精神科看護「まごころ草とばいきん草」

精神科看護「まごころ草とばいきん草」

精神科看護に関する自分なりの覚書

こんなとき私はどうしてきたか(シリーズ ケアをひらく) 中井久夫 感想

こんなとき私はどうしてきたか (シリーズ ケアをひらく)

こんなとき私はどうしてきたか (シリーズ ケアをひらく)

 

 さすが、中井先生の本でした。 言葉選びがとても丁寧なこと、情緒に溢れていること、芯に考えていることの確かさを触れることが出来ました。教科書とは違い、非常に読みやすくさらさらといけました。内容はしっかり。だから、手元において繰り返し読みたい本だな、という感じ。ちょっと引用したいな、という文章を見つけるたびにブログに打ち込んでいましたら、最初の40ページだけで文字数2000文字を越えました。中井先生の宝石のような美しい言葉を沢山引用したいところですが、今回は非常に残念ながら引用は控えめにしようと思います。

 

 本の構成はおおまかに、5つの話題で進行しています。

 

1.こんなとき私はどう言うか

2.治療的「暴力」抑制論

3.病棟運営についていくつかのヒント

4.「病気の山」を下りる

5.回復とは、治療とは・・・

 

 内容としては先生の講義を文章に落としたものとなっています。そのため、話し口調でやさしい語りかけになっています。それぞれ、紹介していきます。

 

1.こんなとき私はどう言うか

 精神科受診初の患者さんに対し、「あなたは一生に何度かしかない、とても重要なときにいると私は判断する」から治療が始まります。

 

何よりも大切なのは「希望を処方する」ということです。私は、予後については「医療と家族とあなたとの三者の呼吸が合うかどうかによってこれからどうなるかは大いに変わる」ということだけを申します。

診断とは、治療のための仮説です。最後まで仮説です。「宣告」ではない。ウイルス感染にしても、血中のHA抗体が高いというのは感染なり再燃があったことを示唆しますが、同時に、抗体をつくって回復に向かおうとする力が働いていることも示すものです。しかし医学は、つい後者を忘れがちです。

 

  と、謙虚な姿勢で診療に向かわれます。「希望を処方する」「希望を失わない力」というのは本当に大切だなと日々感じます。

 精神病と診断されることは、先生の言うとおり本当に一生に何度かしかない、とても重要なときにいます。つい、臨床で多くの人を見て触れていると、「精神病って言うけど普通にいろんな人いるわー」みたいな、日常のように感じてしまいがちです。ですが当人にとっては、重要な時。その時の医療者の関わり如何で「希望を処方」されるのか、はたまた絶望に打ちひしがれてしまうのか・・・。大きな分かれ目です。

 改めて、新鮮な気持ちで看護に携る重要さを感じました。

 私はよく患者さんに「せっかく何かの縁で入院したんだから、なにかお土産を持って帰ってください、と思って私は関わってます」と良く言います。そして言うだけではなく、対話を繰り返し、その人と一緒に「お土産なんだろ?」と考えたりします。そういうことが面白く感じてもらえる患者さんも時々いまして、そういう人なんかは「ああ、入院してよかった」と言ってもらえることがあります。

 この人は統合失調症の人だから、とか病名等で勝手に先入観を持って関わってはいけません。診断とは治療の為の仮説ともあるとおり、目的はその人の治療ですから、対話が大切だなあと感じます。

 そのほか、この章では約束事の話や、病気の種子の話、幻聴を四期に分けて考えたりと魅力的な言葉が沢山載っています。

 

2.治療的「暴力」抑制論

 本著は2007年出版のものですが、それ以前ではあまり「暴力」について表立って話題には上げられていなかった、と述べています。そこを切り込むという話です。

 暴力といえば、包括的暴力防止プログラム(通称CVPPP)ですが、その教科書も中井先生は監修をされています。

DVDブック 医療職のための包括的暴力防止プログラム

DVDブック 医療職のための包括的暴力防止プログラム

  • 作者: 包括的暴力防止プログラム認定委員会
  • 出版社/メーカー: 医学書院
  • 発売日: 2005/06/01
  • メディア: 単行本
  • 購入: 1人 クリック: 9回
  • この商品を含むブログを見る
 

 暴力とは、身体的不利益もそうですが、社会的不利益も患者さんに降りかかります。すなわち、「暴力の嗜癖化」です。暴力を行える状況を作り出してしまうと、なんらかのストレスがあったときに対処行動として暴力に訴えてしまうという学習をしてしまう。これが最も患者さんに不利益となります。暴力は社会的な不利益を被ります。決して許されることではありません。では、力ずくで押さえ込むのか?拘束するのか?

