精神科看護「まごころ草とばいきん草」

精神科看護「まごころ草とばいきん草」

精神科看護に関する自分なりの覚書

精神科看護って面白い! 魅力・やりがいについて

  お問い合わせに「精神科のお仕事の魅力ややりがいについて教えて欲しい」とコメントを頂きました。ありがとうございます。

 人それぞれ、精神科の魅力ややりがいを感じる点は異なるところが多いと思います。(後述しますがそれこそが魅力の一つだと思っています)

 なので、この記事では私が感じている魅力ややりがいについて少し触れてみたいと思います。

 

精神科看護の魅力

 精神科看護の魅力は、患者さんの生きる希望や人生について関わることができるということに尽きると思います。

 患者さんは病気になることにより、失望し、将来を悲観的に考えたりしてしまいがちになる方が多いです。しかし、病気は病気で、その人はその人です。退院後どう過ごすか、どんなことをして生きていきたいか、希望を感じるときはどんなときかなどもいっぱい話し合い、退院の時までにはたくさんのお土産話として持って帰ってもらう。そして、病気が治るではなく、病気の前のときよりもより良くなるよう、対話を繰り返し、価値観を相互に共鳴させていくことが、精神科看護の真髄で魅力だと思っています。

 

 ここで大切なことは、多様性・ダイバーシティの考え方です。これは社会の問題であったり、文化人類学的な発想が必要なところかと思いますが、外科や内科といった身体の科と違い、精神科には明確な治療完了の状態がありません。治ったと言う指標がないんです。それはなぜかと言うと、その人それぞれで到達点が違うからです。

 ある人はフルタイムで残業でバリバリ働く人が到達点かもしれません。またある人は芸術系で時間枠は関係なく才能を発揮させる人が到達点かもしれません。また別の人はゆったりと自然に生きる人が到達点かもしれません。病院は職業訓練所でも、学校でもありませんから決まった完成形を持ちません。

 また本人にとってベストを尽くしていると思っていても、社会的にはそうでないかもしれません。社会は生物ですから、かつての価値観が今の価値観とは当然異なってきます。昔の職人気質は、今のコミュニケーション障害と言えるかもしれません。そこから軋轢が生まれ、適応障害であったり、抑うつであったりに進行することは珍しい話ではありません。

 更に、入院前の生活がその人の程よい状態かと言うと、もしかしたらそうではないかもしれません。午前3時まで飲みニケーションをして、朝6時に元気に出社!を週6回する生活で破綻するような人もいます。逆に、そうであることに生きがいを感じる人もいます。

 精神科に入院するまでになったからには、今までの生き方が上手くいかなかったからなんじゃないかなと言う仮説を元に、患者さんと検討を繰り返していきます。そうすると、自然と患者さんは自らの希望や生きがいに触れ、元気を取り戻していく。そこがとても魅力だなあと強く感じます。

 

 私が特に大切に考えていることは、決して医療者が与えるという立場にはならないということです。この人生のすべてについてなんて到底わかりません。私は私の人生を今まで生き抜いてきました。そして、目の前に対峙している患者さんは今日までその人生を生き抜いてきた人です。それを想像すると自然と尊重の念が湧いてきます。(私も私で複雑な人間ですから、時々尊重の念が湧いてこないこともあります。どうしてでしょうか。それを考えるのが精神科の醍醐味です。)

 医療者は何か人生のマスターキーを持っているわけではない。では、何をする人なのか。宮内先生の受け売りですが、私はその人の松葉杖になることが求められていると思っています。

 松葉杖ですから、いつかは手放します。そして、自分の人生の主軸を取り戻してほしいなと、思って日々看護しています。

 日々看護をしている中で、時々自分の人生の主軸を取り戻される瞬間があります。「ああもう、薬に頼ってばかりの人生は嫌だな。」「人の感情に左右されてばかりの人生は飽きた」「もっと自分の人生を生き抜きたい!」そういう声を聞くとき、ああ、この仕事をしていてよかったなあ、と感じます。

