フィッシュ!の導入と実践ガイド 感想
- 作者: 東京慈恵会医科大学附属病院,小路美喜子
- 出版社/メーカー: 日本看護協会出版会
- 発売日: 2012/05
- メディア: 単行本
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本としては軽い読み物で、慈恵会にフィッシュ!が取り入れられる経緯と、副部長や師長、院長など各立場の人のコメントが載せられているほどのものです。
なので一時間もあれば十分読めるものでした。
導入と実践ガイドと銘打ってますが、すこしそれは言いすぎかなと思います。もちろん先駆者の本として出典元になるという価値もありますし、有意義なことなのですが、即使えるかというと・・・それぞれの立場からの思惑が散見され、言い方を選べばナラティブな本だなという感じです。
アマゾンで買いまして。発売されてから随分経ったので何刷かされてるかと思いましたが一刷でした。
ブームにはなりましたが、不思議な現象ですね。みんな原著にあたったのでしょうか。それとも、慈恵会の講義をもとに進めたのでしょうか。
良い点としては、フィッシュ!哲学を周知することができた点、各役職の思惑が読めた点、実際の行動化としてのフィッシュ!の様子などがしれた点が挙げられると思います。
反対に悪い点としては、フィッシュ!があくまでも管理者目線であること、活動に倫理と道徳を考えているのかどうか疑問が出たこと、自主性の尊重と唄いつつも非協力者への配慮のないことが挙げられると思います。
特に個人的に嫌だなあ、と思ったフィッシュ!活動として、新人看護師の親に対し、仕事近況を事細かに綴った手紙を出したという活動がありました。
あくまでも個人的に嫌だなと思っているだけで、その新人看護師と職場でラポールが取れていれば構わないのですが。
世の中には親が実害のある場合もあると思うんですが、配慮はあったのでしょうか。→毒親という概念の配慮が心配です。
表面的にフィッシュ!哲学を導入するとなると、こういった善意の押し付けが横行するのではないかと危惧してしまいます。
また、季節に伴った病棟の飾り付けというのも、これが自然とやりたいという気持ちからやっているのであればいいのですが、半ば義務感でやっていたり、そういうものだから、と習慣でやっていては単なる業務に成り下がるのではないかと思います。
あくまでも自主的に、やりたいから、そしてそれがフィッシュ!哲学に則っていて快の行動であるから意味があるのではないかなと思います。
批判ばかりではいけませんね。
実際のところ、私の前の職場でも導入されまして。
ぶっちゃけ鼻から形骸化した感じでした。ただサンキューカード制度はわりと回っていて、ありがとうを見える化してボードに貼っていくことは、手間もほとんどかかりませんし、自主的にすることですから結構職場でも評判が良かったです。
ただやはりフィッシュ!哲学自体をきちんと伝えられずの導入だったので、フィッシュ!=サンキューカード、となっていました。
今の職場ではまだ導入されてません。精神科ならではかもしれませんが、一般と比較してわりと普通にフィッシュ!哲学的な考えははじめからあったように思います。
臨機応変に対応しますし、よい患者対応のためには自分自身もよい精神状態である必要がある、と言う考えから、なんでも話しやすい、頼りやすい環境にあると思います。
ただそれを自然発生的にそのままにすると消滅する可能性もありますから、技法として、ベースアップとして導入することも無意味ではないのかなともお持っています。
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2017年になりました。去年は一般科を経由して、やっと目的の精神科看護師になることができました。私の看護の芽生えはこの科にありましたから、15年来の目標達成です。業務もある程度の水準には来たと思います。
学びをブログに記載し、表現することも始めることができました。
今年は去年以上に学びを深め、それをブログなどにも表現し、自分の中だけに留めないようにしたいと思います。
また、2年目の精神看護師として恥じない活躍をしたいと思います。
今年もよろしくお願いいたします。
森田ゆり しつけと体罰 、 ドメスティック・バイオレンス 感想
ドメスティック・バイオレンス―愛が暴力に変わるとき (小学館文庫)
- 作者: 森田ゆり
- 出版社/メーカー: 小学館
- 発売日: 2007/10
- メディア: 文庫
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二つの感想としてまとめて述べようと思います。
患者からの暴力について、暴力とはどういう風な気持ちで行い、またどういう風に受け取るのがいいのだろうかと思い悩み、臨床心理士の方に相談をして、貸していただいた本です。
二冊とも暴力の構造について端的にまとめられており、非常にわかりやすかったです。
「しつけと体罰」では、体罰は暴力であり、いかなる理由でも子どもの人権を侵害する許しがたい行為であり、決して許されることではないと一貫して述べられています。
「ドメスティック・バイオレンス」ではDVは暴力そのものであり、たとえその後心から謝罪されたとしても、暴力は犯罪であるということ。
暴力被害者は決して、何も悪くないということ。
