精神科看護「まごころ草とばいきん草」

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精神科看護に関する自分なりの覚書

フォレスト・ガンプ 感想

 

フォレスト・ガンプ [DVD]

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 この映画は希望とは何か、望みとは何かがわかる映画と聞き、見てみました。

「バカをする人がバカなんだ」というセリフを、知的境界域の主人公は言います。それは本当に真実だと思います。知的水準云々ではなく、その人の、人との接し方や考え方、行動のほうが判断されるのが本当の賢さだと思います。

彼は、知的水準こそ境界域ですが、その生き様は平均的な人よりも大きく上回って賢く素直に生きてました。私達のほうが、どちらかと馬鹿なのかもしれない。ねじれ曲がっているのかもしれない。それは、出生の複雑さであったり、社会のむつかしさであったり、自分を愛することができなかったりであったり、様々な理由があると思います。

 

主人公は小学校入学前にIQ75の境界域の知的障害がある男の人です。

脚装具をつけ、知的部分以外にも生まれつきの障害がある彼ですが、母は養護学校には行かせたくなく、「普通」にこだわり、通常学校に通わせました。

が、やはり子供の目は厳しい。主人公は「普通」とはちょっと違うことを敏感に察知し、クラスメイトらは主人公を拒否します。 その中でスクールバスで「私の横いいわよ」と席を空けてくれた少女、ジェニー。その後ずっと彼女の存在が主人公の心の支えとなります。彼の希望となります。決して何か見返りを求めているわけではない。ただ、存在する事。生きていてくれること。それだけで彼の希望となります。

 

ある日、クラスメイトに石を投げつけられ、いじめられる主人公。

どうしたらいいのか戸惑っているのか、主人公はなすがままでした。側にいたジェニーは「フォレスト、走って!」と逃げることを伝えます。その途端、脚装具をつけ、不自由な体であっても言葉に従い走ります。すると、自然と脚装具が外れ、見事に走って逃げきれます。

この時の真っすぐな姿。その後、足の速さを買われ、ラグビー部として大学推薦をもらいます。

一応の補足ですが、アメリカでラグビー部と言えば学校ヒエラルキーで最上の存在です。かつてはいじめられっこで、最底辺だった彼はいつの間にかトップに上り詰めるという事です。

 

一方その頃ジェニーは大学中退し、ストリップ劇場でヌーディスト歌手として働いていました。社会的には、複雑な状況ですが主人公はそのさまを見て「夢は叶ったんだね」とまっすぐに受け取り、喜んでいました。

その素直さに苛立ちを感じるジェニー。荒れた客をあしらったりとひと悶着あった後、主人公に「愛が何かわかってないのに!」とぶちぎれます。

その後も彼女はヒッピーになったり、薬物中毒になったりと荒れた人生を送ります。一方主人公は陸軍で勲章を頂くような存在にまで成り上ります。負傷して一線を引いた後はまさかの卓球の才能で再びトップに上りあがります。

幾つもの障害を経て、再びジェニーと再会。「僕は利口ではないけど、愛とは何かは知っているよ」と告げます。うれしく思うも、彼女は素直に受け止めることができません。幼いころの性的な暴力の事や薬物中毒になっていっている様であったりと、自分の事を愛することができない故です。それに対し、主人公は本当にまっすぐで歪みがありません。

彼女はプロポーズを嬉しく思うも、幸せになる事の恐怖から逃げます。

主人公はただただ混乱します。そして、なぜかまた走り出します。

 

アラバマからサンタモニカまで走り続けた(約3000キロ)
サンタモニカからジョージアジョージアからサンタモニカ・・・。往復続ける。2年続ける。フォロアーが増える。
「人々に希望を与えた」といわれた。僕には分からない。

 

欲望はあれども自ら考え、生きている。自分が考えられる範囲で精一杯生きている。わがままではなく、素直に。
どうしたらこういうふうに素直に生きられるんだろう?欲望に毒されたり、感情に振り回されたりしないんだろう?映画を見ていて強く感じました。


フォレストガンプを単に聖人のように捉えては何の意味もなさないと思います。酷い居方をすれば、そのようなとらえ方は障害者感動ポルノになってしまいます。

 

彼はどうしてこのように尊く生きることが出来ているのだろう?
ジェニーは、どうして自分に素直になかなかなれなかったんだろう。

 

そのことを考えながら見ることを求められているのじゃないかと思いました。
決して彼は自らのことを蔑ろにしない。周りの刺激に対して反射しない。様々な境遇に対し、嬉しく思ったり悲しく思ったり、間違えたと感じたり苦痛を覚えたりするけれども、その時の感情で振り回されることなく、あくまでも自分の考えを持って生きることが出来ている。
単にIQが低いだけで、彼はそれ以外の部分は定型発達者以上の力を持ち合わせている。発達を遂げている。


なんでだ?

 

そこに、希望があるからなんじゃないかと考えています。

ジェニーにとってはちょっと席を譲っただけ。それだけの、たった一つの事を「世界が私を肯定してくれた」かどうか、どう感じたかは分からないところではありますが、そのようなとらえ方をしたのではないかなと私は思っています。

希望とは、後ろからそっと支えてくれるものだと、増川ねてる氏は言っています。

彼にとって、希望とはそこだったのかと思います。

 

では、ジェニーにとっての希望とは?

 

ジェニーは性的虐待を受けたり、薬物中毒になったり、最後にはウィルス肝炎により死に至っていきます。外からの刺激に対して反射し、自分の事をないがしろにし、その時の感情で振り回され、自分の考えなのかどうかわからない状態だった。ちょうど、主人公と逆の状態だったんじゃないかと思います。

 

ではジェニーには希望はなかったのか?

それはないと思いますが、希望を受け止める勇気を、最後のシーンまで中々出せなかったのではないかと思います。

間違いなく彼女にとっての希望は、主人公でした。だけど、受け入れる勇気がなかった。自分が幸せになる勇気がなかった。

 

私たちにとって、希望とは何でしょうか。何が支えてくれるんでしょうか。

考える良いきっかけに、この映画はなりました。第二次世界大戦頃のアメリカ風俗を知るのにもいい作品です。様々な角度から楽しめるこの映画を、良ければどうぞ見てみてください。