 

精神科看護のやりがい

 精神科看護のやりがいは、多様性・ダイバーシティという考え方の難しさがやりがいを感じます。すべての人に画一的に看護を提供しても全く意味がありません。なぜなら、人はそれぞれ違うから。当たり前ですね。だから、人によって手を変え品を変え看護を提供していく必要があります。

 

 例えば睡眠状況を伺うときのことを考えます。

 ある人には「眠れました?」で済むかもしれません。別の人には「寝付きの具合と、途中で目が覚めたかどうかと、早くに目が覚めて眠れた感じがしないかどうかを教えてもらえますか」と噛み砕いたほうが良いかもしれません。「眠れましたよー」と来られてそのままでいい人もあれば、表情や客観的情報を基に掘り下げたほうがいい人、また逆に深く触れないで折を見て聞いたほうがいい人、全く聞かないほうがいい人等あるかもしれません。「睡眠は心の栄養ですから、大切なので伺ってます」と伺う理由を説明しないとだめな人もいるかもしれませんし、逆にあれこれ言葉数を多くすると不穏になってしまう人もいるかもしれません。こちらのタイミングで聞いてもいい人や、様子をうかがって行けるタイミングを探る必要がある人もいるかもしれません。全く逆に、「眠れました」から話が迂遠になっていき、適宜修正が必要な人もいるかもしれません。模範的な回答をしなければならないと考え、「よく眠れました!」と過剰適応する人もいるかもしれません。話かけても、全く違う反応が来てしまい、何度も聞き返す必要がある人もいるかもしれません。(眠れるかどうかなんて聞いてくるなんてこいつは何者だ・・・)と無言のまま訝しげにこちらを見てくるかもしれません。「3日前の薬は良かったけど昨日からの薬の調整がこれでこうで・・・」と、予め内服状況を十分に把握しないとテンポについて行けない人がいるかもしれません。

 

 ただ単に「眠れました?」に対して「よく眠れたよ/まあまあだよ/いまいちだな」という返答を期待するだけですが、サラッと挙げるだけでもこれだけ思いつきます。

 そこから、単に患者さんから情報を貰うだけでも、個別的な対応が求められます。同じ看護師でもAさんとBさんとで全く対応が違う!ということもありえます。マスターキーなんてありえないんです。

 

 さらにそこから、病気に対する受け止め方や考え方、価値観のこと。何がその人にとって希望であったか。何故病気になったと考えているか。どうなりたいと考えているか。ストレスに対してどう対処しているか。今の自分についてどう思っているか。どうなりたいと思っているか。人にどれだけ頼ってもいいと思っているか。薬に対してどう思っているか。経済的な心配事。社会的な悩み。等などたくさんのことを一緒に考えていく必要があります。

 もう、網羅できません。

 

 しかも患者さん要因だけではなく、看護師要因もとても大きいです。私では絶対に看護を受け入れてもらえない人がいたり、その逆に私なら看護を受け入れて貰える人がいたり。

 それは、誰かが優れていて誰かは劣っているという話ではないんです。単に、そうであるという事実だけです。様々な患者さんがいるのが精神科ですから、様々なスタッフがいないと困ります。それが精神科です。

 人と人が出会うのが治療の場ですから、お互いの要因にも敏感にならないといけません。自分が治療道具として役に立つために、自分自身のメンテナンスや、状態の把握、理解が求められます。これが難しい・・・。

 前出の文章ですが、私も私で複雑な人間ですから、時々尊重の念が湧いてこないこともあります、と語りました。これについては看護師要因も大きいと考えています。

 すなわち、自分の人生の問題や課題を患者さんに見出して、複雑な思いを抱いてしまうこと。これが結構あります。そうなってくるとつい感情多め、エゴ多めに喋ってしまったりしてしまいます。よくありませんね・・・。

 

