精神看護「まごころ草とばいきん草」

精神看護に関する自分なりの覚書

フィッシュ!おかわり-オフィスをもっとぴちぴちにする3つの秘訣 感想

 

フィッシュ!おかわり―オフィスをもっとぴちぴちにする3つの秘訣

フィッシュ!おかわり―オフィスをもっとぴちぴちにする3つの秘訣

 

 フィッシュ!哲学本第3弾で完結編。これで原著は終わりです。

 

本作はまた実在の体験などをもととしたフィクションストーリーで展開していきます。

設定は病院で、フィッシュ!哲学を導入したものの、導入者が部署異動となり、後任の師長が新しい人、という感じ。フィッシュ!哲学は導入され、魚の飾りつけなど変化はあり、旧人はそれに満足しているが新人は「なんだか溶け込めないぞ・・・」となっている様子。それに対し、「あの人はなじめない人だから、やめるだろう」と遠巻きに見てしまっている現場。・・・おお、なんだか既視感のある話だな。きっと多くの現場でこういうのってあるんでしょうね。

 

そんな感じのストーリー展開です。今回の話では、フィッシュ!哲学の原則である、

・遊ぶ

・人を喜ばせる

・注意を向ける

・態度を選ぶ

が既に浸透していることが前提の話になります。

 

これら、フィッシュ!哲学の導入によって一度は意識改革が成功します。しかしながら、人というのは水の低きに就くが如しで、楽なほうに流れてしまいます。フィッシュ!哲学導入の感動も冷めて、もとの病棟の雰囲気に戻りそうな様子・・・。

 

これを打破するのが、本作で新しく補足される3つの法則です。すなわち、

・見つける

・実現する

・コーチする

という概念です。一つずつ説明していきます。

 

・見つける

あらゆるビジョンの最も基本的な構成要素は、一人ひとりの”何か”である。”何か”とはビジョンを自分のものにすることである。ビジョンを持続させる力は、会話を通じて自分の”何か”を見つけることによって発生する。

んーと、カタカナと抽象的な用語が多く、小難しいんですが。病院の話で進めていきます。

病院って、そらもう沢山あるわけですが、どうやって就職先を選びましたか?

給与面、通勤面、環境面、色々と考えて選んだと思います。その中に、「理念」っていうのも大事なワードなんじゃないかなと私は考えてまして。

原則的に、病院というのは公益性が高いものですから、非営利法人になります。(美容整形という特殊ジャンルもあるんですが、省きます)非営利法人となると、基本的にはその理念に沿って病院は経営されるわけです。お金を目的としない。

その理念っていうのが、自分のしたいことと合致していれば、なかなかいい感じに仕事が出来る、っていうのが教科書的なお話になると思います。

 

ここの”見つける”というのは、そういった病院の理念を、自分のやりたいことに引き寄せて考えましょうという話になります。それによって仕事により自己実現が行えるという段取りを考えているわけですね。

”何か”とはビジョンを自分のものにすることである。とはつまり、理念から自分のやりたいことを引き寄せて実行していくこと。こうなりたいなー、こんな看護師になりたいなー、ということを実践していくことがビジョンということになります。

 

最後のビジョンを持続させる力は、会話を通じて自分の”何か”を見つけることによって発生する。とありますが、これは「こんな看護師になりなたいなー」と一人で考えて行動するだけでは不十分ということを意味しています。同僚と仕事の話や自分の話などをしていき、賛同を得たり、時には批判をもらったりすることで”何か”を向上させること、すなわち変化させ成長させていくことが大切だといっているのだと思います。

 

”見つける”とは、仕事で理念などから自分のしたいことを引っ張って実行し、人とそれについて話し合うことです。

 

・実現する

自分の”何か”がはっきりしたら、それを実現するチャンスはよりはっきりしてくる。そういったチャンスの事を、”ビジョン・チャンス”と呼ぶ。ビジョンを維持するエネルギーは、できる限りたくさんのビジョン・チャンスを生かすことによって生まれてくる。

あんまり用語は気にしなくて良いと思います。大切なのは、機会を大切に、アンテナを張って、どんどん挑戦していこうという点です。

やりたいことができる機会があったら、どんどんやっていきましょう。フィッシュ!哲学に基づいて、態度を選び、楽しく、相手を喜ばせ、注意を向けて行きましょうということなんじゃないかと思います。

 