 そうではないのがCVPPPになります。この章ではCVPPPの哲学的部分にも多く触れられています。最も大切なことは「予防」です。そもそも暴力をする必要もないくらい、ゆとりのある環境になる事です。私たち医療者もまた患者さんの環境の一部ですから、そのことを知っていくことは患者さんの利益になります。

 ただ、暴力の予防にも限界はあります。「暴力のプロ」の前では、私たちでは歯が立ちません。暴力のリスクがあるという事実を受け止め、しっかりとCVPPPを学んでおくことが大切になります。

 暴力を起こさないようにすること、嗜癖化を防ぐことは、治療の一環です。

 ただ、私もそうですが、粗暴行為のある患者さんと対峙するのは、怖いです。心が怖がっていると、身体や表情もこわばってしまいます。悪循環の始まりです。

 中井先生はそれに対し、次のような対処方法を述べています。

 

 先ほど「エレガントに」ということを言いました。実は「プロ的なエレガンス」への入り口は意外なところにあります。こころのなかで「きみ(あなた)も大変だね。ほんとうは大丈夫なんだよ」とつぶやいてみるのもよい方法です(ほんとうにこころのなかでつぶやくのが肝腎です)。表情がそれ相応したものに微かだが確かに変わります。そして、こちらのゆるみが相手に伝わります。それができなかったら「帰ったら今日はビール一本飲もう」でもいいのです。外科医はむずかしい手術のときにはそう考えてみると言いますが、ほんとうかもしれません。

 あちらが気が立っていると、こちらも気が立ってくるのが自然です。自分に向かって「落ち着いて、落ち着いて」というのもいいですが、こころのなかで「きみも大変だね。つらかろう。もともとやさしい人だよね」とか言ってみると、たとえはじめはそう思えなくとも、だんだんそんな気にもなります。それより何よりも、こころのなかでつぶやくと自分の顔の表情がそれに応じたものに、微かにでもなるようです。

 

 はじめ上記一文を読んだとき「ほんとかな??」と思いました。これを読んだ翌日くらいに急性期で暴力行為のある統合失調症の若い男性が入院してきました。隔離処遇です。うっ、怖い、と正直思いました。その時ふと上記の言葉を思い出し実践してみたところ、心なしかこわばった表情をしていた患者さんから気の抜けたような瞬間と雰囲気が出てきて、暴力を受けることなくケアを実践できました。よっぽど私の表情に変化が出たんでしょう。次の日からもその人とは良好な治療関係を結べています。不思議な力でした。

 

3.病棟運営についていくつかのヒント

 この章では、ハード面での環境、ソフト面での環境、同室患者という環境といったもろもろに触れている章です。私のような一看護師ではあまり考えないような部分が多いので流し読みをしてしまっているのが実際でした。

 印象に残ったのは「80床の病棟を70床の病棟として運営する」という考え方が面白かったです。これをすると、常に10床の空きがあり、患者さんは「ああ、ここはいつでも入院できるな」という安心感が生まれ、自然と切羽詰って再入院にならないという話を述べています。いつでも入院できるということがいかに治療的であるかの証左だと語られています。

 

4.「病気の山」を下りる

 病気を山ととらえ、それを下山していくことが治療だと例えて話されていきます。山登りでも下山するほうが大変なため、慎重に、ゆっくり、安全に下りていくことが肝要です。

 この章では保護室から、隔離解除、総室、そして地域へと患者さんが進んでいくステップを一つ一つ際確認しながら話が進んでいきます。

 中井先生は保護室から出る時も「君、本当に大丈夫かね。」「外に出たらうるさい人もいるかもしれない」と患者さんに何度も確認し、いつでも保護室に戻れることを伝えます。そうすると不思議と、「いつでも戻れる安心感」から保護室に戻る人は減るのだそう。

 また、急性期でふと意欲的になり「すぐに就職させてくれ」「家に帰りたい」という患者さんに対しての関わり方がさすが、非常に卓越しています。

 

 (急性期を脱して意欲を表出し急く患者さんに対し、)長期的に見れば、これは早咲きの花だと私は思います、霜に耐えない。そんなとき私は「きみ、まだ早いよ」ということは言わない。画用紙にふちを書きまして、「これを自由に仕切ってくれ」といいます。

 「縦に仕切って、横に仕切って・・・」と指示すれば、患者さんはできます。ところが「自由に仕切って」といわれるとできない。「自由という意味がわかりません」と言われる人がいるのです。弱々しい線を真ん中に一本途中まで引いて止まってしまう。そしてすごく疲労を感じる。たとえ線をどう引くかという程度のことであっても、決断するだけのエネルギーがまだ出ないのです。(中略)選択というのは、人間にとっていちばんエネルギーを食うものです。ですから回復の初期にはこれができない。