 患者さんと看護師の相互関係については多くの研究があります。例えば木村敏先生の”あいだ”という概念。ユングフロイトの提唱する”転移・逆転移””陰性転移・陽性転移”。土居健郎先生の”甘え”も対象が必要なことから、相互関係のものと言えるかもしれません。

 そういった概念を知ることで、普段の臨床の”現象”が何なのかがわかるかもしれません。考えるヒントになります。それらの知識を踏まえて患者さんを理解していくことや、自分自身の理解を深める事はまさにやりがいだなあと強く実感しています。

 

 言い方を変えれば、明確な答えもなく、行き着く先もなく、ひたすらに考えていく必要がある科。最終決定権は患者さんが持っていて、医療者は提案までしか出来ない。その提案も、意味があったりなかったり。自分のことを振り返り、内省を深め、しかしそれが必ずしも良い治療にすぐに結びつくわけではない。目に見える技術よりも、目に見えない技術の割合が多い。社会の動向も重要で、今の社会について常に触れて更新していく必要がある。それが精神科なんだろうなと思います。

 うーん、こう言うと中々スッキリしない科ですね。

 

 

  精神科全体の雰囲気をなんとなく知るなら、まずは「ブラックジャックによろしく」をおすすめしています。9巻から13巻までが精神科編です。社会的側面をより強く描かれていて、大変熱が入っています。結構精神科の病院にはこの本置いてますよね。

 

  それと、2017年の新刊ですが、「精神科ナースになったわけ」こちらも大変おすすめです。手放しでおすすめできます。コメントを頂いた方にお勧めするがてら自分でも読みましたが、大変上質でした。もちろん実録で載せるわけには行きませんからフィクションですが、本質をしっかりとらえていると感じました。

 精神科看護ってどういうことをしているの?個別性って何よ?の答えがこの本の中にありますよ。

精神科ナースになったわけ (コミックエッセイの森)

精神科ナースになったわけ (コミックエッセイの森)

 

 

 こちらのサイトで幾つか試し読みも出来ます。ぜひ、ぜひ!読んで!!

matogrosso.jp

 

 ちょっとテンションが上がってしまいました。

 

 漫画で精神病棟を淡々と描いているものといえば、

このマンガがすごい! comics 精神病棟ゆるふわ観察日記 (このマンガがすごい!comics)

このマンガがすごい! comics 精神病棟ゆるふわ観察日記 (このマンガがすごい!comics)

 

 こちらの本も2017年の新刊です。レビューなどでは賛否両論ですね。

 下記のサイトで試し読みが出来ます。

konomanga.jp

 

 個人的な意見としてはちょうど、精神科ナースになったわけが精神科の光の部分を、精神病棟ゆるふわ観察日記が精神科の闇の部分をより濃く描いているものなのかなあと思います。漫画ばかりで偏ってますが。

 

 本格的に興味を持ってきたら、中井久夫先生の看護のための精神医学 第2版が鉄板です。なにせ、看護学生のために講義した内容を本にしたものですから、間違いがありません。必携です。

映画 ツレがうつになりまして。 感想

 

 見る機会を無くしたまま見ていませんでしたが、この間受け持ちのうつ病患者さんのことで様々に悩んだので、それをきっかけに見てみようと思いました。

 様々にクローズアップされており、うつ病というものの認識を広げてくれた作品だと思います。以下、感想など。

 

 

 髙崎さんという主人公は曜日で決まったネクタイをして、毎日きちっと敷き詰めたお弁当を自分で作って働くサラリーマンです。愛する奥さんが漫画を描けるよう、生活費などの面は自分が何とかする、と日々頑張られている。

 職場は過度にストレスのかかる場所で、IT系のため英語が飛び交うことも。クレームの電話も、ねちっこくしつこい。 そんな中、少しずつ調子がおかしくなっていく。

 

