精神科看護「まごころ草とばいきん草」

精神科看護「まごころ草とばいきん草」

精神科看護に関する自分なりの覚書

宮内倫也 精神科臨床Q&A for ビギナーズ:外来診療の疑問・悩みにお答えします! 感想

 

精神科臨床Q&A for ビギナーズ: 外来診療の疑問・悩みにお答えします!

精神科臨床Q&A for ビギナーズ: 外来診療の疑問・悩みにお答えします!

 

 この本の基本読者層は若手精神科医向けと明言があり、看護師向けではないのですが、著者のファンなのでついつい読んでしまいました。

 

著者は、2009年新潟大学医学部卒業、名古屋大学医学部付属病院に初期研修、2011年より同精神科勤務。2013年より同大学院。と、卒後8年目の比較的若めの先生なのですが、めちゃくちゃ頭いいです。言葉選びもすごく上手い。古典的な文献から、最新のスタディまで網羅しています。(30代前半くらいでしょうか?ただただ尊敬です)

 

本著はQ&A方式で次の項目を答えの例示として提案していくスタイルです。

「基本」「初診と再診」「薬の一般的な注意点」「統合失調症」「双極性障害」「うつ病」「不安症・強迫症PTSD適応障害」「身体症状症」「睡眠障害」「アルコール依存症」「摂食障害」「パーソナリティ障害」「認知症」「発達障害

・・・精神科全部の領域ですね。脱帽です。

 

内容としては、教科書的な、四角い答え方ではなく、本当に現場を踏まえた答え方というか、提案がなされています。

例えば例を引用すると、統合失調症では、

Q.統合失調症はどんなイメージを持つといいですか?

A.強い不安によりさまざまなことに気づきすぎると考えましょう

精神科医として仕事をすることは統合失調症という疾患に触れ続けることにもなり、その患者さんの特性を深く知っておくのはとても有用だと言えましょう。現在の研究ではグルタミン酸受容体の機能不全が指摘されており、脳の慢性炎症がその一要因かもしれないとも言われています。

しかし臨床的なまなざしを持つには精神病理学精神分析の視点から把握しておくべきで、木村敏先生は"ante festum"、中井久夫先生は”微分回路的認知”(微かな徴候を読みとる能力)、笠原嘉先生は”出立の病”という表現をしています。これらをまとめると、”今というのがザワザワして落ち着かず、わずかなことに振り回されて先取りしてしまう”のが統合失調症的といえそうです。(後略)

 

と・・・。理屈を踏まえて、患者さんと対峙し、その人個人と向き合って話をしている先生なんだなあということが文章からもにじみ出ています。また、概念の出典や参考にされた先生方の名前も追って勉強できるように全て載せてもらえているのが、本当にありがたいことです。

 

統合失調症の患者さんは、原始的な水準の不安により破滅してしまうのではないかと恐れています。精神分析の見方では、人生早期の幼児は母親に絶対的な依存をしなければなりません。母親はholding(抱っこ)により幼児を保護していく必要があるのですが、この時期にそれがなされなければ、幼児は存在そのものが解体されてしまうでしょう。これが原始的な水準の不安であり、私たちが感じるような不安とは格が違うのです。

安全ではない世界の中、自分自身のアンテナの感度を高くして、さまざまなことにいち早く気づき危険な物事を回避することに患者さんたちは腐心します。それは、他者との関係性をつくる時にはマイナスに働いてしまうことが多いでしょう。(後略)

 

不安不安って言うけれども、どんなものなの?ということに関して、統合失調症では原始的な水準の不安なんだよ、と述べられています。それは、存在そのものが解体されること、自分と他人が全て混ざり合ってしまう不安。と言うレベルのものです。

私とコップ。私と時計。それは自分とは違う。私と腕。腕は私だ。腕を切り取るとその腕は私なのか。違う気がする。私をバラバラに切ったら私なのか。私とは何処にいるのか。と言ったような解体不安・アイデンティティの不安よりも更に上の水準の不安ということです。なんとも恐ろしい・・・。それを知るだけで、統合失調症患者さんの不安に対して人間愛的に自然に敬意を持ってかかわることが出来る気がします。

 

