つらいと言えない人がマインドフルネスとスキーマ療法をやってみた。 伊藤絵美 感想
伊藤絵美氏は、以前からCBTの本で有名でして、名著と噂なんですが、まだCBTには手が出せてないのが現状でした。
去年、同じくマインドフルネスとスキーマの本も書かれていて、本屋さんで「ほしいなー、ほしいなー」と思いつつ、CBTと同じく敷居が高いように感じてて、手が出せていませんでした。
ケアする人も楽になる マインドフルネス&スキーマ療法 BOOK1
ケアする人も楽になる マインドフルネス&スキーマ療法 BOOK2
すると2017年の10月末、「やってみた。」なんて軽いタイトルでCBT、マインドフルネス、スキーマの本が出たものですから飛びついてしまいました。
もっと早く、前出の本も読んでおけば・・・!と後悔するほど面白く、ためになる本でしたので、紹介していきます。
本著は、40代男性開業医、主訴は背中の痛み。自分の感情をないものとし、感情を出す人を「レベルが低い」と見下す”オレ様”開業医のヨウスケさんの例と、
40代女性臨床心理士、主訴は”クライアントのためにCBTを学びたい”とスーパーバイズを求めている。自分の感情より相手の感情を優先して、他人の世話ばかりしてしまう”いい人”心理士のワカバさんの例を、たっぷり250ページに渡って描かれています。
そう、これは「人を助けるひとは、なぜ自分を助けられないのか。」という話にもつながってきます。
じつは、振り返って見ると前出のCBTの本もマインドフルネス&スキーマの本も、看護師が症例として扱われています。案外私たち医療従事者は生きづらさを感じて喘いでいる人が多いですね。
ただ、注意として伊藤氏は「ヨウスケさんもワカバさんも一つのサンプル」と断っています。もちろんそうです。どのような人であれ、マインドフルネス&スキーマは治療効果があるという左証です。
とはいえ、医療者に境界性や自己愛性などと言った障害を持った人が度々いるのは事実です。春日先生もかつて指摘しています。
ですから、CBTやマインドフルネス、スキーマ療法は、患者さんや利用者さんのためになるだけのものではなく、誰でも万人が生きやすさを得られるようになるためのツール、という位置づけで捉えたほうが良いのかなと思います。
そのため、本著は心理士さんが書いている本ですが、対象は医療者も一般の人も誰でも読める本だと言えます。幸い、本著は難しい言葉や理論をゴリ押ししている本ではありません。何らかの用語や概念が出てきたときには、平易な言葉で説明されており、とても読みやすい本でした。CBT、マインドフルネス、スキーマ療法の概念を実際的につかむための入門書として大変おすすめできます。
本著は次のような構成で進んでいきます。
第1章 ヨウスケさんと行ったマインドフルネス
ヨウスケさんとの出会い
背中の痛みのセルフモニタリングにトライするが・・・
マインドフルネスの練習を始める
夫婦関係の調整
ふたたびマインドフルネスのワークへ
ヨウスケさんの気づき
第2章 スキーマ療法を通じてのヨウスケさんと家族の回復
自らのスキーマとモードについて知る
ヨウスケさんと家族の変化
第3章 慢性的な生きづらさを持つワカバさん
ワカバさんとの出会い
セルフモニタリングによって見えてきたこと
マインドフルネスのワークとそれによる気づき
「生きづらさ」への気づきとスキーマ分析
新たな生き方の模索と生活の変革
その他、LectureとExerciseとしてCBT、マインドフルネス、スキーマ療法の概要と、レーズンエクササイズ、呼吸のマインドフルネス、歩くマインドフルネス、ボディスキャン、葉っぱのエクササイズ、シャボン玉のワーク、感情や思いを壺に入れるワーク、バーチャル味噌汁エクササイズ、香りのマインドフルネスを紹介されています。
今回は章に沿って感想を述べたいと思います。
第1章 ヨウスケさんと行ったマインドフルネス
はじめ、ヨウスケさんがカウンセリングの扉を開いた理由は「背中の痛みをとってほしい」というものでした。身体的には様々に身体検査を受けたものの、最終的に「心因性」と判断されてしまい、すがる思いで「慢性疼痛はCBTがある程度の効果がある」ことを文献から調べ上げ、治療してほしいがためにやってきたのです。
しかしながらその態度は尊大。他人を見下すようなオレ様スタイル。それを見て著者は「この人は助けを求めたくても人に求めることが出来ない人なんだなあ」と感じ取ります。こういった人にはどういうふうに対峙すれば良いんでしょう?