”実現する”とは、理念に基づいて自分のやりたいことを楽しくどんどんやっていこう、ということです。

 

・コーチする

コーチングはお互いに与え合って、ビジョンを強く維持するための贈り物のようなものである。それが自分の仕事のやり方についてであろうと、チームワークのことについてであろうと、あらゆる方向にフィードバックされるようにしなければならない。コーチングはひとりよがりであってはならない。わたしたちはビジョンのためにコーチするのだ。

またカタカナと抽象的な言葉が多くややこしいのですが。p122あたりにわかりやすい説明が載っていまして。

 

タコ”と呼ばれるすし屋の新しいウェイターは、そのお店のフィッシュ!哲学などに共感して入職。”コーチしていい”といわれたため、色が変わったマグロをみて、新人ですが店長に「このマグロ新鮮じゃないんじゃないか」と提案。すると店長は「もしこのマグロが新鮮でないとわたしが思ったら、出さないわよ」とつっけんどんな態度で突き放してしまいます。しかしながら”タコ”は食い下がります。「コーチしたことに対してぶっきらぼうな対応をするのは、面接の時に話してくれた方針にはなかったような気がする」と”思い切って”いいました。すると店長は猛省し、コーチング精神そのものの話をしてくれたことに感謝し、私の態度は不適切だったと謝りました。

 

こんなことが現実に起こったらなんて素晴らしいでしょうね。コーチングはお互いなんでも言い合える環境を作りましょう、と提案し、それを受けれていく覚悟が必要だということを意味します。

この寓話の中では、結論としてマグロは新鮮だったとあります。事実がどうであれ、思った事を提案する勇気。またそれを聞いた時に感情のまま反論しない自制心。両方が試され、求められると述べられています。

フィッシュ!哲学を導入するだけではコーチングまでは行きません。あくまでも自分自身のことと、相手のことだけです。第三者的な目が入ることによって、自浄作用は高まり、より効果的で健全な職場環境の構築が可能になります。

 

”コーチする”とは、思った事を何でも提案できる事。またそれを受け入れる態度を常に作ることです。

 

本書のはじめのほうにある言葉を引用します。

新しい仕事のやり方が取り入れられた瞬間から、古いやり方へ戻ろうとする引力が発生する。最初は目新しさだけでも充分活力の源になるだろう。だが時間がたつにつれ、より強く持続性のある源を見つけなければならない。

とあります。まさにその通りですよね。

もし、フィッシュ!哲学を導入するとなるならば、こういった点にまで注目する必要があります。例えばサンキューカードやお魚バッチを導入したとしても、はじめはそれで充分活きると思いますが、一年後、三年後と時間が経って、導入の経緯を知らない新人がそれを見てどう思うでしょうか。どう感じるでしょうか。また、そういった外見的な部分だけに頼っているとするなら、それは本当の意味でのフィッシュ!哲学なのでしょうか。

飾り付けをすることはいいことですし、表彰することも素晴らしいと思います。しかしながら、そういった表面に出てくることではなく、もっと根っこのところからフィッシュ!哲学が浸透しないと意味がありません。挿し木をしたばかりの植物を引っこ抜くように簡単に終わってしまいます。

そうして簡単に終わってしまったフィッシュ!哲学を指差して「意味なかったね」とはなってしまっては、本当にもったいない。

やるならば、しっかりと、プランを練って、じっくりと。

 

これで原著の紹介は終わりです。次回、各地で導入されているフィッシュ!哲学を論文をもって追っかけてみます。

フィッシュ!実践篇 ぴちぴちオフィスの成功例一挙公開 感想

 

フィッシュ! 実践篇 ― ぴちぴちオフィスの成功例一挙公開

フィッシュ! 実践篇 ― ぴちぴちオフィスの成功例一挙公開

 

フィッシュ!哲学系記事第三弾。原著の続編です。

 

前作では架空のオフィスでの話でしたが、今回は通信会社、カーディーラー、病院、屋根葺き業者の4つの実話をまとめられたものになっています。

注目はやはり病院でしょう。

 

フィッシュ!哲学導入前後でこの病院はアンケートをとっていますが、

1999年9月から2000年5月の8ヶ月で、

チームワークがかけている25%→10%、おおいにある30%→75%

ポジティブな態度かけている25%→15%、おおいにある25%→75%

コミュニケーションかけている15%→20%、おおいにある33%→65%

協力かけている25%→10%、おおいにある25%→75%

満足度かけている25%→10%、おおいにある25%→75%

発言権欠けている33%→20%、おおいにある15%→65%

と、データ一部抽出ですが全てのポイントがほぼ上昇しています。

論文のように細かいデータがこの本に載っているわけではないのですが、フィッシュ!により大きく意識改革が出来たこと、また病院にとっても有益である事が示唆されます。

 

