精神科看護「まごころ草とばいきん草」

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精神科看護に関する自分なりの覚書

この地獄を生きるのだ 小林エリコ 感想

この地獄を生きるのだ うつ病、生活保護。死ねなかった私が「再生」するまで。

この地獄を生きるのだ うつ病、生活保護。死ねなかった私が「再生」するまで。

 

 新しい本です。下記公式サイトにある紹介文が秀逸なので引用します。

konojigoku.tumblr.com

問題ばかりの人生を生き抜く、自伝的エッセイ!!

普通に働いて、普通に生きたかった。
その『普通』が、いかに手に入れるのが困難なものかを知った。

ブラック企業で働いた結果、心を病んで自殺未遂。
失職、精神障害、親との軋轢、貧困、希死念慮
女一人、絶望と希望の記録。

  おおおっ。「『普通』が、いかに手に入れるのが困難なものかを知った」という言葉が響きました。すぐに予約購入し、届いた翌日には一気に読み終えてしまいました。

 

 この地獄を生きるのだ。沁みるタイトルです。地獄とはどういうことでしょうか。 

 この本は深く、何度も味わうことが出来る名文、名シーンが多くちりばめられています。淡々と物事を描きつつも胸に刺さる一文が多い。また、文章の美しさだけでなく、取り扱われている題材の闇の深さが深刻で、この地獄の闇についてじっくり検討し、照らしていく義務があるように強く感じました。

 ただ、この地獄の闇を照らしていくには時間がかかります。まずは本記事では簡単に感想を述べていきたいと思います。もし興味がわいたら、手にとって読んでみてください。看護の教科書や論文ではありませんが、そこには今日まで生き抜いてきた人の軌跡が残されています。学ぶことは多いです。

 

 本作品は第1章から第7章までと、特別収録のコミック「女編集者残酷物語」で構成されています。本記事では第1章から順に私の感じたところを記載していこうと思います。

  なお、AmazonKindleがあれば、巻末の漫画+第1章「精神障害生活保護、自殺未遂」までが無料で読めます。ずっと無料かどうかは分かりませんが、書店で見つけられない場合はこれで試し読みをしてみて、世界観に引き込まれたらぜひ購入してみて下さい。大変にお勧めします。

女編集者残酷物語(この地獄を生きるのだ)

女編集者残酷物語(この地獄を生きるのだ)

 

第1章 精神障害生活保護、自殺未遂

 ワーキングプアと言う言葉を覚えていますか。曰く、生活保護水準よりも下回った賃金で働いている人のことを指します。プアなんてかわいい言葉で書いていますが、極貧で困窮している人々の有様を指す言葉です。

 筆者は短大卒業後漫画編集者で正社員として就職しますが、給料は月に12万。ボーナスも、残業代も、あろう事か厚生年金も健康保険もありません。次第に過労から精神的に病み、精神科に通うようになります。さらに貧困は進みます。

 夜遅くまで残業をし、グラビアページのデザインをVDT作業し続ける。外注すれば5万円かかるから。正社員で残業代がない契約でいるので、筆者がやった方が会社は安く上がるから。それだけの理由で精神をすり減らしながら作業を続ける。

 そして精神は磨耗し続け、自殺未遂に発展。救急搬送され、精神科病院に転院。そこから第1章が始まります。

 精神病院での生活は退屈で、そして悲惨なものだった。最初の頃は散歩もさせてもらえず、病棟に閉じ込められていた。テレビは壊れて電源がつかなかったし、ソファは破れて中の綿がぼろぼろこぼれていた。突然、全身がこわばり、看護師に不調を訴えると説明もなく注射を打たれる。入院している他の患者さんに話しを聞くと「5年間入院している」という。私は自分の未来を想像し、一抹の恐ろしさを感じた。

 ここから脱出するには「いい患者」、すなわち「看護師に迷惑をかけない患者」でいなければならない。ある日、病棟から実家に電話をかけていたら話が長引いてしまい、私のあとに電話を使いたかった患者さんと喧嘩になってしまった。彼女は私の部屋まで押しかけ、罵詈雑言をまくし立ててきた。たが、看護師を呼んだら問題が大きくなるので、ベッドの中で泣きながら我慢した。

 ああ、なんて陰惨な一文なんでしょう。この地獄をかくも正しく捉えています。退院後も、主治医から進められるまま障害者手帳の申請を行い、「私はこの瞬間、精神障害者となった」とスティグマを強く感じている様子が伺えます。