著者は、上下の力関係を見出しパワーゲームを持ち出すクライアントに対してはあくまでも「この人は実は困っている人」「実は助けを必要としている人」と真摯に対応し続けることと伝えています。また度を越した要求や言動に対してはきっぱりと断りつつも「そう言われてしまっては困ってしまう」と伝えるとも言います。困ってると人に言ったとしても負けではないことを関わりの中で伝えることが肝要と言っています。ちょっとした関わりの中でも、ミラリングやモデリングの理論を用いて関わっている様が流石だなという感じです。
インテーク中でもしょっちゅう卒業大学などを聞いたりして上下関係を確認しようとするクライアントでしたが、会話の中で本人は無意識ながら「伊藤さん」「伊藤先生」と表現を使い分けるシーンが現れ始めます。さん付けは、部下を呼ぶような態度で、先生はそのまま先生として態度をコロコロと変えながらの治療です。
まずは要望通り、認知行動療法から開始しますがそれも中々スムーズに行きません。表向きにはオレ様態度で「なんでそんなことするんだ?」「もっと痛くなったらどうする!」「できません」等など言いますが、内心恐怖でいっぱいのヨウスケさん・・・。このあたりの流れは本著に勝るものはありませんのでぜひ読んでみてください。
ここで本著は一旦CBTの解説に流れていますので、私も認知行動療法のかんたんな学びを記したいと思います。
CBT、認知行動療法はCognitive Behavioral Therapyの略で、心理療法の一つです。
環境(ストレッサー)に対し、個人がどう反応したか(ストレス反応)を認知する流れをストレス体験と言います。
ストレス体験は例えば、
道で歩いていたら通りがかりの人が舌打ちをした。(ストレッサー)
それに対し(なにっ、私に対して?)と思い(認知)、”嫌な気分になり”(気分・感情)、身が竦み(身体反応)、避けた(行動)、という一連の反応すべてを意味します。
CBTはその一連のモデルの流れを認識し、セルフモニタリングを行うことから始まります。
上記の例だと、舌打ちに対しこう思った私がいるな、と振り返り考えることです。
その次に上記モデルの中で、認知と行動はコーピング(対処)できるので、セルフモニタリングの結果を「思い直し」していきます。
認知のコーピングは、
舌打ちに対し、(なにっ、私に対して?)と思ったら、(いやいや、そんなことはないかな。私関係ないし)と思い直しをすることが該当します。
行動のコーピングは、
舌打ちに対し、避ける、から「何か私しました?」と聞いてみたりすることなどです(一例ですが)。
認知と行動をコーピングするから認知行動療法と呼ばれている所以です。
そのほか気分・感情と身体反応は直接的に対処することは出来ませんので、「そうなんだなあ」と思うだけです。だから、気分・感情と身体反応については「直接的に対処することは出来ないんだなあ」という事を理解すれば、自分が不甲斐ないからこんな感情になった、とかこんな身体反応をしてしまう自分はだめなんだという歪んだ認知から脱却することができるかもしれません。
閑話休題。話はヨウスケさんに戻ります。
その後、認知行動療法に基いて、セルフモニタリングを行おうとするんですが、背中の痛みに触れたり感じたりすること事態が拒否。「できません」と全く触れることが出来ません。
著者はそれを「やったことがないからできない」のでは?と考え、そういった人たちを「心が悩めない」まま大人になった人たちと考えます。ヨウスケさんの場合、その方法で無理がたたり、身体症状に出たんだという形になります。
そこで、次にマインドフルネスという方法でまずは自分を知るという道を考え、提案しますが、ヨウスケさんは「痛みを取るために来ているのになんだ!」と中々首肯しません。一旦、マインドフルネスと反対方向の考え方で作り上げた応急処置的コーピングリストを作り、対処しながらカウンセリングを続けています。
例えば痛みが出たときには気をそらす方法として、「両足の親指にぐっと力をこめる」などと言った方法です。考えない方法を身に着け、一旦痛みに支配される状態を対症療法的に対策するわけです。