病院の章での印象的な段落としては、同じケアをするにしても相手に注意を向けてケアをするヘルパーのほうが、業務をこなすナースよりも患者の満足な表情を得られていたこと、フィッシュ!哲学なんてやる時間が無い!とコメントするナースに対し同僚が「どっちみちやらないといけない仕事には変わりない。仕事に対しどんな気持ちで向き合うかと言う話でしょ」と持ちかけ、議論になったということ、お魚バッチを職員同士で送りあい、時には患者や、関係ない喫茶店の店員にまで配っていたということがあげられます。

最後のお魚バッチいいですよね。ボーイスカウトの勲章みたい。集めて、配って、一目でわかって、元気が出そうなアイデアだなと個人的に思いました。

またフィッシュ!哲学導入のために勇気を出して、雰囲気の悪いオペ室の師長が購入したお魚ぬいぐるみが翌日に”誘拐”されたというのも、プロレス的ですが遊びと注目を集めるいい試みですよね。そういうの、面白いなって思います。

 

もちろん病院エピソード以外でも印象的な段落は多くありました。前作だけでは、フィッシュ!哲学の表面的な部分だけをさらっと触れるだけの印象で、今作も一緒に読まないと片手落ちになるのかなと思いました。

冒頭の通信会社のエピソードですが、基本的に通信会社の電話受けはクレーム的なものが多く、気のめいる仕事とかかれています。ネガティブな言葉も多く受け取り、仕事は気が重くなると。それって、精神看護の世界も近いものありますよね。

心が疲れ、病んでしまっている人は余裕がなく、時としてスタッフに暴言、暴力が出ることもあります。それにより私たちもまた心が辛くなってしまいます。

態度を選ぶことで、また仕事に遊びを取り入れることで、心の余裕を取り戻し、職員同士や患者さんとの”あいだ”が少しゆるくなり、良いかかわりが出来るようになるのではないでしょうか。

今後また著書を紹介する予定ですが、木村敏先生の”あいだ”理論、宮内倫也先生の”あわい”理論というものがありまして、私たち医療者側の心の余裕というのも、精神科ではとても大事。それと同時に、患者さんにもその心の余裕を持てるように、意識を向けてあげることも大事だと私は考えています。

フィッシュ!哲学で柔軟なかかわりが出来る職場環境となれば、患者さんへの関わりも向上し、もって病院の質の向上にもつながるのではないでしょうか。

 

次回、フィッシュ!おかわり、と第3作目の感想を述べようと思います。

その後にいくつか論文を横断的に紹介していこうかと思っています。

フィッシュ!鮮度100% ぴちぴちオフィスの作り方 感想

フィッシュ!―鮮度100%ぴちぴちオフィスのつくり方

フィッシュ!―鮮度100%ぴちぴちオフィスのつくり方

フィッシュ!哲学系記事の第二弾。原著です。
訳されたのが2000年と、割りと古めの本になります。その頃のペーパーバックと言えば、チーズはどこへ消えた?やザ・ゴール、金持ち父さん貧乏父さんなどがヒットしていましたね。懐かしい。そのため本の進み方が当時の流行りを踏襲してまして、少し古典的なビジネス書の進み方となっています。

内容としては、シングルマザーの主人公が昇給があるという理由だけでひどい職場に部署異動を受け入れます。あまりにひどく気が滅入りますが、ふとしたきっかけでパイクプレイスに行き、活気のある市場を目撃します。ああ、うちの職場もこう活気があれば・・・と見ていると、ロニーという店員が話しかけてきて・・・。

そこから、フィッシュ!哲学について導入されていくという流れです。

フィッシュ!哲学は、4つの考えが基本構造となっています。

・態度を選ぶ
・遊ぶ
・注意を向ける
・人を喜ばせる

この4つのシンプルな考えを"だれもが"理解し、実行していくことが活気のある職場にしていくという理屈になります。
一つずつ原著を参考にしながら説明していくと、

・態度を選ぶ

「仕事そのものを選べなくても、どんなふうに仕事をするかは自分で選べる」

看護師は特に、仕事が選べちゃう職種なんですが・・・。それでも、仕事をやめる選択には様々なデメリットがありますし、新しい職場に行っても同じ問題に直面する可能性も否定できません。

