精神科看護「まごころ草とばいきん草」

精神科看護「まごころ草とばいきん草」

精神科看護に関する自分なりの覚書

2月に行われた、兵庫県立大学のIPS研修に参加しました

 IPSとは、Intentional Peer Supportの略で、意図的なピアサポートと訳されています。

今回、兵庫県立大学で行われたIPS研修に初参加しましたので、感想を書いていきたいと思います。

研修会 – Intentional Peer Support

 

2月9日、10日IPS研修@兵庫県立大学 チェックイン @約1時間

 26名の参加者がそれぞれ、「何の目的でIPS研修に来たか」を語らう。多く聞かれたのは、「IPS研修では自分の気持ちにゆったりと時間をかけて振り返ることが出来る」と、「IPS研修での独特のゆったりとした時間を、その時々の参加者さんと共有して味わいたい」というような語らいが多かったです。

 私は全くの初参加でしたが、初参加者さんは3割ぐらいの印象。 面白いのが、ほとんどの人がWRAP研修の経験があるという事でした。 半数以上の方は看護師等の医療職の方でしたが、当事者の方も半数近くいました。 医療職だ、当事者だ、というような垣根は特に感じませんでした。単に、IPS研修に来た”人”として関わり合っていたように感じます。

 

居心地の合意 @約45分

 WRAP研修ではこの研修をどのような過ごし方をするか合意をじっくり話し合いました。 今回のIPS研修では「自分で勝手にやりゃいいじゃん」的な感じで細かな決め事は無くてもいいのかな、というような雰囲気の集まりでした。あとで経験者さんに伺ったところ、「だいたいサックリとしてるよ」とのことでしたので、IPSってそんな感じなのかもしれません。

 途中、合意から話が広がり、「人に協力を求めず、勝手にやってもいいんじゃないのかなあ」という話や、「言って合意を得て安心するという心理プロセスって、断らないと安心できないという事ですよね。それって面白い心の反応だなあ」ということを味わったり。

 キーワードは「ざわざわする」というものが多かった。 単にざわざわするという言葉では、あんまり気持ちよさそうな感じじゃないのかなと言う感覚ですが、今回この場では「わくわく」「どきどき」「もやもや」など、様々な感情を内包した言葉で使われていたので、ネガティブな側面を孕みつつ、それを客観視できるというのは精神的な体力がある方が多いなあと感じました。

 

困ったことを相談してみる ロールプレイ @約1時間

 昼休憩を挟んで、2人1組になり、10分ずつ交代し、困ったことを相談してみるという実際的なロールプレイを行いました。特にやり方を指定せず、自由に行いました。

 実際に困ったことを相談してみて、どう感じたかを共有しました。

 多く聞かれたのは「しっかりと話を聞いてもらえた」「思いが伝わった」と言う話し手の感覚でした。また、聞き手では「わかるわかる!と言いたくなる自分を押さえるのが大変だった」「はじめは何の話だろう?という感じだったけれどもだんだんわかっていくと面白く感じ、物語に入っていく自分を感じた」等という感想も聞かれました。それと同時に「聞くことしかできない。無力感が芽生えた」という感想もちらほら。

 

IPS的なアプローチ @約40分

  小休憩をはさんで、先ほどのロールプレイをIPSに引き寄せて振り返ります。

 IPSの考え方での関係性は、問題解決を目的としたり、アドバイスを与えたりというスタンスをとっていません。まるで即興音楽のセッションのような、その場で生まれる新しいものを生み出すことを目的としています。大切なのは、話し手と聞き手の同調しあっている感じ、共鳴しあっている感じが味わえているかどうかなのかなあ、と話が進んでいきました。

 ロールプレイで挙げられた「無力感が芽生えた」という感情やこころの動きについて詳しく参加者同士で意見を交換しました。

 その結果、無力感の背景には「あせり」や「何者かになりたい」感覚があったり、聞いているだけでは何もできないという感覚などがあるのではないかと話題になりました。

 そうして生み出された無力感から行動化として、「言いかえて自分が対話の主権を握る」ことで無力感を脱そうとしたり、「アドバイスをして自分が何者かになりたい」と無意識のうちに感じたり、場合によっては「自分が何か話すことによって相手をコントロールしたい」と思ったりする場面もあるかもしれない、と鋭い観点で可能性を話し合いました。図式にしてみます。

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 話し手と聞き手がいる中、聞き手は無力感を感じ、何らかの欲求が高まるというのが平常時のコミュニケーションです。

 一方、今回の研修で学んでいるIPSという概念でその構造を捉えなおすと、コントロールや責任から解放され、対話自身が音楽的意味のセッションのように、まるでジャズの即興曲のように自然と何かになっていく、という考え方と方向性が現れてくる。それがIPSの側面の一つだ、ということでした。

 また、アドバイスをしたくなる時というのはどんな時かということも話し合いをした所、この場では「焦っている時」「自分が何者かになりたいとき」「話が自分の得意分野の時」「相手が”どうしたらいいですか”と言ってくると反射的にアドバイスしたくなる」「自分は上、と思っている時」「相手を信じれない時」などなど、大変学びの深い様々な見解が繰り広げられました。特に「反射的にアドバイスしたくなる」と言われた時、本当にその通りだなあと思いましたし、実際私も臨床でやってしまう自分のくせなので、そのことを知れたのも大きな収穫でした。

 