ここでマインドフルネスの話ですが、様々な定義があるかとは思いますが、ここでは「自らの体験(自分自身をとりまく環境や自分自身の反応)に、リアルタイムで気づきを向け、評価や判断を加えずにそのまま受け止め、味わい、手放すこと。」とされています。
つまり価値判断をくださず、そうなんだなあ。で終わる。現象や沸き起こった感情、状態、反応に「そういうことがおこったんだなあ」とだけすることがマインドフルネスの基本です。そのまま、ふーんとか、へーとか思っていると自然とその時の気持ちや出来事に対する思いは消失していく、という流れです。物事の一切のコントロールを手放すことが大切と語られています。
(より良い文章で理解したい人は、ぜひ本著を読んで下さい。CBTもマインドフルネスも、後述のスキーマ療法もめっちゃわかりやすいです。)
まるでフッサールのエポケーや、道元の只管打坐のような感じだなあと思いました。
マインドフルネスはマーク・ウィリアムズ、ジョン・ティーズデール、ジンデル・シーガルにより1991年に開発されました。yomiDr.に記事がありましたのでリンクします。yomidr.yomiuri.co.jp
近頃はTIMESにもマインドフルネスの特集が組まれていたり、Googleが取り入れて話題になったりと人気の概念ですが、こういった仕組みだったわけです。
このマインドフルネスの概念を用いて認知行動療法を深めていくことが、MBCT(Mindfullness-Based-Cognitive-Therapy)という形になります。
一応、日本にも日本マインドフルネス学会というのがあるようですが、どうも斜め読みしてみていると早稲田大学の絡みという印象です。論文閲覧できるので紹介します。
さてこれが何故セルフモニタリングに役立つのか。
それは普段全く意識していなかった自動思考的な部分をしっかり見つめ、自分が何を思い、感じ、過ごしているのか。出来事に対しどう認知し、身体反応があり、気分・感情が動き、行動に現れているのかを丁寧につぶさに見ることができるからです。また、マインドフルネスの本筋として物事のコントロールを手放すことでストレスを軽減したりすることが出来ます。
が、ヨウスケさんはマインドフルネスの「王道」、レーズン・エクササイズを行おうとしたところ、体が拒否する感じがあり、それを掘り下げようとすると見るみる顔が真っ赤になり、いきなりカウンセリング室から逃走してしまいます。
ヨウスケさんが再度カウンセリングを続けられるのは、1年後のことでした。
それほど大きな気づきがあったわけですが、せっかくですからここは皆さんが直接本著を読み、知ってもらえたらと思いますから、著者に敬意を表しここまでとします。
第2章 スキーマ療法を通じてのヨウスケさんと家族の回復
ヨウスケさんが再度カウンセリングを受け始め、CBTとマインドフルネスを活用していきますが、さらに深く治療をということでスキーマ療法に取り掛かり始めていきます。
今までCBTやマインドフルネスで取り掛かっていた認知とは、浅く瞬間的な認知でした。それに対してコーピングを行ったり、きちんと何を感じているか受け止めたりするだけでも充分に治療的な行動です。
しかし、境界性パーソナリティ障害などあまりに深く傷ついている人や、一時的な症状ではなく継続する「生きづらさ」を抱えている当事者に対しては、より深いレベル、より継続的な認知に対しても直接アクセスする必要があります。
そこで編み出されたのがスキーマ療法です。米国の心理学者、ジェフリー・ヤング氏が1990年代に構築した治療方法です。
日本で翻訳されているスキーマの本は、前出の伊藤氏の本のほか、私は未読なのですが決定版として、ジェフリー・ヤング氏のスキーマ療法という本もあります。
スキーマ療法―パーソナリティの問題に対する統合的認知行動療法アプローチ
- 作者: ジェフリー・E.ヤング,マジョリエ・E.ウェイシャー,ジャネット・S.クロスコ,伊藤絵美
- 出版社/メーカー: 金剛出版
- 発売日: 2008/09/27
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スキーマ療法で扱うのは「人生早期に形成され、後にその人を生きづらくさせるスキーマ」で、「早期不適応的スキーマ」と呼ぶそうです。なぜこれが出来てしまうかというと、人は誰しも満たされて当然の「中核的感情欲求」という、5つの分類の欲求があるそうでして、これが例えば条件付の愛を提示されて育ったり、ネグレクト・虐待をされて育ったりすれば5領域の傷つきが発生し、18分野の早期不適応的スキーマが現れるとされています。