なので今、すぐに、時間やモノを使わず、変化できること。それが態度を選ぶということになります。
それはきちんと意識をして行えば、効果は絶大です。
WRAPふうに言えば、刺激に対して反射せず、反応をすることを意識するということで、リカバリーコンセプトの主体性ー責任ーにつながる考えになるといえるでしょう。

ちなみにですが、前回記事の本でフィッシュ!の取り組みとして、「態度を選びましょう、今日のメニューは?」とポスターを付けるという案。この本のp66が出典ですね。


・遊ぶ

「仕事自体が報酬になり、報酬を得るための方策ではなくなる」

フィッシュ!哲学の一番おいしい部分ですね。仕事=真面目、を取っ払おうという発想です。生きていて75%は仕事に関連する活動をしている、といわれているわけですから、その活動が真面目一辺倒では息苦しい。遊びを取り入れるのは自由な発想も受け入れられやすくなり、いいと思います。特に看護の世界では真面目も真面目すぎると思うので。(もちろん、真面目を必要とされる際にはいいんですよ。それだけしかないっていうのが・・・ね。)
もし、看護をしながら遊べれば、なんだかいいじゃありませんか?

ただ注意点があります。作中でも似たことが述べられてますが、それは、遊びが仲間内だけで終わらないようにするという点です。仲間内だけで遊んでおり、患者さんを巻き込んでいなければ、それは身勝手に遊んでるに過ぎません。遊びの目的は自分が楽しくするだけではないという点です。患者さんも巻き込みましょう。そこに一線は敷かなくていいということが、フィッシュ!の遊びと考えられます。

・注意を向ける

「注意を向けると、相手に思いやりを持つことができます」

看護師は患者に対して注意を向けるのは普段から行われており、まさに手と目を持って看る、看護の仕事の一つといえると思います。
しかしながら同僚に対してはどうでしょうか。注意向いてますか?
何も患者さんのように関わってという話ではありません。ほんの少しでも同僚に対しても注意が向くだけでずいぶん変わると思うんです。
「いまいいですか?」とあったら、注意を向ける。「ちょっと空気読んで話しかけてよ」とは言わず、聞く。それだけでも違うと思うんです。
フィッシュ!哲学を導入すれば、そのことを制度化でき、個人の努力に頼ることなくできますよね。注意を向けない同僚に対して「それフィッシュ!じゃないよね」と言える、ということは有効かなと思います。

・人を喜ばせる

「ベテラン社員のステファニーが、カウンターの後ろへいって魚をキャッチしてみないかと誘われたのだ。オフィスでは内気そうに見えるが、ステファニーはそれに応じた。最初の二ひきは受けそこない、見物客は喜び、同僚たちは面白がった。だが三回目にはみごと素手でキャッチし、万雷の拍手とやじと口笛を受けた。店員たちに楽しい体験をさせてもらったステファニーは、満足の面持ちだった。」

長い引用ですね。すみません。なかなか一言で私の受け取ったことを伝えにくくて。
これも遊ぶ、と注意を向ける、に大きく重なる部分がありますが、大事な点です。
楽しませるということは、遊ぶことと注意を向けることの2つが必須になります。
遊び心がなければただの奉仕になります。注意を向けていなければ、見当外れの"善意の押しつけ"になります。両輪がしっかりしてはじめて、人を喜ばせるにつながるのでしょう。

看護では、やはり同じく患者さんに対してはある程度得意ですよね。中には奉仕となっているシーンや見当外れになっていることもあるかもしれませんが、看護の基本といえると思います。
これも同じく、同僚に対してはどうでしょう?居て当然とか、下手すると足を引っ張るなよという目で見て接していませんか。それは、フィッシュ!ではないと思います。
お互い気持ちよく仕事をするためには、対等であることが前提です。人と人として認めあって、喜ばせたい気持ちを持ってお互いが関わると、良好な職場人間関係が構築されます。
現状、厚労省が出している資料によると、看護師の退職理由一位は出産・育児のため、二位は結婚、三位は他施設への興味、そして四位に人間関係とあります。(2011年、看護職員就業状況等実態調査結果、資料2より)
しかしながら、上位三位の裏に、人間関係が理由としては言わずとも要素が絡んでいることは、現職の方だと納得のいく話と思います。(人間関係が理由では、表向きの辞職理由にはできませんもんね。)
看護師が辞めるのも、就業継続するのも、人間関係が一番です。そこに直接てこ入れができるというのは偉大です。

