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精神看護「まごころ草とばいきん草」

精神看護に関する自分なりの覚書

精神科領域にある法と人権について3

1964年(昭和39年) ライシャワー事件が発生しました。
ライシャワーさんは米国の駐日大使で、生まれて16歳まで日本で過ごしており、その後アメリカ国籍を選択された方で、日本のことを一定以上理解し、尽くしてきた方でした。
その方が19歳の統合失調症患者に刺傷されたという事件です。

精神疾患があると人を刺すのか。マスコミに大きく取り上げられ、当時取り組み始められていた地域精神医療のあり方が論争となりました。
(余談ですがライシャワー事件を調べたところ、その後の輸血で肝炎ももらってしまったそうです。大問題ですね)

この事件を受けて、翌年の1965年(昭和40年)、精神衛生法が一部改正となります。
地域精神医療の充実に向けた政策と、通報や入院制度の強化に重点を置いた保安性の強い政策とが混在する形となってしまいました。
・保健所を地域における精神保健行政の第一線機関とし、在宅精神障害者の訪問指導、相談事業の強化
・各都道府県に精神保健に関する技術的中核機関として精神衛生センターを設置
・通院医療公費負担制度の新設(今もありますね)
措置入院に関して、病院管理者による届け出制度、緊急措置入院制度、入院措置の解除規定、守秘義務規定などの新設

という形となります。
また前述の精神病院の設立にあたっての補助金はまだ生きており、この時代に設立された病院は多いです。この時代、10年で11万床の増床が記録されています。増えすぎです。

この頃世界では、アメリカでは1963年、ケネディ教書というものが提言され、精神疾患者の脱施設化がゴリ押しされました。その結果、地域にホームレスが溢れかえり、いかに地域で解決するかという問題を顔面に突きつけられるということが起こりました。
イギリスでも1960年代に精神疾患者の地域移行を推し進めています。
イタリアでは、1978年バザーリア法が制定され、すべての精神疾患者は地域で暮らすことが原則となりました。
日本はその流れから逆行していきます。今も、地域の受け皿がないがために、また精神疾患者の高齢化・認知症発症に伴い、地域へ返せない状態になっているということや、ATMを知らない、スマホを扱えない、などといった経験不足による社会に参加できないことが問題となっています。

単に病床数が多いからおかしいとか、そういう話ではないです。地域で生活するための仕組みづくりや私達日本国民の考え方を変えていく必要があるのではないかなと思っているのです。
それと同時に、私も日本人ですから、隣人が大声で殺されると叫び続けられていたら、こちらに危害がないか心配になりますし、複雑な気持ちになるのも本当の話です。

1984年(昭和59年)、報徳会宇都宮病院で入院中の患者が看護職員に暴行を受けて死亡した事件が明らかになりました。
その事件を調査していくと、同病院における人権を無視した処遇が明らかになっていきました。
作業療法と称して内職をさせたり、農業を強いたりしていたようです。
地域で看ないことも指摘されていましたが、病院でもそのような処遇をしているのかと、世界的にバッシングを受ける事態となりました。
ただ、アディクションの患者が3割おり、地域治安維持のための受け皿として黙認されていた事実もあるようで、病院側は当然悪いことをしていますが、それを要求している地域があることも確かかもしれません。

この事件を受け、精神衛生法は廃止され、1987年(昭和62年)から精神保健法が開始されます。

続きます。