早期不適応的スキーマが出来そうな家庭・・・。事例では、ヨウスケさんの実家は医者一族で、明確なヒエラルキーが存在していたそうです。曰く、医者であるのは当然。教授であるのが最もよい。男は優れていて、女は傅け。テスト100点以外の存在はありえない、バカの極み。・・・。筆舌に尽くしがたい環境です。
こういった親の事を、1989年スーザン・フォワード氏は「Toxic Parents」と概念を打ち出しました。共依存や機能不全家族なんてやさしい言葉じゃないです。毒です。
こういった概念を理解するのに、個人的には漫画が一番分かりやすかったです。
Amazonでちらっと中身が見れるので、ちょっと見てみてください。私は胃が痛くなるほど辛い気持ちになります。ですが、これが実在の話なんですよね・・・。
もちろん親が悪意を持って一方的にしているわけではなく、親自身もそうやって毒親に育てられ、早期不適応的スキーマを獲得してしまっているが故の行動だとは考えられます。しかし、それとは別にいただけない行動であることも確かです。
・・・筆が滑りまくりそうなのでここまでにします。
ともかく、そういった早期不適応的スキーマを獲得してしまっていることを外在化し、具体的にどういった領域・分野がどの程度傷ついているかを確認していく作業をしていきます。
そのためには、当然過去体験のヒアリングを行いますが、本著ではマインドフルネスにしっかりと味わって触れていくことが必要とされています。「その場、その時に直接会いに行き、その時どう感じていたかを生々しくふれていく。」えげつないほど辛いワークです。
そのワークを行う為に、安全なイメージと安全な儀式をセラピストと一緒にしっかりと構築してから行ったり、中断のタイミングをスーパーバイズしてもらったりする必要があります。スキーマ療法を必要とする人は、深い傷つき体験がありますから、生半可なかかわりでは単にフラッシュバックを起こし辛いだけで終わってしまいますし、下手をすれば症状の悪化・再燃とつながりかねません。非常に侵襲的なワークです。
そうしてから、治療的再養育法やスキーマモードを技法を用いて、ハッピースキーマを獲得していくというのが、全体的なスキーマ療法の流れになっていると述べられています。
この治療的再養育法は「育て直し」という発想で、自分の中にある傷ついた子どもの部分を健全な方向に育成しなおそうという考え方です。
スキーマモードとは、ある状況であるスキーマが活性化されると、それによってさまざまな自動思考が生じ、さまざまな気分・感情が発生します。その時のスキーマをモードと呼び、傷ついた子どもモード、傷つける大人モード、いただけない対処モード、幸せな子どもモード、ヘルシー(健康的)な大人モードの5つに分けて考えます。最終的に、ヘルシーな大人モードが他のモードを司令塔としてしっかりと機能させることを目的としています。
長くなりましたが、こういったスキーマ療法を2年半続け、ヨウスケさんは当初の背中の痛みは全くなくなり、オレ様だった雰囲気は一転。料理好きな情緒豊かな人に変化していきました。当初は自己愛性的な様子でしたが、その影は潜まり、もう年に数回の「確認の為の」カウンセリングだけで済むようになりました。全く、人が変わったかのようです。カウンセリングを始めてから4年ほどの歳月だけで、劇的な変化が訪れました。しかも、その変化は内からの力です。何かの物質や行動に頼っておらず、恒久的な変化となってヨウスケさんの財産となりました。
統合失調症などと言った脳という臓器の疾病とは単純に比較はできないことですが、薬物療法では当然性格は変わりません。看護の関わりでもスキーマの領域までは手出してきません。これを直接介入できる臨床心理士って、本当に尊い仕事をなさっているなあと感じ入ります。恐ろしいまでの治療効果です。
第3章 慢性的な生きづらさを持つワカバさん