・・・なかなか私の言葉の比率が高すぎる印象がありますが、そのような考えが、フィッシュ!哲学です。
本著はその考えをすっとわかりやすく、飲み込みやすく述べられています。
この考えは多くの一般企業に導入されていると言われています。
その波は遅れて看護の世界にも来ています。

フィッシュ!ってなに?と思ったら原著にあたるのが、一番軸がブレずにわかり良いと思います。
値段も1,200円ほどで安く、一時間もあれば読めるので、興味が出た方はまず原著どうでしょうか。

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フィッシュ哲学系記事はあと、実践編の本とおかわりの本を予定しています。
それだけで終わるとほんの感想となるだけであまり価値がないと思うので、追記としていくつか論文を横断的に紹介したいと思います。また最後に私の思った点をまとめて行こうかなと。

うちで導入するかどうかはおいといて、とりあえずきちんと考えるのはいいことかなと思うので、その予定としています。

フィッシュ!の導入と実践ガイド 感想

いまさらながら、看護の世界で一時期ブームになっていたフィッシュ!の慈恵会の本を読みました。
本としては軽い読み物で、慈恵会にフィッシュ!が取り入れられる経緯と、副部長や師長、院長など各立場の人のコメントが載せられているほどのものです。
なので一時間もあれば十分読めるものでした。

導入と実践ガイドと銘打ってますが、すこしそれは言いすぎかなと思います。もちろん先駆者の本として出典元になるという価値もありますし、有意義なことなのですが、即使えるかというと・・・それぞれの立場からの思惑が散見され、言い方を選べばナラティブな本だなという感じです。

アマゾンで買いまして。発売されてから随分経ったので何刷かされてるかと思いましたが一刷でした。
ブームにはなりましたが、不思議な現象ですね。みんな原著にあたったのでしょうか。それとも、慈恵会の講義をもとに進めたのでしょうか。

良い点としては、フィッシュ!哲学を周知することができた点、各役職の思惑が読めた点、実際の行動化としてのフィッシュ!の様子などがしれた点が挙げられると思います。

反対に悪い点としては、フィッシュ!があくまでも管理者目線であること、活動に倫理と道徳を考えているのかどうか疑問が出たこと、自主性の尊重と唄いつつも非協力者への配慮のないことが挙げられると思います。

特に個人的に嫌だなあ、と思ったフィッシュ!活動として、新人看護師の親に対し、仕事近況を事細かに綴った手紙を出したという活動がありました。
あくまでも個人的に嫌だなと思っているだけで、その新人看護師と職場でラポールが取れていれば構わないのですが。
世の中には親が実害のある場合もあると思うんですが、配慮はあったのでしょうか。→毒親という概念の配慮が心配です。

表面的にフィッシュ!哲学を導入するとなると、こういった善意の押し付けが横行するのではないかと危惧してしまいます。

また、季節に伴った病棟の飾り付けというのも、これが自然とやりたいという気持ちからやっているのであればいいのですが、半ば義務感でやっていたり、そういうものだから、と習慣でやっていては単なる業務に成り下がるのではないかと思います。
あくまでも自主的に、やりたいから、そしてそれがフィッシュ!哲学に則っていて快の行動であるから意味があるのではないかなと思います。

批判ばかりではいけませんね。
実際のところ、私の前の職場でも導入されまして。
ぶっちゃけ鼻から形骸化した感じでした。ただサンキューカード制度はわりと回っていて、ありがとうを見える化してボードに貼っていくことは、手間もほとんどかかりませんし、自主的にすることですから結構職場でも評判が良かったです。
ただやはりフィッシュ!哲学自体をきちんと伝えられずの導入だったので、フィッシュ!=サンキューカード、となっていました。

今の職場ではまだ導入されてません。精神科ならではかもしれませんが、一般と比較してわりと普通にフィッシュ!哲学的な考えははじめからあったように思います。
臨機応変に対応しますし、よい患者対応のためには自分自身もよい精神状態である必要がある、と言う考えから、なんでも話しやすい、頼りやすい環境にあると思います。
ただそれを自然発生的にそのままにすると消滅する可能性もありますから、技法として、ベースアップとして導入することも無意味ではないのかなともお持っています。

