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精神看護「まごころ草とばいきん草」

精神看護に関する自分なりの覚書

アサーションについて

アサーションとは、超ざっくりと要約すると「自分もOK 相手もOK」となるようなコミュニケーションと習いました。

私自身、アサーションについて全然わかってませんので、この記事は今の私の知識を整理する、くらいなスタンスでいきます。
いろいろ調べてわかってきたら、改めて新しく記事を立てたいと思ってます。

アサーションは直訳すると、主張や断言という意味です。
きちんと自分の意見を通せたものはすべてアサーティブかというと、そうではないようです。

相手の立場を鑑みずざくっと言ってしまうことを、アグレッシブコミュニケーションと言うそうです。
つまり、自分は大切にするが、相手を大切にしない自己表現です。
相手に自分の意見だけを押し付ける形になり、相手は嫌な気持ちが残ります。それにより、軽んじられた、馬鹿にされた、下に見られたと思い、支配されたと感じるようです。結果的に意見は通ったが後味が悪いという形に・・・。

逆に相手の立場ばかり考えて自分の主張をしないというのはノンアサーティブコミュニケーションとなるようです。
一見、相手を立てている、尊重しているような振る舞いに見られます。しかし自分の気持ちや考えを出さないということは自分に正直ではないということであり、それはそのまま相手に対しても率直ではないということになります。
また、相手に対して「譲歩してやった」という恩着せがましい気持ちや恨みつらみを抱いてしまうこともあります。
それとは別に直接的に返答はせず、曖昧に行ったり言い訳がましく遠回しに言うなどというのもここに該当します。
これを続けることで我慢が続きますから、ストレスがたまりやすい。しまいには、爆発してしまうかもしれません。

自分に素直でないことがどうして相手に率直ではないのかということですが、きちんと自分を開示していない、その場しのぎでやりすごしているということにつながり、相手ときちんと対していないからではないかと思います。

最後にアサーティブコミュニケーションですが、自分の意見も言うし、相手の意見も聞く。きちんと話し合い、ぶつかり、どうするかを決めていくということがアサーティブになります。
お互い譲ったり譲られたりで、対等な関係ということですね。そうなりたいものです。

アサーティブであることは、責任を伴います。
アサーティブトレーニングを開発した精神科医アルベルティは、4つの権利を主張しています。

アサーション権とは、
・誰からも尊重され大切にされる権利
・自分の行動を決め、その行動に責任を持つ権利
・誰でも過ちをおかし、その責任を持つ権利
・自己主張しない権利

とされています。
非常に耳が痛い気がします。
相手の非をばかり指摘するのは、決まり事の上では正しいかもしれませんが、アサーション権においては相手が責任を持つ権利があります。追求しすぎは良くないのではないでしょうか。
また逆に自分が何かをしたいと、表現する際には、それの責任は自分個人で負いますし、誰かと相談して決めたからといってその権利は移譲されません。また、過ちがあった際には自分で自分の責任を持つという権利も破棄できません。

最後の文で、自己主張をしない権利もあります。何か発言を強要されても、言わないという権利もここでは提言されています。

いつでも率直に、責任感を持って看護師の仕事を行っていきたいものですね。