 ちなみに入院中の様子は筆者が漫画にもしています。COMHBOにありました。

https://www.comhbo.net/wp-content/uploads/2017/08/manga.2012.4.8.pdf

 

 何度か自殺未遂と入退院を揺れ動いた後、クリニックのデイケアに通い始めるようになります。デイケアだけが社会とのつながりだったと語られる反面、「一生デイケアに通わなければならないのか」という不安も感じ、身体的にも不調が出るようになります。

 ある日、クリニックのスタッフから「そろそろ一人暮らしをしないか」と声をかけられ、親とで3人と面談。その帰りに親から「エリコちゃんには一人暮らしは出来ないわ。無理よ」とゴミ出ししかできない、料理も出来ない、洗濯もできないなどと様々に理由を言われてしまう。その時の気持ちはどのくらい悲惨であったのだろうと、想像するだけで悲しくなります。

 しかし上手く一人暮らしの段取りとなり、クリニックの「1年後には就労を支援」と言う言葉に全面的に信頼し、親元を離れます。

 爽やかな初夏の風の中、自転車を漕いでスーパーに向かう。新しい町並みは私を歓迎しているようだった。新鮮なアジをスーパーで買って、どうやって料理しようかとクックパッドで調べる。アジの南蛮漬けと白いご飯に舌鼓を打ち、自分で用意した食事はなんて美味しいのだろうと感動した。

 と、希望を感じているときの文章の清涼なこと。地獄の中に一筋の光が差し込むかのようです。就労も支援してくれると約束してくれた。そう思い、デイケアに足しげく通いますが、1年経っても音沙汰はありません。結局、返ってきた言葉は「生活保護すればいいじゃない」と・・・。

 このクリニックのスタッフの言葉には、人に対する尊重や敬意と言うものが感じられません。終始、そのような様子が続きます。

 いよいよ生活保護を受けるため市役所とクリニックと自宅を何度も往復。その過程で尊厳はずたずたに引き裂かれてしまいます。今まで会えていた友人にも、生活保護を受け税金で暮らしている身の事を考えるとうしろめたく、会う事が出来なくなります。娯楽も手がつけられなくなります。ますます、心が貧しくなっていきます。そして、再び自殺未遂。

 自殺未遂は保険適応できず自費での支払いになります。しかし、生活保護が受給されていたために、結果として筆者を助ける形になりました。ちなみに蛇足ですがさらっと調べたところ、確かにとある保険組合では自殺未遂は自費という指標があるようです。本著を読むまで知りませんでした。

計機健康保険組合 健康保険Q&A

第2章 ケースワーカーとの不和

 生活保護を受けている中で、ケースワーカーとの関係は重要です。

 市役所の仕事はなかなか分かりにくいことが多いのですが、福祉課について簡単にイメージするなら、下記の漫画が面白かったです。

 生活保護が打ち切られれば、その人は生きていけません。貧困で社会復帰できていない状況だからです。その生活保護を続けるかどうかは、このケースワーカーが担当しています。すなわち、利用者の生殺与奪を握っているのがケースワーカーと言うことになります。

 そんな関係の中、ケースワーカーと不和なんて想像するだけで恐ろしい話です。

 

 第1章で自殺未遂したあと、なぜかクリニックは筆者のデイケア出入りを3ヶ月禁止します。曰く、「私たちを裏切ったのだから」。

 この対応がいかに駄目かは、松本俊彦先生の本を読むまでもなく分かりますね。あまりにもひどすぎる、お粗末で自分勝手な対応としか言えません。

sakatie.hatenablog.com

 仕方がないので家で悶々としていると、ケースワーカーに就労の事を聞いてみるという考えが去来します。しかし、なかなか上手く切り出せないまま日が過ぎてしまいます。そして、3月に担当が替わります。その担当との相性が非常に悪く、どんどん関係が悪くなってしまいます。

 あまりの事に勇気を出して知人に連絡を取り、対処を一緒に考えてもらいますが効果はなく、ついに新しい担当「パーマさん」は終わりまで担当されることになります。

第3章 「お菓子屋さん」とクリニックのビジネス

 3ヶ月が経ち、「謹慎」が解け、クリニックのデイケアに再び通っていたある日、副院長から「お菓子屋さんをはじめない?」と誘われます。

 訝しんでみるものの、”仕事”という単語に社会との接点を見出し、希望を感じた筆者は何とか事業の立ち上げから頑張って取り組む。8時半から出勤し、週3の販売、レジ閉めは10時までかかる日もあり、そのほか発注等も行い、さあ給与!と思ったらなんと月の収益は1万のみ。これは仕事ではない。