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2017年になりました。去年は一般科を経由して、やっと目的の精神科看護師になることができました。私の看護の芽生えはこの科にありましたから、15年来の目標達成です。業務もある程度の水準には来たと思います。
学びをブログに記載し、表現することも始めることができました。

今年は去年以上に学びを深め、それをブログなどにも表現し、自分の中だけに留めないようにしたいと思います。
また、2年目の精神看護師として恥じない活躍をしたいと思います。

今年もよろしくお願いいたします。

森田ゆり しつけと体罰 、 ドメスティック・バイオレンス 感想

 

 

しつけと体罰―子どもの内なる力を育てる道すじ

しつけと体罰―子どもの内なる力を育てる道すじ

 
ドメスティック・バイオレンス―愛が暴力に変わるとき (小学館文庫)

ドメスティック・バイオレンス―愛が暴力に変わるとき (小学館文庫)

 

 

二つの感想としてまとめて述べようと思います。

 

患者からの暴力について、暴力とはどういう風な気持ちで行い、またどういう風に受け取るのがいいのだろうかと思い悩み、臨床心理士の方に相談をして、貸していただいた本です。

二冊とも暴力の構造について端的にまとめられており、非常にわかりやすかったです。

 

「しつけと体罰」では、体罰は暴力であり、いかなる理由でも子どもの人権を侵害する許しがたい行為であり、決して許されることではないと一貫して述べられています。

ドメスティック・バイオレンス」ではDVは暴力そのものであり、たとえその後心から謝罪されたとしても、暴力は犯罪であるということ。

暴力被害者は決して、何も悪くないということ。

悪いのは暴力を行っている加害者であるということが述べられています。また、被害者心理と加害者心理、および救済者心理についてのわかりやすい図式と理屈が述べられており、DVに限らずさまざまなシーンでも活用できるものが記載されています。

 

はっきりいって、両方とも誰もが読むべき本だと思います。

 

暴力とは、自分の自信の無さからが発端であり、相手をコントロールする為の手段として行われるものです。それは決して許されません。

暴力を振るうものは「怒り」によって行っていると言いますが、その怒りは仮面です。

怒りには2種類あり、不正を行われ、許さないと憤る怒りと、「怒りの仮面」とがあります。「怒りの仮面」というものは森田氏が述べている理論で、怒りの裏側には、傷つき体験からくる身体的苦痛、悔しさ、悲しさ、寂しさ、虚しさ、絶望、見捨てられ不安、喪失感、不信が隠されているというものです。(ドメスティックバイオレンス、p211)

そのため、怒りを単に制御できたとしても、その背景にある複雑な感情がきちんと受け止められていないと、用意にコントロール欲に縛られDVに発展すると述べられています。

 

確かにその通りだと思います。病棟でよくある暴力は自分の欲求を通す為に意図して行われている手段であり、患者の中には「相手に私の欲求を呑ませる為に暴力しています」と理解しながら暴力している人もいます。また、自分の感情を爆発させ暴力に発展するケースもありますが、これも結局は怒りの仮面理論に当てはまる行動と解釈できます。

ですから、こちらの看護のかかわりとしても単に怒りを収めることや、アンガーコントロールを促すことよりも、その背景にある傷つき体験や複雑な感情に着目し、かかわることが重要だと考えられます。

また同時に暴力というコミュニケーションは絶対に許さないことを言葉と態度で示す必要もあります。どうしても暴力を受けると怯みます。私も男とは言え、小柄ですので怯みます。ですが、怯むことはすなわち相手にコントロール権を握れた、という実感を与える反応になってしまいますから、訓練する必要がある様に感じます。

 

ですが、今度は話を少し脱線して、暴力を受けた際のフォローという話になりますが、

暴力を受けたスタッフが個人的にその感情を処理するのではなく、病棟全体でフォローすることが必要なのではないかと思うわけです。

そのためにCVPPPといった研修で暴力行為から身を守るすべを定期的に学ぶ必要がありますし、また暴力を受けた人が「何も悪くない」ことを確認する為、病棟全体でのフォローが必要だと思うわけです。

その体制作りは必要なんじゃないかなー。と、愚痴で・・・。

 

話を戻します。

「しつけと体罰」の話に行きますが、前回の記事にも少し記載したとおり、1人の人として認めてないというメッセージに、暴力(体罰)はなります。ですから、どのような理由であれ暴力は許されません。