彼らは心の底で人とのつながりを求めており、そのことは忘れてはならない事実。バリントによると”分裂病者はいわゆる「正常人」や「神経症者」よりも自らの人間的環境とはるかに密接な絆を持ち、はるかに強く境界に依存している。いかにも分裂病者の行動の表面的な観察だけではこの絶体絶命の依存は見えてこず、逆に、ひきこもり、一切の接触欠如の印象が醸成される””これらは全て皮一枚下には絶体絶命の依存と調和への非常に熱烈な希求がある”とのこと。しかし、上記のように適切な保護環境になかった彼らは他者とのほどよいつながりをうまくつくれず、他者と”一体化”してしまうかもしれないという極端な恐怖に苛まされます、自分が他者になる、もしくは他者に乗っ取られる危機として感じてしまうのです。人とのつながりを求めていながら、微分回路的な物事のとらえ方によって他者との同一性を回避してしまう、回避せざるを得ないという、かなしい臨床像があるのです。

 

M.バリントさんの難しい言葉を平易な表現に変換しつつ、臨床での患者さんの生き様に焦点を当てる、非常に卓越した一文です。名文です。

皆さんはもうご存知かもしれませんが、自学のために。M.バリントフロイトフェレンツィ→M.バリントで、良好な「医師ー患者関係」を構築し、「傾聴」「共感的受容」「支持」「保証」をもって「全人的医療」をすることを初めて提言した偉い先生です。この人がいるから、今私たちは共感だの人として患者さんを見るだのといった当たり前のことが出来るのです。すごい先生です。

 

外来では、診察室の”あわい”をあまり変えないように心がけると良いでしょう。それを続けて、患者さんが”くつろげる””ゆとりを持てる”ようになることを目指します。変化のないことを尊ぶ気持ち、これが基盤。それをせずに患者さんを変化させようとするのは、”追い立てる”ことになります、診察での会話もこちらから幻覚妄想について口にはせず、できるだけ患者さんの生活面を重視したものとします。診察で”症状を外す”という工夫は、統合失調症に限らずどの精神疾患でも重要なスキル。日常生活の彩りを話題にし、症状の占める割合を落としていきましょう。

 

と、統合失調症のイメージについて結ばれています。さすがに全文の引用は気が引けましたので、一部かいつまんで紹介としています。他、68項目の質問に対してこのように丁寧に、出典を明らかにしつつ、著者の考えを伝え、考え方やかかわり方の提案をされています。非常に、お勧めできる著書です。

 

最後に、私が著者から学び、日々最も大切にしている2つの概念を少しだけ紹介して結びとします。

 

1つ目は”あわい”という概念。

木村敏先生の”あいだ”という概念から、精神分析の流れや精神病理などを勉強してみた結果、著者は患者さんの苦しみの理解や医療者の行う精神療法は、人と人との”あわい”が大事なのではないかと思うようになりました。と述べられています。

”あわい”とは、”あいだ”よりも人と人との動的な過程をより重視している言葉。また、淡いにかけて、ほどよい淡さをイメージ。白黒ハッキリさせることよりも、”ほどよさ””ゆとり”を持ってもらえること、また医療者もそれを持てるようにすることが大事という概念になります。

もう一つは、”ゆとり”を大切にすることです。ゆとりの大切さについて引用します。

(前略)現在の”ゆとり”がなくなればなくなるほど、視野の狭小化が進みます。逆を言えば、現在の”ゆとり”を慈しんでいくことは、過去の意味付けすらも”ゆとり”あるものとしてくれる可能性があります。起こってしまった現象そのものは変えようがありませんが、そこにどのような意味を乗せるかは、人と人とのつながりが重要な役割を果たすと考えています。

これは医療者にももちろん当てはまり、日々の診察に影響をもたらすでしょう。患者さんのちょっとした一言に「イラッ」としてしまい、きつい言葉を返してしまう。”ゆとり”があればいろんな解釈が出来る言葉や態度も、医療者に対する攻撃にも感じてしまう。それは患者さんと医療者との”あわい”すら変えてしまうのです。不眠や過労が続いたり、愚痴を言う仲間や家族がいなかったり。そんな日常生活の積み重ねは、”あわい”を硬く緊張したものとしてしまいます。

医療者は、自分自身の生活をまず”ゆとり”あるものとすることが欠かせません。自分の”あわい”がすさんでいる人は、他人の”あわい”を大切にすることに苦労するでしょう。他の科からは「精神科は暇そうで良いなぁ」と見えるかもしれませんが、実は日々の診療を良いものにするためにやむなく(?)”ゆとり”をつくっているのでした。

(中略)医療者が診察室の”あわい”を大切にする為には、医療者の生活に”ゆとり”がなければなりません。患者さんに”ゆとり”のおすそ分けをするイメージを持ってみましょう。(後略)

 