 なんだか食欲がなかったり、寝癖がついたままだったり、ゴミ捨て場のごみの事がなんだか気になったり・・・。

 ある朝は日課のお弁当作りができず立ち尽くしてしまう。・・・徐々に死にたい気持ちが出てくる。

 妻の勧めもあり、クリニックで診察をしてもらうとうつ病と告知される。先生から、薬で状態を安定させつつ、原因を取り除こうと勧められます。

 

 とはいえ、仕事をしない事には生きていけない。辛さを抱えつつも内服を開始し、引き続いて仕事に通う。症状は悪化し、電車に乗れず立ち尽くしてしまう、吐いてしまうなど、深刻化していきます。仕事から帰ってくるなりソファーにへたり込んでしまう。食事は食べられない。元気な頃の姿とは全然違う状態に。

 妻の漫画が打ち切りになってしまい、最後の話をのんびり描いている妻に対し「打ち切りになって悔しいのはわかるけど、最後まできちんとやらないとだめだよ!」と強く言い放つ。余裕のなさが苛立ちに繋がる。

 

 「もう、仕事辞めちゃえば。」妻の勧めに対し、「そんなこと出来ないよ・・・」と嘆く夫。

 

 「会社辞めないのなら、離婚する」妻。

 

 そこから会社を辞めるために辞表を書くが、上司は受け取ってくれない。「いきなり言われても困る/社員が書くのは辞表じゃなくて退職願だ、と受け取らず。なぜ退職するという考えに至ったかも聞いてもらえず。

 改めて退職願に書き換え、さらに文書を手書きと指示されたため夜更けまで手書きで物差しを使いながら書く夫。再度提出するも、今度は希望の期日では無理と。引継ぎをしろなど様々に引き留めにかかられます。

 

 ・・・などなど、描写が細かく、また堺雅人の演技が巧く、うつ病を発症していくさまが非常にリアルに描かれていました。

 うつ病ってどんなことなの?というのがイメージしやすくとてもよかった。面白いのが、元々持っている性格が几帳面なため、だらだらするということが出来ないという描写。正直すごくよくわかります。

 また、反面うつ期の時には布団に潜り込み、「申し訳ない・・・」と引きこもる姿も、客観的には家で布団に入っている状態ですが、その実全く休めていないというところがうつ病の描き方としてリアルだなと感じました。

 

 しばらく治療を続けて2週間ほど内服を続けていると、突然活力が戻ってきたようになります。朝、ぱっと起きて笑顔で窓を開ける。冬の寒い時期だけど、「はるさん、季節は冬だったんだね。凛とした空気が心地いいなあ」と一見治ったように見えます。これはやっと薬が効き始めたという状態で、寛解したわけではありません。けれども妻と二人感動し、喜びを分かち合います。

 

 そして、また再びうつ期へ。この対比がたまらなく辛い。

 

 家族から、当人としては単に励ましているだけだけれども、当事者としてはつらい励ましの描写の部分も、つらかった。「お前は昔から細かいことばかり気にしてなあ。だから病気になっちまうんだろ?男はなあ、どんなにつらくても家族の為に大黒柱なんだから、頑張らないとな!ペットの餌代だってかかるんだろ?しっかりもっと頑張れよ!」と。普通の人がちょっとへこんだとかくらいならこういう声掛けでもいいかもしれませんが、うつ病の人にとっては当然良くありませんよね。案の定その後主人公は布団に潜り込んで泣き続けました。

 

 なぜこのような励ましがいけないのか。うつ病は、病気由来で焦りの気持ちが消えなかったり、罪悪感に苛まされたり、考えの視野が非常に狭くなったりします。また物事の優先順位がつけられないため、普段なら出来ていたことも出来ず、それもさらに自分はダメなんだ、という気持ちになってしまうからです。映画の中でも、少し状態が良くなって好きだった料理をしてみたが、段取りがうまくいかなくてキッチンは汚く散らばってしまい、そして味はわからないという成果になってしまいました。

