が湧いてきます。(私も私で複雑な人間ですから、時々尊重の念が湧いてこないこともあります。どうしてでしょうか。それを考えるのが精神科の醍醐味です。)

 医療者は何か人生のマスターキーを持っているわけではない。では、何をする人なのか。宮内先生の受け売りですが、私はその人の松葉杖になることが求められていると思っています。

 松葉杖ですから、いつかは手放します。そして、自分の人生の主軸を取り戻してほしいなと、思って日々看護しています。

 日々看護をしている中で、時々自分の人生の主軸を取り戻される瞬間があります。「ああもう、薬に頼ってばかりの人生は嫌だな。」「人の感情に左右されてばかりの人生は飽きた」「もっと自分の人生を生き抜きたい!」そういう声を聞くとき、ああ、この仕事をしていてよかったなあ、と感じます。

 

精神科看護のやりがい

 精神科看護のやりがいは、多様性・ダイバーシティという考え方の難しさがやりがいを感じます。すべての人に画一的に看護を提供しても全く意味がありません。なぜなら、人はそれぞれ違うから。当たり前ですね。だから、人によって手を変え品を変え看護を提供していく必要があります。

 

 例えば睡眠状況を伺うときのことを考えます。

 ある人には「眠れました?」で済むかもしれません。別の人には「寝付きの具合と、途中で目が覚めたかどうかと、早くに目が覚めて眠れた感じがしないかどうかを教えてもらえますか」と噛み砕いたほうが良いかもしれません。「眠れましたよー」と来られてそのままでいい人もあれば、表情や客観的情報を基に掘り下げたほうがいい人、また逆に深く触れないで折を見て聞いたほうがいい人、全く聞かないほうがいい人等あるかもしれません。「睡眠は心の栄養ですから、大切なので伺ってます」と伺う理由を説明しないとだめな人もいるかもしれませんし、逆にあれこれ言葉数を多くすると不穏になってしまう人もいるかもしれません。こちらのタイミングで聞いてもいい人や、様子をうかがって行けるタイミングを探る必要がある人もいるかもしれません。全く逆に、「眠れました」から話が迂遠になっていき、適宜修正が必要な人もいるかもしれません。模範的な回答をしなければならないと考え、「よく眠れました!」と過剰適応する人もいるかもしれません。話かけても、全く違う反応が来てしまい、何度も聞き返す必要がある人もいるかもしれません。(眠れるかどうかなんて聞いてくるなんてこいつは何者だ・・・)と無言のまま訝しげにこちらを見てくるかもしれません。「3日前の薬は良かったけど昨日からの薬の調整がこれでこうで・・・」と、予め内服状況を十分に把握しないとテンポについて行けない人がいるかもしれません。

 

 ただ単に「眠れました?」に対して「よく眠れたよ/まあまあだよ/いまいちだな」という返答を期待するだけですが、サラッと挙げるだけでもこれだけ思いつきます。

 そこから、単に患者さんから情報を貰うだけでも、個別的な対応が求められます。同じ看護師でもAさんとBさんとで全く対応が違う!ということもありえます。マスターキーなんてありえないんです。

 

 さらにそこから、病気に対する受け止め方や考え方、価値観のこと。何がその人にとって希望であったか。何故病気になったと考えているか。どうなりたいと考えているか。ストレスに対してどう対処しているか。今の自分についてどう思っているか。どうなりたいと思っているか。人にどれだけ頼ってもいいと思っているか。薬に対してどう思っているか。経済的な心配事。社会的な悩み。等などたくさんのことを一緒に考えていく必要があります。

 もう、網羅できません。

 

 しかも患者さん要因だけではなく、看護師要因もとても大きいです。私では絶対に看護を受け入れてもらえない人がいたり、その逆に私なら看護を受け入れて貰える人がいたり。

 それは、誰かが優れていて誰かは劣っているという話ではないんです。単に、そうであるという事実だけです。様々な患者さんがいるのが精神科ですから、様々なスタッフがいないと困ります。それが精神科です。

 人と人が出会うのが治療の場ですから、お互いの要因にも敏感にならないといけません。自分が治療道具として役に立つために、自分自身のメンテナンスや、状態の把握、理解が求められます。これが難しい・・・。

 前出の文章ですが、私も私で複雑な人間ですから、時々尊重の念が湧いてこないこともあります、と語りました。これについては看護師要因も大きいと考えています。

 すなわち、自分の人生の問題や課題を患者さんに見出して、複雑な思いを抱いてしまうこと。これが結構あります。そうなってくるとつい感情多め、エゴ多めに喋ってしまったりしてしまいます。よくありませんね・・・。

 

 患者さんと看護師の相互関係については多くの研究があります。例えば木村敏先生の”あいだ”という概念。ユングフロイトの提唱する”転移・逆転移””陰性転移・陽性転移”。土居健郎先生の”甘え”も対象が必要なことから、相互関係のものと言えるかもしれません。

 そういった概念を知ることで、普段の臨床の”現象”が何なのかがわかるかもしれません。考えるヒントになります。それらの知識を踏まえて患者さんを理解していくことや、自分自身の理解を深める事はまさにやりがいだなあと強く実感しています。

 

 言い方を変えれば、明確な答えもなく、行き着く先もなく、ひたすらに考えていく必要がある科。最終決定権は患者さんが持っていて、医療者は提案までしか出来ない。その提案も、意味があったりなかったり。自分のことを振り返り、内省を深め、しかしそれが必ずしも良い治療にすぐに結びつくわけではない。目に見える技術よりも、目に見えない技術の割合が多い。社会の動向も重要で、今の社会について常に触れて更新していく必要がある。それが精神科なんだろうなと思います。

 うーん、こう言うと中々スッキリしない科ですね。

 

 

  精神科全体の雰囲気をなんとなく知るなら、まずは「ブラックジャックによろしく」をおすすめしています。9巻から13巻までが精神科編です。社会的側面をより強く描かれていて、大変熱が入っています。結構精神科の病院にはこの本置いてますよね。

 

  それと、2017年の新刊ですが、「精神科ナースになったわけ」こちらも大変おすすめです。手放しでおすすめできます。コメントを頂いた方にお勧めするがてら自分でも読みましたが、大変上質でした。もちろん実録で載せるわけには行きませんからフィクションですが、本質をしっかりとらえていると感じました。

 精神科看護ってどういうことをしているの?個別性って何よ?の答えがこの本の中にありますよ。

精神科ナースになったわけ (コミックエッセイの森)

精神科ナースになったわけ (コミックエッセイの森)

 

 

 こちらのサイトで幾つか試し読みも出来ます。ぜひ、ぜひ!読んで!!

matogrosso.jp

 

 ちょっとテンションが上がってしまいました。

 

 漫画で精神病棟を淡々と描いているものといえば、

このマンガがすごい! comics 精神病棟ゆるふわ観察日記 (このマンガがすごい!comics)

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 こちらの本も2017年の新刊です。レビューなどでは賛否両論ですね。

 下記のサイトで試し読みが出来ます。

konomanga.jp

 

 個人的な意見としてはちょうど、精神科ナースになったわけが精神科の光の部分を、精神病棟ゆるふわ観察日記が精神科の闇の部分をより濃く描いているものなのかなあと思います。漫画ばかりで偏ってますが。

 

 本格的に興味を持ってきたら、中井久夫先生の看護のための精神医学 第2版が鉄板です。なにせ、看護学生のために講義した内容を本にしたものですから、間違いがありません。必携です。