さて、スキーマ療法ですがヨウスケさんのように深く傷ついているというほどではないけれども、なんだか生きづらいな、自分の人生を充分に生き切っている気がしないな、という人にも当然使え、効果があります。伊藤氏自身も2年かけてスキーマ療法を自身に行い、その効果の絶大さを体感したと述べています。
ワカバさんは前出の通り、40代女性で臨床心理士です。クライアントのためにCBTを学びたいと門戸を叩きましたが、後々自分のためにスキーマ療法を希望されるようになります。あれもこれもきちんとしていて「隙がない」ような人ですが、その隙がないのは誰の為か、という話になります。
「今のうちに・・・しておいたほうがいい」「・・・をやっておけば後が楽だ」というような種類の自動思考が常に頭の中を駆け巡っており、その忙しい自動思考に突き動かされて行動してリラックスする暇がない状態である事が、セルフモニタリングの中で明らかになっていきます。
一旦、CBTの学びはひと段落したのですが、引き続き「クライアントさんにきちんとしたものを提供できるようになりたい」という希望から、マインドフルネスについても勉強を深めていきます。
様々なマインドフルネスのワークに取り組みますが(本著に具体的な方法とコツも載っています)、ワーク自体は楽しくきちんと行えます。しかし、疲労感だけはずっと抜けません。そこで著者はワカバさんに、初対面から抱いていた印象を伝えるということをしてみます。「隙がなさすぎて息苦しそう」と。
ワカバさんにしてはめずらしく長い沈黙が続いた後・・・。
「先生、実際に私、人から『隙がない』って言われることがときどきあるんです。でも何を言われているか私にはわからなくて。だって私には欠点がたくさんあるし、うまくいかないことだってたくさんあるから。だから実際には隙だらけの人間なんです。なのにそう言われちゃうから、よくわからなくて。ただそう言われるたびに、『この人は私を実際以上によく見てくれているんだろう』『この人は私のことを本当はよく知らないのだろう』と思うようにしてきたんです。でも、今、先生にまったく同じことを言われてしまいました。先生は私を知らない人ではありません。ここで何度もセッションをご一緒し、ありのままの私を見てもらってきた先生です。そして先生はカウンセリングのプロですよね。私よりキャリアも長いし。その先生に『隙がなさすぎて息苦しそう』と言われたら、それには何かあるのだろうと思わざるを得ません」
私は驚きました。なんと隙のないきんととした回答でしょう! そこで私は尋ねました。「今のワカバさんのご回答は、誰のためのものですか?」
するとワカバさんはハッとしたような表情を浮かべました。そして言いにくそうに、こう答えてくれました。
「先生のためでした。どう答えると先生に納得してもらえるのかなあって」
自分のためにお金を払って自分のためにCBT、マインドフルネスと学んでいるのにも関わらず、先生のために回答を考えると言う「現象」が発生しています。とことんまで他人本位になっているワカバさん。
私もこの文章を読んでいて、「ああ、これ自分の事もかなり当てはまるなあ」と思いました。もちろんワカバさんみたいに素晴らしい完璧で隙のないような人では全然ないんですけど、慢性的な疲労感は私も今現在ありまして、本著を読みながら考えていると、「ああ、これ結構根深い問題かもしれないなあ」と思い至っている次第です。
こういった考えの人って、多くないですか?もし当てはまるなあって思った人がいれば、ぜひぜひ、本著はあなたの助けになりますから読んでみて下さい。私も啓発されてます。
この「現象」をきっかけに、ワカバさんの「答え合わせ」が始まっていきます。全ては相手のためだったということ、その根底には、母が存在していたことなど。
これはスキーマ領域だとワカバさんは気づき、引き続きスキーマ療法にも手を出していきます。
その結果、自分のために行動をするということが少しずつ出来るようになって行きました。すると、次第に慢性的な疲労感は消えていったそうです。
このあたりの見事な集約は必読だと思います。
終わりに