 詳しいところは本著を読んでもらえればわかりますが、大変に怪しい仕事です。貧困ビジネスと福祉ビジネスを折半したような、人をだましたような仕事です。これはあまりにもひどい。

 他にもクリニックは執拗にデポ剤を勧め、何かいいことがあればデポ剤のおかげ!と利用者に吹聴します。また同時にデイケア利用者に月1くらいのペースで製薬会社の販促勉強会を開き、利用を進めていきます。極めつけはディズニーランドのミラコスタへの1泊2日旅行を企画したりもします。私はどこのなんと言うクリニックがどういった理由でこういうことをしているかは知りませんが、少なくとも公平な選択肢のある状態とはいえないでしょう。そんなの飼い殺しです。リカバリーじゃありません。

 一応一言だけ言いますが、デポ剤は別に何か特別な薬ではありません。普段飲んでいる内服薬が筋肉内に貯留されることで徐々に血中に移行しているだけです。内服で行ける人は内服でも変わりありません。猛烈に高いだけです。(Ris50mgで薬価38,780円します。内服なら同等であれば5mg × 14日で130円 × 14=1,820円でいけます。差額36,960円です。ジェネリックだと更に安くなります。もちろん値段とミリ数だけが薬の全てではありませんが。)

 第2章の生活保護周辺情報と、第3章のクリニックのお金の動きについてはじっくりと調べ上げる必要がありますね。年明けにはなると思いますが、読むに耐える記事にしたいと思います。

 そして、第3章の終わりごろ、クリニックの宣伝材料として飼われている事実に絶望し、自殺未遂となります。ついにデイケアの出入りが完全に禁止されてしまいます。

第4章 漫画の単行本をつくる仕事

 デイケアは出入り禁止になりますが、クリニックの通院は”許されます”。待合で待っていると、かつてのデイケアメンバーから「裏切るなんて許せない」と怒られてしまいます。

 自殺未遂をしたあとはよく怒られる。もちろん、怒られるようなことをしたのだが、私が死をもって伝えたかったことは誰にも伝わらず、理解しようともしない。死ぬほど苦しく、嫌な思いをしていたのだということは誰もわかってくれないのだ。

 と、凄惨な状況でもなおも生き続ける様は、まさにタイトル通り「この地獄を生きるのだ」と言う状況です。ただ、この地獄は著者一人だけの世界なのでしょうか?目の前にいる患者さんは?最近連絡取れなくなってしまった知人は?自分の親兄弟は?自分は?

 決してこれは他人事ではありません。この話はどこか遠い人の話ではなく、日々目の前にいる人の話です。どうして他人事で居れましょうかか。

 

 2週間後とのクリニックの通院以外できる事も、気力もなく、仕事をしたいなあ・・・。と希求の思いを募らせている時、転機が訪れます。一番嬉しくて感動し、泣いたシーンなので引用させて下さい。

 そんな日々を過ごしていた頃、クリニックの待合室で、あるNPOが発行している雑誌に目が留まった。どうやらこのNPOでは精神保健福祉の向上を理念に掲げており、メンタルヘルスに関する本をたくさん出版しているようだ。私はこのNPOに電話をしてみることにした。元編集者だから雇ってもらえるのではないかと思ったのだ。

 電話をする前に頭の中でリハーサルする。「ダメな可能性も高いけど、行動を起こさないことには何も始まらない」と自分を叱咤激励する。緊張しながら電話をかけ、1オクターブ高い声で「そちらで雇ってもらいたい」とお願いをした。しかし、現在は人が足りているからと丁重にお断りされた。ダメでもともとの気持ちで臨んだものの、断られるとやっぱり落ち込む。私はそれっきり何のアクションも起こせなくなった。ただ無為に毎日を過ごした。

 しかし後日、NPOから連絡が届いた。

「漫画の単行本の製作を手伝って欲しい」

 電話をかけた際に、漫画編集の経験があることを伝えていたのだ。驚きと嬉しさと緊張で心がもつれた。この感情の乱れはいい乱れだ。「自分が社会に必要とされている」ということへの、喜びのバイブレーションだ。

 今引用していても泣きそうになります。このシーンの感動的なところは、筆者がこのときに至るまで働くと言う希望を捨てず生き続けて来た事にあります。ここまで約90pの間、辛く苦しいことばかりでした。自殺未遂、デイケアの出禁、クリニックの宣伝材料として扱われる様、きな臭いお菓子屋さん事業、生活保護申請、ケースワーカーとの不和、親との確執、軋轢、ブラック企業勤めだった頃、幼い頃のいじめ、幼少期の惨めさ、思い・・・。