 

 と述べ、”弓は満々と引き絞って放つこと”と続いていきます。

 早咲きの花は霜に耐えない。なんて端的で美しい表現でしょうか。少しずつ治療を進めていきましょう、といえば簡単ですが、気が急く患者さんに対してそれを言ってもあまり伝わりません。中井先生のように実感をもって、決して患者さんに恥をかかせることなく進んでいけばきっと良いように治療が着実に進んでいくんだろうと感じます。

 またこの章ではあわせて「病気中心の生活にならないように」と伝えられています。病状やしんどさと言った部分に着目し続けてしまうと辛い。病気が中心の人生になってしまうことを警告しています。そうではなく、あくまで生活者として関わること。抑制するのではなく、補うように関わることが肝要と述べられています。

 様々なストレスから徐々に病という山に登り始めた患者さんは、急性期という形で登頂します。そこからの下山は、既に体力を使い果たしており、命に関わります。ふとした瞬間に一気に下山したくなる衝動も出ます。これを自殺の説明の一説としても語っています。看護師が大切なことは健康な面に光を当て続けること、着目し続けることだと述べています。友人と映画に行ったこと、ベースボールを見に行ったこと、友人と喫茶店に行ったことなどを興味を持って膝を乗り出して聞く事です。単に、人対人として関わるということですね。

 

5.回復とは、治療とは・・・

 この章では回復、治療、進んでいくことについて様々に語られています。

 患者さんは作業療法などで働いていると「もたない」となることがあります。よく見ていると患者さんは一様にずっと働いており、休んでいるように見えている時もずっと緊張は続いています。これはもたない。健康な人は、うまくフッと力を抜いたりしている。基本的に人間は力を入れたり抜いたりしていることで「もってる」のだと中井先生は語られています。
 ”かたい”しんどさと”やわらかい”しんどさという考え方も話されています。かたいしんどさは緊張。やわらかいしんどさは、実はリラックスだと述べています。患者さんは、どちらも一概に「しんどい」と表現されます。でも、深く聞いてみるとどうも種類があるようで、”やわらかい”しんどさについて、長いことリラックスしていなかったので、リラックスしている状態の事がよく分からない状態ではないかと語っています。それをお伝えする時には「んー、それはリラックスしている状態かもしれないよ」とつつく程度に留め、決して決めつけをしない態度を中井先生はとっています。このゆとりのある雰囲気が本当にいいなと感じます。

 さて、このリラックスという状態ですが、時に一人で過ごすことも必要です。常に対人関係にさらされていることは家族間といえども緊張があるのは自然なことです。

 

 家族の方にも申し上げておきましょう。認知症でもパーキンソン病でも統合失調症でも、家の中に病人がいると緊張が生じるのは、これは自然なんです(病人がいてものほほんとしていられるというのは、よほど大物か変わった方でしょう)。けれども緊張が緊張を生むことが大いにあります。できたら一日中は一緒にいないことです。それぞれ別室にこもるときがあったほうがよいと思います。(中略)ご家族の方も、できるだけ「自分の時間」を多くお持ちくださいますように。

 

 安心して休める環境って大事です。そうでなければ前述の通り「休んでいるように見えている時もずっと緊張が続いている状態」です。もたない。
 回復をするためには、本人が治療に臨み、変わっていくことも大切です。病気になる前に戻るのではなく、よりしなやかにより良い状態に変化していくことが望ましい。だけれども、本人だけが回復をすると、もたない事もあると中井先生は本著で述べています。家族の変化や責任の変化、目標の変化といった環境の変化もまた必要なのだと思います。
 私たち看護師が出来ることはあまり多くはありませんが、本人が変わろうとする思いを支え、また環境調整や他種職の連携を行うことで本人や家族が安心して休んだり、目標に向かっていけるようにしていくことが求められていると思います。
 ただしその歩みは焦らず確実に。

 

 結びの言葉を引用して、本著の紹介を終わりたいと思います。

 少しでも中井先生の言葉に心が動いたら、一度手に取ってみてはいかがでしょう。きっと心が豊かになります。

 

  一見いいと思ったらじつはそうではなかったということもあります。急によくなるように見えるときは危ないのです。自殺も含めてリスクが高い。変化するというのは、自動車がカーブを曲がるようなものです。スピードを落とさなければ曲がれない。だから、よくなりかけたときは煽るのではなくて、むしろブレーキをかけながら行ってもらう。

 治療は山に登ることではなく、加速度がつかないようにしながら、山から下りることなのです。そして戻るところは平凡な里です。山頂ではありません。回復とは平凡な里にむかって、足を一歩一歩踏みしめながら滑らないようにしながら下りていくことなのでしょう。