マインドフルネスとスキーマ療法は、従来の段階からより深く精神の中を探求し、今まで救えなかった人たちを救うことができる、科学的に裏打ちされた技法です。それは診断名や時間軸を超えたもので、この技術が発展すれば精神科医療の世界も変化することが期待できます。今まで正直お手上げだった、境界性や自己愛性に対する治療法として紹介できるわけですからね。もちろん、カウンセリングを受け、それを支援していくという技術は開発していく必要はあると思いますが。精神科医療界に一筋の光を感じるような感覚です。
アーロン・ベック医師が1960年代に認知療法を概念化・確立してから発展を続け、2017年現在ではマインドフルネスは第3世代の心理療法であり、スキーマ両方は第3世代の心理療法を統括するような総合的な治療法として、どんどん発展してきています。認知行動療法が広く周知され、技術が広がり、科学的根拠の蓄積と一人でも多くの人がより良く生きれるようになれることを願います。
著者は本著の中で治療者もCBT等を実践することを進めています。
また、メンタルヘルスの病気や症状がなくても、生きていれば誰にでもストレスは降りかかってきます。ストレスのない人生なんてありえません。そういうわけで私は、臨床の場でクライアントに対してCBTを実践すると同時に、私自身のストレス対処のためにもCBTを日々実践しており、CBTに大いに助けてもらっています。治療法ということだけでなく、セルフケアにおけるストレス対処としても、CBTは非常に有用なのです。
そもそも治療者、援助者が自分のためにCBTを使い、その効果を実感することは、臨床現場でクライアントに対してCBTを提供するためには不可欠であると私は考えています。私は治療者や援助者と呼ばれる人たちに対してCBTの研修をすることがよくあるのですが、その際にも、「まずは自分で使って使い心地や効果を自分自身で確かめてみてから、臨床の場でクライアントにCBTを提供してください」とお願いするようにしています。
と。私もまさに同じ考えでWRAPに取り組んでいますので、その通りだなと思っています。今後、時間を作って前出の伊藤氏の本を読み取り組んでいきたいなあと思っています。何はなくてもこの人生、四苦八苦ですから。
興味が湧いた人はぜひ。
精神科看護のための事例研究 坂田三允、萱間真美 感想
坂田三允先生と萱間真美先生が共著で展開する本著は面白いのかなと思い、手にとってみました。
読み進めていくと論文がみるみる整っていく様が非常に解りやすく、要点がかいつまんで説明されていてとてもいい本でした。
以前の記事で、看護研究をするなら統計的なやり方が簡単に科学的になってよいという話をしていましたが、この本を読んでいると、事例研究の魅力も非常に感じ、少し難しいところもありますがお勧めしたいなと思い、本記事を作ることにしました。
参考までに、以前の記事で統計学を勧めている記事です。
事例研究などと言った質的研究というのは、量的研究になる前の概念を取り扱っていたり、新しい知識や体系の創造と担っていたりと言った側面があり、拠り所が少なく難しいものだと私は思っています。
それと同時に、臨床ではいつも体系だった科学的なアプローチがされているかといったら、そうではないのも事実です。特に精神科領域においては、主剤からして仮説で成り立っており、人の心に確実に劇的に効く看護の方法がないというのが実情です。
そういった普段の関わりを振り返り、どのような関わりがよいかどうかを考えるのは、普段の事例検討やカンファレンス等で取り扱われています。しかし、普段の事例検討やカンファレンスの目的は、次の関わりをどのようにしていくかという点になります。その為、カンファレンスに参加した人は知識の積み重ねをすることが出来ますが、比較的流動的な知識となりがちです。
一方事例研究まで昇華することで、対外的に自分の考えや看護の結果を整理し伝えることが出来、それを踏まえた新しい看護展開や体系作りに発展したり、またクリティカルシンキングが受けられ、洞察が深まることが期待できます。
せっかく大切で価値のある関わりをしていることですから、じっくり腰を据えて、看護を提供する事でその人にとってどのような意味があったかを振り返ることをしてみてはどうでしょうか。
本著はそういった事例研究をするために非常に実例的に活躍する本です。
目次は次の通りです。Part1-3に沿って少しずつ紹介していきたいと思います。
Part1 なぜ「事例」を研究するの?