暴力を受けた子どもに対してはフォローが必要です。どんな理由であれ、暴力は許せません。

 

ドメスティック・バイオレンス」が、加害者、被害者、そして救済者のフォローについて非常にわかりやすくまとめられており、今にも充分活躍できる著書ですので、ぜひ読んでいただきたいのですが、簡単にまとめると、

 

被害者は、何も悪くありません。しかし、「私がこういったから暴力を受けたのでは」など自分で思ってしまいます。しかも、まわりは今の日本の風潮から「あなたが怒らせたから悪いんだ、こうすればよかったんだ」と指導してしまいがちです。それはますます被害者を孤立化させるだけで、意味の無いアドバイスです。むしろ有害です。

そうではなく、何も悪くないということを知ってもらうことを第一に行うべきと、述べられています。

またあわせて暴力という行動は犯罪であり、何も許されないと理解することです。暴力を行う側の問題であり、その背景を責任もって改善するのは加害者側のするものだということです。

 

加害者は、怒りの仮面によって暴力を行っています。何が悪いのではないです。あなたの過去の不適切な学び(暴力によって相手をコントロールするということ等)が今回の犯罪を起こした原因です。だから、学ぶ必要があります。

何を学ぶかというと、アンガーコントロールではありません。あなたの怒りの仮面の裏側の感情です。特に、男は感情的になるものではない、強くあるべきである、という男にまつわるジェンダー論がありますが、あなたはあなたなのですから、そんなレッテルに翻弄されることはありません。ただ真摯に自分を見つめ、二度と犯罪を犯さないようにする必要があります。そして、いかなる理由があれどもあなたがした行動の責任は100%あなたにありますから、そのように受け止める事からはじめる必要があります。

 

救済者心理とは、上記2人の支援者に陥りがちな心理です。例えば被害者の段落で書いていますが、問題の改善点を探すことは不適切です。しかし、そうなってしまいがちです。また加害者側の立場になってフォローしてしまうことも、ままあることだそうです。例えばセクハラ。「そんな短いスカートを履いていたからそんなことになったんだよ」といってしまうことは、加害者側の立場になってしまっています。そんなことありません。短いスカートはただのファッションですし、あるツイートから引用すると、「男性に対する信頼の現われ」です。セクハラはその信頼を踏みにじったという重大な違反ですから、やはり加害者が問題です。

 

もろもろ。まだまだ書ききれないほど多くの学びがあります。文庫本になって安いですから、ぜひ。いい学びが出来ました。

子どもの権利について

前回の記事は、子どもを守るために、という視点で親が知っておくべき義務や知識、情報リテラシーということでしたが
今回の記事は子どもの権利についてです。

今、森田ゆり氏の著書を知り合いから推薦してもらい読んでいます。
また読了後感想を述べようと思いますが、全面的に考えに賛同する感じです。

子どもの権利とは、子どもとは独立した一人の人間であり、様々な自体に対して権利擁護を行えることなのかなと思います。
もっと端的に言えば、子どもとは言え一人の人なのだから、対等に関わろうというだけの話かもしれませんね。

対等だから、権利擁護を受け入れ認める。
対等だから、選択権を委ねる。
対等だから、話を信じ、聞く。

これだけなら簡単な話です。ただ、子どもの特性として自己決定権の脆弱さ、庇護が必要な状態、リテラシー能力の未発達さが問題をややこしくしてるのかなと思います。

すなわち、子どもの意見をすべて鵜呑みにすると社会とうまくやっていけない点があるのではと思うわけです。
例えばファミレスで大声で歌い、走り回って遊ぶということ。
これは子どもが行いたいという欲求をそのままストレートに発散してしまっている状況です。
これでは不利益を被る人も出てきてうまく行きませんから、本来的には子ども自身が考え、今は我慢をするなど対処行動を取ってほしいのですが、そううまくできないのが子どもの特性です。
だから、この子供の意見、欲求は鵜呑みにせず、子どもに話して聞かせて説明し、わかってもらう必要がありそうです。

またややこしいのが話してわかっても、我慢できるとは限らないという点ですよね。
その時には、はじめて親としての義務というか、社会性を発揮するときというか、権力を施行するときなのでしょう。
すなわち、外に連れ出し、静かになるまで一緒にいるとか、各々の教育が必要になると思います。