 もちろん家族や親しい人にとって、つらい病気だけど頑張ってほしいという気持ちが出るのは当然の事です。だから、こういう時には辛い気持ちになっているその人の歩みに合わせて、ゆっくり一つずつしていくことが望まれます。具体的には、少しでもいい変化が出たときには一緒に喜び、つらいことがあった時には寄り添う事がいいのではないでしょうか。もちろん人によって求めていることは様々ですから、マスターキーのような解決方法はないのですが、その人のペースを守り、共に進んでいくことは望ましい態度だと思っています。

 映画の中で特に、パートナーとしてすごく素敵だなと思える接し方がありました。それは「頑張らない」という事です。

 頑張らない、ということは無理をしない、ということで、続けられないことをしないという事を意味しています。

 それがなぜ素敵な接し方なのかというと、自分も、相手も尊重した態度に他ならないからです。

 例えば映画の中で納豆がうつにいいと聞いて夫に食べさせるシーンがあります。でも、妻は納豆が大嫌い。だから「私は食べない。うえー。もっと静かに混ぜられないの」と非難轟々。自分で食べさせてるのに、自分は嫌いと言ってます。これでいいんです。だって、素の自分を見せているから。嫌いなものを嫌いと言っても、その人の事を心配していないとか、嫌っているとか、そういう事とは全く無関係。そこが大切。そういう状態で、お互い楽に接していることが素敵だなと感じます。

 そんなこんなで、陽だまりのような心地のいい日が続いていたある日。夫は首を吊ります。すぐに気づいて、命に別状はなく、後遺症も残りませんでした。そのきっかけは些細な事。夫は原稿の名前が「髙崎」じゃなくて「高崎」になっていたことを指摘したものの、妻は締切間近の追い込みで雑な対応だったというだけです。夫はそのことに対し「忙しいのはわかってるのにハルさんにしつこくしてしまって・・・。そんな自分が嫌になって・・・。時々ここにいることがたまらなく嫌になって・・・。僕はここにいていいのかな・・・という気持ちになった」と語ります。

 

 うつ病は、死に至る病です。うつ病患者で亡くなった人の4人に1人が、自殺です。だから決して、この病気の事やこの病気を抱えた人の事を軽んじてはいけません。

 

 その後、また再び二人で生活を続けていきます。妻は漫画の連載が決定し、何とか生活費に関する悩みも一旦解決していきます。夫も、少しずつ状態が良くなっていきます。

 

 最後のシーン、夫がうつ病と付き合う、というテーマで講演会をする所。

 

うつ病との付き合い方のコツは、「あ・と・で」です。焦らない。特別扱いしない。できることとできないことを見分けよう。という事です。


自分の病気のこと、恥ずかしいことだと思っていました。そのことを変えてくれたのは妻でした。恥ずかしい姿、情けない姿。そう思ってしまった自分にすら、誇らしい思いを今は懐いています。うつ病を完治したわけではないが、付き合っていくという気持ちで、今は過ごしています。

たぶんそうすることが本当の自分に出会う為の一番いい方法なんじゃないかと今はそういうふうに考えています。

 

 

 本当の自分に出会うための一番いい方法。本当にその通りだと思います。

 本当の自分に出会っていなかったから、きちんと見つめていなかったから、その声を無視して過ごしていたから、無理をしていたんじゃないかと思います。自分の身の丈以上の状態になってしまっていたんじゃないかと思います。

 

 私はまだまだ幼い為、自分のネガティブな部分を見て誇らしく思うことはできません。そういう気持ちを抱いた自分を認めるのも苦痛です。だけれども、そう言ったことを見つめていく態度はこれからも持ち続けたい。そう、再認識させてくれる映画でした。

 

 また、原作は大ヒットしましたね。漫画で大変読みやすく、おすすめです。 

ツレがうつになりまして。 (幻冬舎文庫)

ツレがうつになりまして。 (幻冬舎文庫)

 
その後のツレがうつになりまして。 (幻冬舎文庫)

その後のツレがうつになりまして。 (幻冬舎文庫)