悪いのは暴力を行っている加害者であるということが述べられています。また、被害者心理と加害者心理、および救済者心理についてのわかりやすい図式と理屈が述べられており、DVに限らずさまざまなシーンでも活用できるものが記載されています。
はっきりいって、両方とも誰もが読むべき本だと思います。
暴力とは、自分の自信の無さからが発端であり、相手をコントロールする為の手段として行われるものです。それは決して許されません。
暴力を振るうものは「怒り」によって行っていると言いますが、その怒りは仮面です。
怒りには2種類あり、不正を行われ、許さないと憤る怒りと、「怒りの仮面」とがあります。「怒りの仮面」というものは森田氏が述べている理論で、怒りの裏側には、傷つき体験からくる身体的苦痛、悔しさ、悲しさ、寂しさ、虚しさ、絶望、見捨てられ不安、喪失感、不信が隠されているというものです。(ドメスティックバイオレンス、p211)
そのため、怒りを単に制御できたとしても、その背景にある複雑な感情がきちんと受け止められていないと、用意にコントロール欲に縛られDVに発展すると述べられています。
確かにその通りだと思います。病棟でよくある暴力は自分の欲求を通す為に意図して行われている手段であり、患者の中には「相手に私の欲求を呑ませる為に暴力しています」と理解しながら暴力している人もいます。また、自分の感情を爆発させ暴力に発展するケースもありますが、これも結局は怒りの仮面理論に当てはまる行動と解釈できます。
ですから、こちらの看護のかかわりとしても単に怒りを収めることや、アンガーコントロールを促すことよりも、その背景にある傷つき体験や複雑な感情に着目し、かかわることが重要だと考えられます。
また同時に暴力というコミュニケーションは絶対に許さないことを言葉と態度で示す必要もあります。どうしても暴力を受けると怯みます。私も男とは言え、小柄ですので怯みます。ですが、怯むことはすなわち相手にコントロール権を握れた、という実感を与える反応になってしまいますから、訓練する必要がある様に感じます。
ですが、今度は話を少し脱線して、暴力を受けた際のフォローという話になりますが、
暴力を受けたスタッフが個人的にその感情を処理するのではなく、病棟全体でフォローすることが必要なのではないかと思うわけです。
そのためにCVPPPといった研修で暴力行為から身を守るすべを定期的に学ぶ必要がありますし、また暴力を受けた人が「何も悪くない」ことを確認する為、病棟全体でのフォローが必要だと思うわけです。
その体制作りは必要なんじゃないかなー。と、愚痴で・・・。
話を戻します。
「しつけと体罰」の話に行きますが、前回の記事にも少し記載したとおり、1人の人として認めてないというメッセージに、暴力(体罰)はなります。ですから、どのような理由であれ暴力は許されません。
暴力を受けた子どもに対してはフォローが必要です。どんな理由であれ、暴力は許せません。
「ドメスティック・バイオレンス」が、加害者、被害者、そして救済者のフォローについて非常にわかりやすくまとめられており、今にも充分活躍できる著書ですので、ぜひ読んでいただきたいのですが、簡単にまとめると、
被害者は、何も悪くありません。しかし、「私がこういったから暴力を受けたのでは」など自分で思ってしまいます。しかも、まわりは今の日本の風潮から「あなたが怒らせたから悪いんだ、こうすればよかったんだ」と指導してしまいがちです。それはますます被害者を孤立化させるだけで、意味の無いアドバイスです。むしろ有害です。
そうではなく、何も悪くないということを知ってもらうことを第一に行うべきと、述べられています。
またあわせて暴力という行動は犯罪であり、何も許されないと理解することです。暴力を行う側の問題であり、その背景を責任もって改善するのは加害者側のするものだということです。
加害者は、怒りの仮面によって暴力を行っています。何が悪いのではないです。あなたの過去の不適切な学び(暴力によって相手をコントロールするということ等)が今回の犯罪を起こした原因です。だから、学ぶ必要があります。
何を学ぶかというと、アンガーコントロールではありません。あなたの怒りの仮面の裏側の感情です。特に、男は感情的になるものではない、強くあるべきである、という男にまつわるジェンダー論がありますが、あなたはあなたなのですから、そんなレッテルに翻弄されることはありません。ただ真摯に自分を見つめ、二度と犯罪を犯さないようにする必要があります。そして、いかなる理由があれどもあなたがした行動の責任は100%あなたにありますから、そのように受け止める事からはじめる必要があります。
救済者心理とは、上記2人の支援者に陥りがちな心理です。例えば被害者の段落で書いていますが、問題の改善点を探すことは不適切です。しかし、そうなってしまいがちです。また加害者側の立場になってフォローしてしまうことも、ままあることだそうです。例えばセクハラ。「そんな短いスカートを履いていたからそんなことになったんだよ」といってしまうことは、加害者側の立場になってしまっています。そんなことありません。短いスカートはただのファッションですし、あるツイートから引用すると、「男性に対する信頼の現われ」です。セクハラはその信頼を踏みにじったという重大な違反ですから、やはり加害者が問題です。
もろもろ。まだまだ書ききれないほど多くの学びがあります。文庫本になって安いですから、ぜひ。いい学びが出来ました。