ユマニチュード入門 本田美和子ほか 感想
読み終えましたので、備忘録的に感想を記載します。
以前の記事にもある程度記載しましたが・・・。その時には本の方は読んでなかったですので。
ケアのレベルについて
1健康の回復を目指す。
2現在ある機能を保つ。
3回復を目指すことも、現在ある機能の維持をすることも叶わないとき、できるかぎり穏やかで幸福な状態で最期を迎えられるように、死の瞬間までその人によりそう
(中略)ケアする人にとっていちばん大切なことは、「相手のレベルに応じたケアを行っているか」
著者は多くのケアは患者さんのレベルに応じていない(低い)ケアを提供していると指摘しています。本当は出来るのに、こちらの都合や安全を優先するあまり、寝たままの清拭であったり車椅子使用であったりと言っています。ケアのレベルが適切でないから、認知症の患者さんは寝たきりになっていったりしていると指摘し、それゆえに介護量が増え、忙しさに拍車をかけていると指摘しています。
また、別の章では「認知する」「選択する」という部分においても、同じく本来できるはずのことを提供できておらず、こちらで決めていると指摘しています。それゆえ、認知機能はさらに低下していると。
まずは、患者さんに認識してもらい、選択してもらう。「知人の家に来ていきなり『今日のご飯なに?』とは聞かないでしょう。まずは挨拶から。患者さんにもそうしましょう」と提言しています。
著者はその「認識する」「選択する」ということにおいて、それを行わずにするケアを”強制ケア”と表現しています。
ユマニチュードでは、強制ケアをゼロにすることを目標としている、とあります。
そのために4つの技法と、1つの哲学が提言されています。
哲学としては「人は2度生まれる。生物学的な誕生と、社会的な誕生。ユマニチュードでは社会的な誕生を再度認識し、3度目の誕生を意識しよう。ケアを提供する時、その人を中心にはしません。ましてや病気を中心にもしません。絆を中心とするのです。」
上手く、まとめられていませんが、おおよそこのような哲学があります。
4つの技法は以前の記事で載せた通りの、「見る、話す、触れる、立つ」の4つです。
・見るということについて
見るというのはあまり意識しない行為ですが、見ることによってその人は存在を認められると述べられています。
見られていないとはあなたは存在しない、というメッセージの投げかけに他ならないとあり、ポジティブなメッセージの見るを行いましょうと提言されています。
具体的には相手の視線に自分が入り、認識を待ってから声をかけるということです。
認知症の人の認識は優位に遅く、水準が上がってくるのにも時間がかかります。そのため、ノックをして、まち、またノックをして入るなど、意識して関わることが肝要であると述べられています。
また、見る時に当然ですが、視線を同じ水準に合わせることも注意されています。見下ろしたり、横から見たりしないことと注意されています。
・話すということについて
話すといっても、反応が無ければこちらも話す元気がなくなります。この点に着目し、著者らは「オートフィードバック機能」を提言しています。ケアの最中、ポジティブな言葉で実況中継し、話すことを続けるという技法です。これにより、話さないということがなくなり、相手を尊重することができると述べています。
・触れるということについて
触れる際には、広く、優しく、温かくが基本とあります。決してそっとではないと注意されています。触ることによってずいぶん多くのメッセージが伝わると述べられています。
また、介助などする際、決して相手の腕をつかまないようにと述べられています。つかむという行為は強制性をはらんでおり、その意図がなくとも、相手にネガティブなイメージを与えると主張されています。そのかわりに、下から支えるという方法が提案されています。それによりソフトになり、また支えるために広く優しく温かく触れることとなるため、効果的であると述べられています。
・出会いから別れまでの5つのステップ
1 出会いの準備
2 ケアの準備
3 知覚の連結
4 感情の固定
5 再開の約束
上記の手順を踏むことで、ポジティブなイメージの感情記憶を促し、今後のケアを行いやすくるという運びになっています。これを日常続けることで、ケアがしやすくなると述べられています。
特に出会いの準備で、きちんと認識してもらい、ケアの準備で同意を得ることが、ポジティブなイメージの感情記憶を促すと述べられています。
・ケアを拒否する場合
強制はしない、ということですが、3分程度は交渉を続けると言います。
また、午前交渉して同意が得られなければ午後にまた交渉する。そのほかのかかわりの時にもユマニチュード的に関わり、同意を得られやすいように導いていくと提案されています。
当然その日はケアが行えないリスクはありますが、ユマニチュード的にはそれでいいのだそうです。
それよりも、その人らしさを回復し、自立的に行えることを促すことが肝要とあります。
・転倒リスクについて
歩くことによって転倒は起こりえます。しかし、ユマニチュード的にはこれを「回復の過程」と考え、ある程度のリスクは受容するべきと提案しています。
看護的には、転倒転落はヒヤリハットですし、骨折や重篤な障害につながることもあり得ますから、リスクは出来るだけ減らしたくなります。
しかしその結果、ベッド拘束などを行っているのが現状であり、それは適切なのでしょうか・・・?
家族からも、病院に入院してるのに外傷ってなんでだ?ってなるのは当然の思いかと思います。それと同時に、ベッド拘束などでADL低下というのも納得いかないことかと思います。
ユマニチュードはこのような感じでした。とても面白かったですし、実際にいくつかの技法は私の看護に取り入れている状態です。
ユマニチュードを行うことでよかった点は、認知症の人の関わりにとっかかりが出来た点でした。今まで、雲をつかむような感じでどうかかわっていいかわからなかったのですが、ユマニチュードは技法なので、それにのっとって関わるというとっかかりが出来、その人の人間性と触れ合う機会が作れるようになりました。
また、認知症の方以外とも、目を合わせる、や認知してもらう、などといった技法は生きており、「看護師さん突然きてケアして去ってった」ってことが減ったような気がします。
本書ではユマニチュードの概要と技法のいくつかが述べられていましたが、また哲学的な面をもう少し読みたいなと思いました。また、読む機会があったら記事にしますね。