あれっ、ちょっと引用するだけのつもりだったんですが、切れません。全ての言葉が端的にかつ重要すぎますね。むむむ。(言い訳)

そんな感じで、ゆとりを作り、患者さんにおすそ分けをするイメージ。これを知ってから、プライベートでの生活でもそれを意識するようになりました。それによって、仕事でも余裕を持って行えるようになりましたし、家でもちょっと自分の毒が抜けたように感じています。

 

精神科って、よく言われますが、本当に自分を見つめることが多いですね。またそれを改善することも求められます。ある意味とってもシンドイことですが、同時に有意義なことだとも感じます。まだまだ、まだまだ、という気持ちを忘れず、常に初陣の覚悟でこれからも精神科看護師として精進していきます。と、気持ちを新たにしました。

 

本当に良い本ですから、外来診療というキーワードに引っかかることなく、ぜひ手にとって読んでもらえたらと思います。

 

精神科臨床Q&A for ビギナーズ: 外来診療の疑問・悩みにお答えします!

精神科臨床Q&A for ビギナーズ: 外来診療の疑問・悩みにお答えします!

 

 

新版こころ病む人を支えるコツ 田原明夫 感想

 

新版こころ病む人を支えるコツ

新版こころ病む人を支えるコツ

 

 「あなたは病気なのだから」「病気で入院しているのだから」「病院にはいろいろの人が入院してるのだから」「他の患者さんたちの迷惑になるから」「この病院ではこういう仕組みになっているのだから」。様々な理由で、小さな個人的な欲求も我慢させられてしまいます。時には、わがままだと叱られてしまうこともあります。

病院の看護師さんのなかには、そのようなつらさを分かってくれない人がいます。から、上記の引用文に続いていきます。

心のつらさとは、当然ながら目で見えません。また、人によって同じ出来事でも受け止め方や感じ方が違います。そして自然とその伝え方や対処方法も変わってきます。

画一的な取り決めだけで患者さんに対応してしまってはいけません。もちろん、その人の必要の為にあえて画一的な取り決めを行ってそう対処する場合もあります。けれども、基本的には、その人の思いに沿った形で小さな個人的な欲求は出来るように取り計らうのが良いのではないでしょうか、と筆者は一貫して述べています。

 

この本の著者は京大医学部出身で、患者さんの権利を主張し、守ってきた人でもあります。だから、出版社が「解放出版社」なんでしょうね。

ただ権利を主張しているだけではありません。

罪を犯した精神病者の責任のあり方については、難しい問題をはらんでいますが、原則として、法に触れることを知っていて罪を犯した場合には、罪の償いをする責任があると考えます。精神病者は犯罪を犯しやすいからと決めつけて、予防的に監禁しておこうとすることは、明らかな精神障害者差別ですが、罪を犯した人を良く調べもしないで、精神病者だからと言って、精神科病院に入れようとすることも差別だと考えます。

このように、社会人として当たり前の、法に照らし合わせて裁くことを原則として主張しています。当たり前ですよね。悪いと分かってやっていれば、明らかな犯罪であり責任能力を追及できます。

 

タイトルの「コツ」の部分ですが、基本に忠実に接することが述べられています。

例えば、話を親身になって聞く事を「受容的態度」なんて言いますが、その「受容」とはなんぞや、と提起しています。患者さんが言っていることを全て受け止め、望みのままに行動することは「許容」であり、「受容」ではないと述べています。

「受容」とは、何でも聞き入れることではなくて、しんどさを分かろうとすることが大切なのです。そして、「心配している」というキーワードを主軸に、患者さんと一緒に横断歩道を渡るかのように横に寄り添い、そっと手を差し伸べながら、話の腰を折らず、充分に聞いて、患者さんの表現を繰り返してお返ししながら聞いていくことこそが受容的態度に近づく、と述べています。

一文にまとめてしまいましたが、この基本的態度が「コツ」につながってくるとなっているわけです。

そしてその「コツ」ですが、孤軍奮闘、一人でやっていてはいけません。患者さんはもちろんの事、家族もだんだん人との関わりが減って行きがちです。ですから、家族会などに参加し、適度にガス抜きが出来る環境と人を得ることが何よりと述べられています。

 

著書は全体を通して、分かりやすく、表現をいくつか選択し、なるべく具体的に記述されています。ここの感想では省略しましたが、最後のほうでは明治から現代にかけてまでの精神科の歴史も分かりやすくまとめられています。手に取る機会があれば、ぜひ読んでもらえたらと思います。