IPSの歴史 @60分

 IPSが生まれたのは1990年代、アメリカの精神領域でリカバリーの概念が生まれた後、2000年代にシェリー・ミード氏が、既存の精神ピアサポートってなんなんだろう。本当のピアサポートって上下関係ってあるのかな。と感じ、徐々に組み立てられていっているものです。IPSは流動的で、日本にやってきてからまた新しい変化を遂げています。アメリカでは、実はあまり医療者側がIPSを見聞きすることは少なく、当事者の方々でIPSの資格を取ったりなどしてつながっているそうです。その構造もまた大変尊く、力強いものと思います。それとはまた別に日本では医療者がIPSについて触れる機会が多く、医療者と当事者の間でもIPSが展開される可能性があるというのが、シェリー氏は興味深く見ている、と話されていました。

 WRAPにはファシリテーター資格があり、一定のカリキュラムを受講すれば有資格者として名乗ることができますが、日本のIPSにはその制度がありません。どうしてなのかな、と思っていたのですが、シェリー氏はIPSを資格のある制度にしたことをちょっと悩んでいるようで、「IPS資格があるからと言って私の考えがすべて理解できているというわけではないなあ」と感じていると、伝聞ですが伺っています。それだけ、IPSが流動的でその時その時の変化がある深いものなのだと感じます。

 ちなみに、WRAPのメアリー・エレン・コープランド氏とシェリー・ミード氏は御友人関係であり、WRAPにはIPSとの関連がある「関係性WRAP」という考え方もあるそうです。大変興味深いことです。確かに、ほとんどのトリガーや注意サインって対人関係がらみだなあと感じますから、その時にIPS的考え方を持って関われば、また違ってくるのかもしれません。物事をより多角的に広がりを持って考えることが出来そうです。

 

感情を味わう @午後いっぱい

 ここまでの研修でIPSの考え方を持ってコミュニケーションすることで、自分が無意識のうちに抱いていた感情や、それに突き動かされる行動があることを徐々に感じていきました。1950年代から言われている、ジョハリの窓が広がっていくように、今の自分の感じ方が研修を受ける前と変わってきていることを実感していきます。

 ちなみに補足ですが下記がジョハリの窓です。wikipediaより。

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 ここからの研修の時間は、IPSの一番体力の使う、そして一番大切な感情を味わうという時間を体験していきました。先駆者の方に話を伺うと、どうやら今回の研修は「やさしいほうだった」らしいので、別のIPS研修の時にはまた違うんだなあと思います。それでも、結構体力が削れたので、IPSってかなり体育会系だなあと感じているところです。

 本題です。IPSという考え方で関係性を築いていくには、例えば一つの可能性として理屈と感情があることを理解していく。理屈と感情の”あいだ”があるということをつついていく必要があのかなあという話が展開していきました。

 あけすけに書いていくと、例えばある参加者さんのお子さんは、「嫌味と怒りの感情を合わせてビームを出すんだ!」と遊んでいるそうです。それを見て感じたのが、怒りの活動とはどういったものかという感覚だったそうです。それを受けて、研修の中で「感情を味わうっていうけれども、怒りってどんな味なんだろう?」という話に発展し、それぞれの怒りの味について語らいました。「怒りはこめかみの上にくるよ」「視界がぐらつき、身の毛がよだつよ」「ジャイアンみたいに顔が真っ赤になるよ」「首とか肩とかがぐっと詰まった感じがするよ」などなど、いろんな味があることを共有しました。それと同時に「っていうか、味わうって楽しくない。なんでそんなことをするんだろう?」という疑問も投げかけられ、活発に脱線していきました。その一連の流れ自体がIPSなのかもしれない、と感じながら皆さんと時間を共有していきました。

 大変興味深い事でした。あまり普段の生活で自分の感情についてとことん考えたことはなかったですし、IPSの研修の場はそういうことができる、心の点検場のようなものだなあと感じ魅力が尽きないなと思います。

 また別の角度では、社会通念の中で大きな感情を出すのはリスクがある。しかしそれをあえて出すことによって相手への信頼と、新しい発見を期待してIPSではそれを推奨しているという話が出てきました。

 これは大変怖いことです。特に医療者では社会通念や社会的立場、役割を常に感じながらいるので「看護師たる・・・!」となってしまいがちです。これをブレイクスルーしてくる可能性があるIPSは、本当に開かれた関係を築く、本当の意味での「関係性を築く」ものの一つだと実感します。

 それと同時にやはり、怖い。本当の感情を出すということは自分にとっても相手にとってもリスクを感じること。関係性が壊れるんじゃないかと感じるもの。それをIPSがあるということを共通理解することによって本当に出せるというのは、やはりすごい構造だと思います。

 それをするためには、間を味わうこと。沈黙を共有すること、相手がどう出るかを、善悪や価値判断を下すことなく突入していくことが必要になると思います。本当の意味での「信頼性のある関係性の構築」ということです。これは、医療者と当事者の関係だけでなく、人と人との関係ですら、簡単には出来ることではありませんね。IPSは、そこまで目指しています。

 

 

私の感想

  IPS、大変良かったです。再び機会を見つけ、参加したい。自分の感じ方や人の感じ方を再点検し、心を新しく過ごすことができます。本当に人生の彩りを豊かにしてくれる考え方だと思いました。何よりよかったのは、流動性があるということでした。それゆえとっつきづらさを感じますが、飛び込んでしまえばこっちのものだと思います。

 臨床で活かすとするならば、自分の立ち振る舞い・言動・行動・価値観の振り返りを行うことに終始するかもしれません。対話は相手があってのことですから、どうなるのかな、と思います。しかしIPSの考え方に触れていることは、間違いなく自分の看護に言語化のしづらいところで質の向上があると感じます。折を見て振り返りたいと思います。

 そういう感じでした。ぜひ、機会があればIPSに触れてみてください。

Intentional Peer Support – 「意図的なピアサポート」を考える取り組み