 なんとこの人は尊いのだろうと感じ入ります。希望に輝く姿が、眩しく嬉しくこみ上げてくるものを感じます。このときに勇気を持てたこと、電話をかけることができたこと、またそのタイミングといい、本当に言葉に出来ないほどの名文です。

 

 ここから、ボランティアはあるものの、社会との接点が生まれだし、自分のしたことが人の役に立つと言う希望あふれる世界に入っていきます。もちろんボランティアなので給料は発生しませんし、発生したとしても週3の時短なので、生活が充分に出来るほどの給料は出ないでしょう。また、21歳の編集時代から10年単位で時間が経っているため、仕事をすること自体が体力や気力のいる作業となります。あわせて、対人関係でも自分が生活保護である苦悩から脱却することはできません。しかしながらそういった世界に自ら足を踏み入れられたと言う自負と責任が彼女を輝かせていきます。

 頼まれた漫画の仕事は大変に編集が困難なもので、実は完成まで数年の歳月がかかってしまっています。その本とは「うつまま日記。」です。

 Amazonマーケットプレイスに新品でCOMHBO自身から出版されています。

うつまま日記。

うつまま日記。

 

  そのほか、直接COMHBOとやり取りをして手に入れる方法もあります。

www.comhbo.net

 本と言うのはこうやって困難の果てに出来上がるものなんだなあと知り、本への愛着がますます募りました。出版とはかくもすばらしいものだなあ。

 ちなみに編集作業についてはこの第4章から第7章まで続いていきます。編集と同時に様々な希望あふれる出来事が現れていきます。

 私が最も共感した部分は、上司に呼び出されたときとっさに「怒られる!」と思って、びくびくと向かうと、「カムイ伝知ってる?」と単に雑談であったと言うシーン。「職場」という場所は、過剰に緊張して身構えなくてもいいものと知ったとある一節です。さらっと読み流される方も多いかもしれませんが、非常に共感しました。

 職場って、怖いところだなと私も最近まで思っていました。そうさせているのは日本社会全体なんじゃないかと近頃は思います。何とかならないかな・・・。と日々悩んでいます。

  職場に慣れ親しんできたある日、「佐藤さん」という方が上司の紹介で入職されます。この人が嵐のようにやってきて職場をひっちゃかめっちゃかにし、そして程なく去っていくのですが、これら一連の数ヶ月を振り返り筆者は、

 障害者と健常者の境目はなんだろうか。私は障害者で、佐藤さんは健常者だ。心の病気や障害は本人次第な部分もある。私が自分を障害者であると納得しているのは、この社会で生きづらさを感じているからである。(中略)

 もちろん彼女が心のうちで何を感じて生きていたのか、私は知らない。しかし健常者と障害者の境目はあるようでない。あるのは立場の違いだけである。私は精神障害者になったことで、自分のおろかさや病的なところに向き合うことができたと思う。ずっと不明瞭だった自分の生きづらさに精神障害という名前がついたことで納得ができるようになり、ある意味では気持ちも楽になったのだ。

 これは医師が下す「診断」のもっともリカバリー的な側面だと思います。自分が何者か、自分が困っている物事の正体は何か、しっかりと理解し受け止め、そして飼いならすことができることで、ほんとうの「自分の人生」が歩めるんじゃないかなと思います。もちろん、診断がなくても自分の障害や個性、凹凸を理解し手入れすることができれば同じ事になります。しかし、診断である事で他者との協力が得られやすくなると言うことは、病気を診断されることの大きなメリットになると言えるのではないでしょうか。

 引用ばかりで申し訳ありませんが、滝川先生も「診断はチケット」と言っています。自分を見つめ、真に関わっていく為のきっかけになります。

sakatie.hatenablog.com

第5章 普通に働き、普通に生きる

  嬉しい知らせは続きます。1年ボランティアで継続して漫画編集や各種庶務に携っていた功を評され、非常勤雇用として正式に雇用を薦められます。

 今まで自殺未遂しましたと言う悪い知らせしかできていなかった母にも、雇用される旨を伝えられほっとします。今まで複雑な思いでいたけれども、母には本当はいい知らせを伝えたかったんだ。と。