I 精神科看護にとって事例研究をする意味とは?
II 事例研究の方向性
Part2 こうすればできる!事例研究ー研究実例の検討
I 研究テーマをしぼり込む
II 論文を書くための整理と表現方法
Part3 研究論文のプレゼンテーションガイド
Part1 なぜ「事例」を研究するの?
事例検討ではなく、事例研究にすることで、知恵の共有が行えるようになります。もし看護の関わりが達人が行えばよいだけであれば、知識の蓄積や共有は個人努力だけで済みますが、看護は個人プレイではなくチームで活動するものですから知識の蓄積や共有は必要です。特に、精神科看護でのコミュニケーションなどと言ったところは個人個人によってとらえ方や伝え方が違って、質の一定化が難しい反面、最も求められている部分でもありますから、研究によって共有していくことは大切なことです。
精神科看護の特徴は、実験室では再現できないその「場」での出来事が研究の対象となる点にある。しかし再現できないものを研究と呼べるのかという疑問がわく。それはただの物語なのではないか。これは、看護の研究に常につきまとう批判の声だ。その「場」限りの名人芸を、経験をつんだ達人看護師だけが行えればよいというなら、研究は不要だろう。 しかし、私たちは専門家として、ケアの対象となる人々にある程度安定した、一定の室の高さをもったケアを提供する義務がある。(以下略)
そのため、看護研究は意味のある事ですし、また事例研究が積み重なることで、更なる新しい展開にもつながりますし、関わりが難しい患者さんの対応について参考にすることが出来ます。事例研究が多く報告されることで、精神科看護の名人芸を一般技術化することが出来ます。これは患者さんにとって有益なことです。だから、事例研究には価値と意味があるということになります。
しかしながら・・・ここが事例研究の難しいところですが、単なる「私の患者さんの物語」になってしまっては、せっかくの出来事も知識の共有が難しくなります。事例研究ではどういった点を押さえ、どの点について考えていけばいいのかを、次の章で実際の論文が修正されていく様を踏まえて解説されていきます。
Part2 こうすればできる!事例研究ー研究実例の検討
この章は、ぜひ実際に手にとってじっくり読み込んで欲しいと思っています。
2つの論文を題材に、事例研究においてどのような点が大事で、具体的にどこをどう修正していくのか、何をどう考え、とらえ、考察を深めていくのかを対話式と実際に論文の修正をもって表現されています。
例えば1つ目の例ですと、「断薬に至った看護を振り返る」というタイトルの論文が、「告知後の「否認」を拒薬で表現された患者への看護ー患者の葛藤に気づけなかった事例を通してー」という形にまで変化していきます。めちゃくちゃ具体的な事例研究になってます。
この2つの事例研究では「焦点を絞ることの大切さ」「手段より患者さんの理解を」「図、表にまとめる」「全く事例を知らない人もどんな人か分かるように情報をまとめ伝える」「論文の一貫性を持たせる」と言った重要なポイントを指摘され、修正されていく様が載っています。アセスメントの経過についても対話式に載っているため、考えるヒントにもなります。事例研究をやるならぜひ一読して欲しいところです。
Part3 研究論文のプレゼンテーションガイド
いざ、発表する際にどういった点をまとめ、どのような表現をすれば伝わりやすいか等と言った点が紹介されています。特にパソコンが苦手であったり、あまり使う機会のない人には参考になる所だと思います。
最後に
事例検討と事例研究の比較が面白かったし、最初の論文が形式が整い、読みやすくなっていく様を追体験できる点が実践的で面白い本でした。精神科で事例研究を考えている人はぜひ一度読んでみてはどうでしょうか。