この権力の施行が、子どもの権利や人権を強く脅かさないよう、細心の注意が必要ですよね。ここが捻れるから、様々な問題が出るのでしょう。

また、別の話です。
権利の主張は、それまで不正に利益を得ていた人にとって嫌な話です。
子どもの権利を主張して反対意見を言う人は、どんな人でしょうか。
学問的、哲学的に考えて話をされてるのでしょうか。または、何か不利益を被ると感じて話しているのでしょうか。
具体的になんだという話ではないのですが、少し考えましたので記事にしています。

また、権利が来れば義務もついてくると思うので考えます。
権利だけ主張して義務を果たさない人の話なんて噴飯物ですからね。

子どもの義務ってなんでしょうか。
育つこと、学ぶこと、世代を変えることでしょうか?
それとも親を介護することでしょうか?・・それは違いますね。

何でしょう・・

私は、「在る事」だと思います。
ただ、生きていること。生き続けること。
それが子どもの義務なんじゃないでしょうか。

その義務を果たす事を助けてあげる、すなわち生きやすくすることこそが、親のまず第一の義務だと思います。

各分野の専門家が伝える 子どもを守るために知っておきたいこと 感想

各分野の専門家が伝える 子どもを守るために知っておきたいこと

各分野の専門家が伝える 子どもを守るために知っておきたいこと

  • 作者: 宋美玄,姜昌勲,NATROM,森戸やすみ,堀成美,Dr.Koala,猪熊弘子,成田崇信,畝山智香子,松本俊彦,内田良,原田実,菊池誠
  • 出版社/メーカー: 株式会社メタモル出版
  • 発売日: 2016/07/25
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
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精神看護と何か関係あるかな?って印象を受けるかもしれませんが、しっかり関係あるので記事にします。

直接的には、「体罰って必要でしょうか?」「発達障害はニセの病名?」「『誕生学』でいのちの大切さがわかる?」「『2分の1成人式』は素晴らしい?」の、項目が精神看護に深く関わる部分となります。
ちょっと関心がそそられる見出しだと思いませんか。

本書は、一般の子育てをする親を中心の読者と考えられた本で、世の中にはびこる根拠のない情報について、各分野の専門家が考えを伝える本となっています。
例えば一部を引用すると、(体罰って必要でしょうか?より)

(他の文献を引用し、体罰の非有用性を指摘したあと)
それでも体罰を肯定したい人たちは、次のように言うかもしれません。
「両親や部活動の顧問や先輩から体罰を受けたことがあるが、深い愛情を感じた。体罰によって自分を戒め、スキルアップできたと思う」(具体例続く、中略)
このような主張をされると、もしかしたら納得してしまう人もいるかもしれません。でも、裏を返せば、体罰よりも効果が高くて効率がよく、かつ子どもの体や心を傷つけることなく指導する方法を知らなかったというだけの話です。

とつなげ、その後ペアレント・トレーニングという方法を提案し、説明していきます。

このように構成が読みやすくわかりやすく、かつ論理的思考に裏付けされた根拠のある話がたくさん載っています。

各項目が4ページから8ページ程度で終わるものが多く、読むことで負担にならず疲れない点。引用文がある場合、どこの誰の何という本なのかが記載され、出典を当たれる点。なにより、子どもを守るためにというテーマに沿って、誰もが軸のブレがない点がとても良かったと感じています。

世の中には科学的根拠がないのに印象だけで決めてかかったり、主観を通すために感情的に言いくるめる人がいたり、最悪なのは自己の利益のために人をだしにして子どもを食い物にする輩がいたりします。
それに影響され、子供の命や人生、健康が脅かされることはあってはいけません。
善意で思ってやっている行動も、その根拠が習慣であるならば、一度立ち止まってその効能について、批判的思考を持って検討する必要があるのではないでしょうか。
本書を出発点とし、様々に考えを巡らすことは良い結果に結びつく可能性を上げるのではないかと私は考えます。いい結果とは、子育てとして子供を守ることもそうですし、他の子育て世代の人に無益なアドバイス(無益であればまだマシですが、時として有害にもなりえますよね。それら)を行わないで済むこともそうだと思います。また時として自分のことを振り返るきっかけになるかもしれません。

もちろん本書を鵜呑みにすることもまた思考停止であり、望むものではないと思います。「こういった考えがあるんだなあ。なるほど納得行くなあ。だけどこの点についてはどうなんだろ、疑問だなあ」など、考えながら読むことこそが望まれているのではないでしょうか。

子どもと関わる人は、必読と思います。