 就労ですから生活保護の担当ケースワーカーにも連絡を入れます。ぶっきらぼうに、「あーそうですか、では申請書を記載して下さい」とのみ。

 そして初の給料日。途中からの計算で満額ではないけれども、確かな感触。

給料袋を渡すとき、私の上司はこう言った。

「働けたのにいままでもったいなかったね」

私は泣きそうになった。

そうだ、私は働けたんだ。

(中略)

 普通に働いて、普通に生きたかった。その「普通」が、いかに手に入れるのが困難なものかを知った。宝石も高価な服も要らない。ただ、その日その日をつつましく行きたいと願っていた。そのつつましく生きるという願いは、この世で最も高価な願いだった。その願いが叶う、あと一歩のところまで来たのだ。

 こっちが泣きます。

 こうやって、実は働けた人というのは私たち医療者が思っている以上に多いんじゃないかと思います。私もよくリカバリリカバリーと言いますが、真にリカバリーすると言うことは、一つには「単に普通の人になる」と言うことであり、何か特別な人になったり、病的体験をつぶさに語ったり、テレビや講演会で活躍したりと言うことだけではないと思います。

 私たちが普段思い描いている、歯牙にもかけない普通の人。そうなる事が、一つのリカバリーだと思います。特別ではないけど、過酷な普通。私自身普通なのか?普通じゃないような気もする。そんなこと医療者が言ったら頼りないかもしれませんが。

 普通って、難しい。

第6章 ケースワーカーに談判、そして

 この章は胸糞悪いシーンがあります。

 やっと非常勤ながら雇用され、社会復帰できた。生活保護を脱却できるかもしれないと言う気持ちで担当のケースワーカーに連絡を取ったものの、

 「こんな簡単なこともわからないのか」

 「精神の人は働けない」

 「精神障害者はどうせ働けない。生活保護をもらっておけばいいので、制度の事は理解しなくていい」

 そう言われる勢いでまくし立てられます。ひるみつつも、翌月連絡を取るときにはICレコーダーで録音しながら自衛されます。そこでも、筆舌に尽くしがたい言葉の暴力を浴びせられます。

 「ああ、今月分は提出しなくていいよ。もう出してあるから」「こっちで書類を書いて、判子を押して出しておいたから。職場に小林って人がいるから、その人の判子を借りたから」「だって小林さん、働けないでしょ。ずっと精神障害者で、生活保護で仕事なんてしてこなかったのに、これからも働き続けるなんて無理無理」

 職場の同僚に相談すると障害者人権センターを紹介されます。

 

 精神障害者人権センターは、例えば東京だと下記サイトになります。

東京精神病院事情(ありのまま)> このサイトについて

 そこで、筆者は上記の出来事を説明すると、法人はきちんと市役所に問い合わせ、対応してくれました。筆者と同じように出るべきところはどこかも、ほとんどの人が知らないままなのではないでしょうか。

 例えば厚生労働省は下記のようなサイトを作り、患者の人権や告知義務、退院請求等について仕組みを伝えていますが、知っていましたか?私は今調べて知りました。

精神科に入院したときの権利 |医療や医療機関について|治療や生活に役立つ情報|みんなのメンタルヘルス総合サイト

 

 さて。そしていよいよ、生活保護廃止決定のお知らせを手にします。10年以上の長い歳月をかけて、ついに筆者はやり遂げました。

第7章 人生にイエスと叫べ! 

 子供の頃から「生きている感じ」が乏しくて、10代の頃はタバコの火を自分の手首に押し当てたりしていた。痛みを感じると、自分の肉体が血の通った命であると感じることができて、私は何度もタバコの火を押し当てていた。押し当てたあとにできる水ぶくれも自分が生きている証だと思うと、なぜか誇らしかった。友人には理解してもらえず、責められたのが悲しかった、だが、いまの私は自分を傷つけずとも、生きている感覚を味わうことができる。

 いつもと同じ職場、同僚、お昼休み。生きている実感をひしひしと身に受け止めながら筆者は希望を味わいます。もちろん、生きていくことには苦難や責任、苦痛、困難は付きまとい、そこから逃げることはできません。しかし、Advocateし、サポートを得、希望と学びを深め立ち向かうことで、また新たな生きる希望を見出していきます。それは決してきらびやかなものではないかもしれませんが、確かで実感のある現実世界です。

 これからも、どうか普通に働いて、普通に生きて欲しいと深く願うばかりです。

 

 以上が本著の感想です。ぜひ、読んで下さい。 

この地獄を生きるのだ うつ病、生活保護。死ねなかった私が「再生」するまで。

この地獄を生きるのだ うつ病、生活保護。死ねなかった私が「再生」するまで。